忍山神社 (亀山市)


伊勢国鈴鹿郡
三重県亀山市野村4-4-65
(境内西側にP有)

■延喜式神名帳
忍山神社の比定社
布氣神社の論社

■旧社格


■祭神
猿田比古命
[配祀] 天照皇大神 太玉命 天児屋根命
[合祀] 倭姫命 天照皇大神荒魂 大比古命 乙若子命 大若子命 天鈿女命 大山祇命 豊宇賀乃売命 神吾田鹿葦津姫命 饒速日命 大水口宿禰 忍山宿禰 建速須佐之男命 大穴牟遅命 伊弉諾神 伊弉冉神 木花開耶姫神 市杵島姫命 菅原道真 伊香我色雄命


亀山市「野村」という丘陵地に鎮座する社。
◎「式内社 忍山神社」とも、「式内社 布氣神社」とも、また元伊勢「奈其波志忍山宮(なごはしのおしやまのみや)」とも。これは西方すぐに鎮座する布氣皇舘太神社も同様。上記3つがどちらの社かに該当すると考えられ、現在は「式内社 忍山神社」と元伊勢が当社に、「式内社 布氣神社」が布氣皇舘太神社にということで概ね落ち着いているように見受けられます。ところがそう簡単には片付けられない複雑な歴史があるようです。
◎詳細は布氣皇舘太神社の記事にて。ここでは簡潔に記しておきます。まず布氣皇舘太神社が、かつて「旧野村」字の「布気林」に鎮座していたことからの社名であると。「野村」というのは当社鎮座地。ここからは推理の範疇ですが、布氣皇舘太神社は「布気林」から遷座され、その旧社地に当社が創建されたのではないかと。
当社にて「忍山」というのはどこかと伺ったところ、はっきりと特定はできず当地一帯ではないかとのこと。当社も遷座されてきた可能性も否定できません。
元伊勢というのは、垂仁天皇十八年に倭姫命が御杖代となり遷幸、「奈其波志忍山宮」に半年ほど鎮座したというもの。これは概ね布氣皇舘太神社と共通します。
◎創建に関しては、崇神天皇七年に勅命により
伊香我色雄命が猿田比古命を奉斎したというもの。素直に解せば、この霊地に元伊勢「奈其波志忍山宮」が鎮まったということに。少々解せないものですが。
なお伊香我色雄命の御子である大水口宿禰の裔が相次いで神主となったとされます。
◎当社のもう一つの出色は、日本武尊が当社に立ち寄り神主忍山宿禰の長女である弟橘姫(オトタチバナヒメ)を妃としたこと。弟橘姫は日本武尊に随伴、相模海が海神の怒りで荒れたため入水して怒りを鎮めたという伝承が残っています。忍山宿禰は大水口宿禰の御子であり、饒速日命九世孫。穂積氏の祖とされます。
この伝承からは、弟橘姫が神と結ばれる巫女ではないかとも捉えられますが、日本武尊との間には稚武彦王が生まれています。