弘計皇子神社
(をけのみこじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村八釣41
(いつも西隣に空スペースに停めています、木枝やゴミ等地面に要注意)

■祭神


明日香村の北西端「八釣(やつり)」の小さな農村集落内に鎮座する社。
◎当社は第23代顕宗天皇(ケンゾウテンノウ)、=弘計皇子(ヲケノミコ)を祀る社。その顕宗天皇の「近飛鳥八釣宮(ちかつあすかやつりのみや)」の伝承地でも。
億計王・弘計王(オケオウ・ヲケオウ、後の仁賢・顕宗天皇)の兄弟は逃亡生活の末、発見されて即位した天皇。専制君主として名高い第21代雄略天皇は、次々と政敵を殺めて即位、その後も手を緩めず次々に。その雄略天皇が即位するための最大の敵は市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)。彼が殺害されるや否や、身の危険を感じた2皇子は丹後から播磨へ隠棲生活を行いました。結局、播磨で発見され兄弟ともに即位しています。
◎うら寂た農村丘陵地のこんもりとした小さな社叢の中に、まるで隠れ家の如くひっまそりと佇む社殿。このひなびた様が隠棲生活と重なって映ります。
◎この辺境地に宮を営んだ理由として、頂いたコメントには導き出された仮説があります。
「奈良縣高市郡古墳誌」に、当社から東南側の溜め池がある谷あいの山中(八釣字奥ヶ谷150番地)に「金鳥塚」として「現今は全く荒廢に歸し、雜木林中に松樹數本生じて、高さ十三尺、周圍二十間餘の小高い古墳狀を留めて居るに過ぎない。古來八釣白彦皇子の墓であると傳へて居る」とあるようです。 
 八釣白彦皇子とは、第19代允恭天皇の皇子。「八釣字奥ヶ谷150番地」は詳細地不明ながら、「溜め池」があることからおおよそは判断できます(下部に地図あり)

その仮説とは弘計皇子が即位に当たり、鎮魂(慰霊)や墓守を兼ねて、あえてこの地に宮を置いたのではないかというもの。卓見に値するかと思います。


*写真等は2018年5月、2019年6月、2022年5月撮影のものとが混在しています。


赤色の破線は明日香村「八釣」。

車はいつも手前右の空きスペースに停め置いています。

ここからが参道。

2022年参拝時には木が伐られすっきりとしていました。