☆ 狐井城山古墳
(きついしろやまこふん)
大和国葛下郡
奈良県香芝市狐井・良福寺
(P無し、周濠外からの拝覧のみ、西側の南北道路に停めて行いました)
「二上山」の東方、緩やかな台地状に築かれた古墳。大きな周濠に囲われた中に、ぽっかりと巨大古墳が浮かびます。
旧石器時代から人々が住み着いた「狐井」周辺。
縄文時代には大和の最先端を進んでいた地として、弥生時代に至る遺物が出土しています。
古墳概要は案内板を撮影した下部写真にて。補足するなら周濠は18mに及ぶものであること。子持勾玉が出土しているということでしょうか。
この時期の古墳としてはかなり巨大なものであり、おそらく首長級。
被葬者については不明ながら、葛城氏のものではないかと考えられています。
葛城氏は襲津彦の時代にもっとも権力を持った氏族となるものの、孫の円(ツブラ)の時代に早くも失脚、焼死させられています(記では自害)。
襲津彦の子、葦田宿禰が眠っているのではないかという説も。
襲津彦は葛下郡の南部、「葛城山」の東麓を拠点としていましたが、葦田宿禰の時代にさらに麓に降り北上してきたのでしょうか。
さらに時代が降ると、さらに北東方面の馬見古墳群に葛城氏の墳墓が築かれるようになります。
別説として「顕宗天皇 傍丘磐坏丘南陵」に比定する説もあります(治定墓は → こちら)。