小夫天神社
(おおぶてんじんじゃ)


大和国城上郡
奈良県桜井市大字小夫字神前田3147
(二の鳥居前にP有)

■祭神
[中殿] 天照皇大神 (相殿) 大來皇女命
[東殿] 天兒屋根命 (相殿) 品陀別命
[西殿] 菅原道真


大来皇女が天武2年に斎王として伊勢に赴く前に、1年間潔斎のために留まったされる「初瀬(泊瀬)斎宮」の候補地の一つ。また天照大神の旅立った元伊勢「倭笠縫邑」の候補地の一つ。いずれも最有力ではないものの可能性を十分に感じさせる神社です。
◎麓を流れるのは「初瀬川(泊瀬川)」、背後に控えるのは「斎宮山」、いつの時代からそう呼ばれているのかは不明。隣村は「上之郷」であり「神の郷」とも。近くには豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)がお化粧をされた、また大來皇女が禊をされたと伝わる「化粧壺・化粧川」もあります。当社の奥宮や「斎宮山」のさらに奥には笠山荒神社も。奥宮には巨石が座しているとも(現地未確認)。
◎この笠山と小夫の間は「幸田」と呼ばれ、崇神天皇が行幸した地であり、社伝では「神浅芽原(かんあさぢがはら)」であるとしています。「初瀬斎宮」、「倭笠縫邑」伝承地となり得る材料は数多く揃っています。「日本地理資料」では当地を「倭笠縫邑」に比定しています。
◎当社の創祀時期は不明ですが、顕宗天皇485年に「殖槻也 田中之社也」と記される、樹齢推定1500年の槻のご神木があります。その頃には既に祭祀が行われていたと言えます。
◎また小夫郷については、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔一族である多氏が居住していたと考えられることが地名由来。元は「多部」であったということです。
◎なお当社の奥宮として笛吹奥宮というのが、2kmほど先に鎮座しています。こちらは笛吹山を御神体としており、当社との関連は不明。また当村の南入口に当たるところには道路に注連縄が渡されており、結界を張っています。北入口のところ(笛吹奥宮)の近くには「猿田彦之命」の巨石が座し、こちらも結界の役目を担っているかと思います。
◎ここを訪れるといつも思うのが、ただの田舎の農村地帯ではないということ。「泊瀬の隠口(こもりく)」は当地を限定したものではないかとも思っています。

※写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


ここが小夫天神宮の入口、「初瀬川」を越えたところ。奥に見えるのが「斎宮山」。






豊鋤入姫命と倭姫命を祀る境内社。


社務所横の樹齢1500年、槻の巨樹。




祓戸社。「斎宮山」と正対しています。

南の結界、勧請縄。