水口神社(近江国甲賀郡)



■表記
大水口宿禰(オオミナクチノスクネ)
大水口足尼、大水口命、水口命


■概要
物部氏系で穂積氏の遠祖。司祭者であったと思われます。

◎紀の崇神天皇七年の段に登場します。
━━倭迹速神淺茅原目妙姫(ヤマトトハヤカミアサヂハラマクハシノキミ)・穂積臣の遠祖 大水口宿禰・伊勢麻績君(イセノオミノキミ)が共に同じ夢を見て天皇に奏上した。昨夜の夢に一人の貴人が現れて言うには、大田田根子命に大物主大神の神主として祭らせ、市磯長尾市(イチシノナガオチ)に倭大國魂神の神主として祭らせれば天下は必ず太平になると。天皇は夢の辞を得て大いに喜んだ━━(大意)と。

◎これは崇神天皇の御宇に疫病が国内に蔓延、国民の半分以上が亡くなるという国家の有事に憂慮していたのを受けてのもの。「三輪山」(大神神社)に鎮まる大物主大神を大田田根子命に、大和神社に鎮まる倭大國魂神を市磯長尾市に、それぞれ祭らせるようにとの神託を得たという有名な記述。

◎また垂仁天皇の記述の中の「一云」にも登場します。倭姫命を御杖として天照大神を奉戴、磯城嚴橿の根元に祀り、そして即位二十六年に伊勢国渡遇宮(わたらいのみや、=伊勢神宮)に移ったというのを受けてのもの。

━━この時に倭大神(倭大國魂神)は穂積臣遠祖の大水口宿禰に言った。太初の時伊邪那岐命より天照大神は高天原を治め、皇孫は葦原中國の八十神(国津神)を治め、我(倭大神)は大地官(地主神)を治めるよう命じられた。先代の崇神天皇は神祇を祭祀すると雖も、微細に源根を探らず枝葉は粗く留めてしまった。故に先帝は短命となった。先帝の及ばざるを悔いて慎んで祭れば、汝は寿命は延び、また天下太平となると(大意)━━

以上から天皇の側におり、天皇が政治を行う上での指針となる神託を仰ぐ司祭者であったものと思います。

◎「新撰姓氏録」には、「左京 神別 天神 穂積臣 伊香賀色雄男大水口宿禰之後也」と。また「右京 神別 天神 采女朝臣 石上朝臣同祖 神饒速日命六世孫大水口宿祢之後也」とも。

◎「物部大連穂積宿祢」系図には、伊香賀色雄(伊香色雄)と新河小楯姫との間の子とし、饒速日命六世孫と。これは「新撰姓氏録」と同じ。

◎一方で「先代旧事本紀 天孫本紀」には、出石心大臣命(イズシココロノオオオミノミコト)と新河小楯姫との間の子と記されます。
出石心大臣命は同書において饒速日命六世孫とあり、系譜に異同あり。

◎新河小楯姫は国忍富命の妹。国忍富命は天之御影命六世孫で、子には日子坐王の妃となった息長水依比売命。父は坂戸毘古命で天津彦根神の六世孫。

◎近江国甲賀郡に鎮座する水口神社では、大水口宿禰が当地を開拓したと伝えられています。おそらくは大和国山邊郡から移住したのであろうと思われます。



■系譜
◎父は上述の通り伊香賀色雄男または出石心大臣命。母は新河小楯姫。
◎妻は葛城宇那毘媛命(「亀井系譜」による)
◎姉妹兄弟には上述の国忍富命の他、大矢口宿禰命、大水比売命。
◎子には建忍山宿禰命(日本武尊の妃 大橘比売命・弟橘比売命の父)、大木足尼命、矢田稲置命(いずれも穂積氏系図より)
◎一説に内色許売命(鬱色謎命、大橘比売命の子とも)、大綜杵命(オオヘソキノミコト、オオヘツキノミコト)を子とする説も。一方で大綜杵命と高屋阿波良姫との間の子が伊香賀色雄(伊香色雄)であるとも。

◎少々横道に逸れるも氏族の連合関係を推測してみたものを掻い摘まんで。
*母である新河小楯姫は天津彦根神の嫡流 三上祝氏の国忍富命の妹。つまり物部氏と三上祝氏が合体。
*父の伊香賀色雄(伊香色雄)は物部系。その母は高屋阿波良姫であり、おそらく阿波出身。妃に磯城県主の真鳥姫が迎えられ、物部氏と磯城県主が合体。
子の物部十千根は尾張氏系の武諸隅命の娘 時姫を娶ることにより、物部氏と尾張氏が合体。
*また和珥氏系の日子坐王の妃に息長水依比売命が入ることで、和珥氏と息長氏が合体。
*高屋阿波良姫は阿波出身と思われますが、阿波忌部氏系ではないかと考えています。すると
ここで物部氏と阿波忌部氏が合体したのではないかと。


■祀られる神社 (参拝済み社のみ)
[伊勢国鈴鹿郡] 忍山神社(配祀)(大水口宿禰の裔が歴代神主を務める)

[近江国甲賀郡] 水口神社
[大和国城上郡] 水口神社
[大和国山邊郡] 祖霊社(大和神社境内社)


*関連社
[大和国山邊郡] 大和神社

[丹後国熊野郡] 伊豆志彌神社



大和国城上郡] 水口神社