☆武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵
(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)



大和国葛下郡
奈良県香芝市今泉
(事務所前に可能かと思いますが、普通車は真東の道からでないと曲がりきれません)



暴虐非道の天皇として紀には痛烈な事蹟で埋め尽くされている第25代武烈天皇。

妊婦の腹を裂いただの…爪を剥がして芋を掘らせただの…女を馬と交接させただの…とにかく内容はひどいもの。これは紀のみで、記には一切そのようなことは書かれていません。

このことについては、次の代の天皇 継体天皇が政権交替の上で即位したという説が根強くあり、それがこのような「下等評価」へと繋がったのではないかという見方もなされています。

怨霊信仰の強い古代日本において、これほど貶めることが怨霊にならないのか、それが不思議でならないのですが。

別に武烈天皇は実在しないとも。第16代仁徳天皇の高徳に反する無徳、第21代雄略天皇の暴虐性をミックスして創出した架空の存在であるという説も。

なお当地が武烈天皇陵に治定されてはいますが、否定的な見解も存在します。

広陵町みささぎ台の陵墓参考地(新山古墳)、狐井城山古墳ではないかとするものも。

当墳は志都美神社の北側に隣接しています。社叢は北側に広がり、一体化しているようにも見えます。街中でありながら原生林が残っており、古代より触ってはいけない聖地であったとのこと。かつてあった朱の小鳥居の扁額には「神籬樹叢」と記されています。

また等高線を追うと、整った等高線がまったく見られないことから自然山であり、古墳とは考えられないという見方もあるようです。

つまるところ志都美神社の何らかの祭祀跡だったのではないかと。かつて登拝できた頃には神籬跡らしき石組みを見つけています(2018年以前の参拝時に)。

*写真は2019年1月と2023年11月撮影のものとが混在しています。


入口が狭いため、手前側(東側から)入ってこないと難しいと思います。








濠があります。治定に合わせて拵えられたのでしょうか。

こちらが志都美神社境内の北側から広がる樹叢。現在は鳥居を撤去、進入禁止となっています。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。