◆ 「倭姫命世記」 血汗涙砕身物語 (7.■番外編■)
■過去記事
次回こそは!次回こそは!…と言い続け、
また「番外編」なるものを(謝)
倭姫命の登場を急くあまり、豊鋤入姫命や「倭姫命世記」には登場しない渟名城入姫命の、「甚大なる功労」を疎かにしていないか?
…ハタと気付きました。
如何に壮絶なものであったか、二姫の「甚大なる功労」を称える記事を設けねば!…と。
サラッとスルーしてたらアカンやん!…と。
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折しも現在は「コロナウィルス」が蔓延。
これは当時の状況と似たところがあります。
紀の記述。
「(崇神天皇即位)五年 国内に疫病多く 死亡する民が多くそれは大半であった」(大意)
ま…時代は進み、大半が死亡するようなことは無くなりましたが。
この原因不明の最大の国難に、崇神天皇は大いにうろたえます。
原因を探ると、大きく二つではないかという推論に達します。
◎大物主神をないがしろにしていたから?
◎天津神のトップ(天照大神)と、国津神のトップ(大和大國魂神)を、宮中で「同殿共床」にしていたから?
(ぶっちゃけ…相容れんもん同士一緒におったらアカンわな…と)
もう一方の「同殿共床」を回避するために、始動するのがこの物語。
そりゃもう…天津神の御加護、国津神の御加護が遥か遠のくわけで、
崇神天皇にしたら断腸の思い、不安で堪らなかったことかと容易に想像されます。
そして、
◎天照大神→豊鋤入姫命に託す
◎大和大國魂神→渟名城入姫命に託す
大和大國魂神は大和神社に鎮めました。
だから3月頭、この神に今回の国難のために、ご神威の発動を願い御祈祷を行ったのです。
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この大和大國魂神の神威は凄まじく、
渟名城入姫命は髪が抜け落ち、やつれてしまい、瀕死の状態となります。
まさに自らの命を懸け、国難を救って頂こうとしたわけです。
(渟名城入姫神社にも参らねば…)
「倭姫命世記」には記されていません。
紀によると、渟名城入姫命は髪が抜け落ち、やつれてしまい祭祀ができなくなったと。
そして市磯長市(イチシノナガオチ)にバトンタッチしています。
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一方豊鋤入姫命は天照大神の御杖代を奉戴し、
先ず「倭笠縫邑」に神籬を立てました。
これはそう遠くはない距離。
個人的には笠山荒神社の地と考えており、これはまたけっこうな深い山中。
標高500mほどでしょうか。当時は道無き道を命がけで登ったのではないかと。
続いて丹後へ向かいます。
今でこそ高速を使えば5時間ほどの距離。
何日かかったのでしょうか。
いくつの山を越えたのでしょうか。
どうしても丹後に向かわねばならない理由があったはず。そしてまた大和へ戻って来ねばならない理由もあったはず。
続いて「伊豆加志本宮」へ。
個人的には與喜天満神社が鎮座する「與喜山」の山頂、或いはそのすぐ目の前の長谷寺が建てられた山の山頂のいずれかと考えています。
ま…こちらもけっこうな山でして。
今でこそ道路が整備されており、中腹の與喜天満神社であれば軽い運動程度ですが。
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二姫の顕彰は以上です。
功労はこんな程度で済まされるほどのものではないと思いますが。
次回こそ三度目の正直!