笠山坐神社 (笠山荒神社)


大和国城上郡
奈良県桜井市笠2415
(P有)

■祭神
土祖神


「笠山」(「鷲ヶ峰」とも、標高480m)の山中にに鎮座する社。「三輪山」の東側(奥)にあり、単立の「三輪山」とは異なり奥深い渓谷となっています。遠くからは美しい三角錘の山にも見えることもあり、上古からの霊峰であったかと察せられます。神社庁への登録社名は「笠山坐神社」。
◎創祀については持統天皇亥年(687年)、荒神が役小角に神姿を現したというもの。開山したのは空海などという僧侶、霊峰を荒らしてしまったかと。また聖徳太子も参籠したとも。そして当山は三宝荒神などと称され、修験道のめっかとも成り果ててしまいました。
◎当地を元伊勢「倭笠縫邑」とする説があります。崇神天皇六年、天皇と同殿共床にあったものが皇居外で祀るようにと託宣があり、天照大神の御霊は各地をさ迷います。その最初が「倭笠縫邑」であり、まずここで33年間もの間奉斎されました。神籬を立てて皇大御神を祀り、豊鋤入姫命が奉斎したと紀には記されます。
◎大阪府神社庁の「伊勢の神宮」では「神浅芽原(かむあさぢはら)」を小夫天神社としています。そうすれば「倭笠縫邑」はやはり当社あるいは「鷲ヶ峰」山頂であったのではないかと考えています。小夫天神社から見る「鷲ヶ峰」がもっとも美しく、いわゆる神奈備山。その小夫天神社付近は斎宮であるとされ、数多くの関連史跡が伝承されています。他の候補地にはこれほどの関連史跡は見当たりません。
◎なぜ天照大神の御魂を皇居から持ち出さないといけなかったかについて、古来より多くの議論がなされています。それを外敵から守り所在をあやふやにさせるためであったという説もありますが、もしそうだとするなら当地は身近で格好の場所であったかと。目ざとい空海が当地に目を付けたのは、どうやら「倭笠縫邑」であったからだとも考えています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


表参道の鳥居。こちらから参る方は稀ですが。

修験道の施設。

こちらとは反対側の裏参道には「笠そば処」があり、その向こう斜面では奈良県唯一の蕎麦が栽培されています。それだけ寒暖の差が激しい場所ということです。






こちらが裏参道。

「笠そば処」駐車場から蕎麦畑を。