都賀那岐神社
(つがなきじんじゃ)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市榛原山路335 (「伊那佐山」山頂)
(登拝には30~40分程度必要)
(アクセスや駐車場は→こちらの記事参照)

■延喜式神名帳
都賀那木神社の比定社

■祭神
高龗神
頬那芸神(ツラナギノカミ)


標高637.2m「伊那佐山」山頂に鎮座する社。
「伊那佐山」は美しい山容であり、巨岩奇岩を抱えまた磐座群も座すことから、太古からの霊峰であり、いわゆる「神奈備山」であったと思われます。
「伊那佐山」を有名にしているのは神武東征神話に登場することから。紀に「楯並めて 伊那佐の山の 木の間ゆも い行き目守らむ 戦へば 我はや飢む 島つ鳥 鵜養が伴 今助けに来ね」と。
これは兄磯城・弟磯城(エシキ・オトシキ)との大決戦を控え疲れた軍兵を癒そうと、神武天皇自らが歌ったもの。「楯」を並べてと物々しい状態でありながら、空腹であるなどと。この山の西側は開けており、国見をするには格好の山。
◎創建時期については不詳。式内比定社であることから、10世紀始めには既に創建されていたことは確実と言えます。
「伊那佐山」西麓の八咫烏神社は当社の遥拝所として創建されたとも。仮にそうであるなら八咫烏神社の創建は慶運二年(705年)であるため、当社はその前には創建されていたと考えられます。社殿は無く磐座を直接拝する社であったかもしれませんが。
また別説として八咫烏神社そのものが当地に鎮座していたというものも。
◎神名帳においてのご祭神は一柱。高龗神または頬那芸神(ツラナギノカミ)どちらかの一座。
◎高龗神は紀の一書に、軻具突智神を斬った際に雷神、大山祇神、高龗神と順番に生まれた神。祈雨止雨の水神。江戸時代には貴船神社と称されていたようです。
◎頬那芸神はイザナギ・イザナミ神による神生み神話にて生まれた神(記のみ、紀には無し)速秋津日子神・速秋津比売神が生まれた後に、沫那芸神・沫那美神、頬那芸神・頬那美神、天之水分神・国之水分神、天之久比箸母智神・国之久比箸母智神と順番に生まれています。
これら一連の神は水神であろうと思われます。なかでも頬那芸神・頬那美神は、神名から「水面の神」と言えそうです。ところがこの山頂に川や池などがあったとは考えにくく、謎としか言いようがないところ。また社名からして原初からのご祭神であったように思います。
◎信仰対象であった磐座や巨岩などが、「伊那佐山」には随所に見受けられます。主だったものは境内すぐ近くの「立岩」(「天狗岩」か)、参道の2ヶ所の奇岩(柱状節理など)、北側からの登拝道の磐座。長き時代に渡り山全体が信仰されてきたように思います。

「伊那佐山」磐座、巨岩・奇岩 



中央が「伊那佐山」。山の西側より。


右折れしたところが参道。






境内すぐ近くの磐座。こちらが「天狗岩」でしょうか。