☆顕宗天皇 傍丘磐坏丘南陵
(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)



大和国葛下郡
奈良県香芝市北今市4-327-4
(Pあるが閉じられており入場不可、陵前が袋小路なのでいつもそこに停め置きしています)



第23代顕宗天皇の治定墓。
前方後円墳とされますが、形状から前方後方墳の可能性も。

億計王(オケノミコ、仁賢天皇)・弘計王(ヲケノミコ)兄弟の、弟である弘計王の方の治定墓。
なお兄弟には同母姉に飯豊女王(天皇)がいます。

父の市辺押磐皇子が雄略天皇に殺害され、身の危険を感じた兄弟は丹後や播磨に避難し、身を隠しました。

雄略天皇は次々と皇位継承者を滅ぼしたこともあり、ついに皇位継承者が途絶えます。

そして播磨で兄弟は発見され、めでたく天皇に。弟(弘計王)が先に即位し続いて兄(億計王)が即位しました。

宮は「近飛鳥八釣宮(ちかつあすかやつりのみや)」とされますが、明日香村の「八釣」と羽曳野市の「飛鳥」とで意見が分かれています。

明日香村の方には弘計皇子神社という小さな古社が鎮座し、こちらの方が有力でしょうか。

なお陵墓参考地として近鉄築山駅の南すぐにある築山古墳(磐園陵墓参考地)も挙げられています。


車はこのようにして停めました。左の道路は新しくできた国道168号線。




側面から。