☆相撲発祥伝承の地 腰折田
(こしおれだ)
大和国葛下郡
奈良県香芝市6-316-1
(P無し、全面道路はかなり広いので目前に路駐か)
當麻蹶速(タギマノケハヤ、タイマノケハヤ)と野見宿禰が日本で初めて角力(すまひ)を行った地。
つまり日本で初めて相撲(その原型)が行われた伝承地です。
時は垂仁天皇の御代なので
3世紀末~4世紀前半頃でしょうか。
もちろん天覧試合でした。
勝者はもちろん野見宿禰。
敗者の當麻蹶速は腰の骨が折れて亡くなってしまいます。
だから「腰折田」。
「大和志」はその決闘の地を香芝市良福寺としており、当地が推定地となされました。
決闘に至る経緯をざっくりと…
この世に敵無しと豪語していた當麻蹶速、
それではと呼び寄せられたのが「出雲の野見宿禰」。
…以上。
簡単過ぎますが、それよりも重要なのは「出雲」。
現在の島根県の出雲国を指すのか
城上郡(桜井市)の出雲を指すのか。
また両者の関連は?
出雲国から城上郡出雲へ移住したのが
それともその逆なのか。
城上郡出雲は三輪山の裏側(東側)、隠口(こもりく)であり
大神神社には出雲国の大國主命ともされる大物主が…
これについてはここまで。
結論がはっきりとする時代が来るとも思えないので。
勝者の野見宿禰はおそらく
その桜井市出雲の十二柱神社に鎮まっているのであろうと思っています。
そういえば中学生の時に
確か一つか二つか上の先輩が相撲界入門を目指されて、学校はもちろん橿原市や奈良県まで関わって
土俵作りやら練習環境を整えておられました。
何せ相撲発祥の地、奈良県の力士誕生の夢がかかっていたので。
何せ奈良県は相撲発祥の地でありながら
力士不毛の地であるため。
その方は責任の重さに耐えかねて、
逃げ出したと聞いていますが…。
昭和37年に大鵬・柏戸の両横綱を始め、理事長から幕内全力士が参拝に訪れたそうです。