☆上の山古墳 (天理市渋谷町)
大和国城上郡
奈良県天理市渋谷町上山416
(国道沿いにP有)
■形状
前方後円墳
■全長
144m(周濠跡有り)
■築造時期
4世紀末頃(古墳時代前期)
■埋葬施設
竪穴式石室
■出土品
形象埴輪(円筒埴輪、壺型埴輪、朝顔型埴輪、盾型埴輪)いずれも周濠跡より
■周辺の状況
くびれ部分に式内比定社 水口神社が鎮座
■被葬者
(不明)
景行天皇 山邉道上陵(渋谷向山古墳)の陪塚とされる古墳。宮内庁管理(つまり立入禁止)。
くびれ部分に水口神社が鎮座していますが、古墳と社地との境界がはっきりとはしていません。また立入禁止の案内等も無し。
参拝時に知らずに墳丘に踏み込んでしまっていた…などということもあったかも。ついでに埴輪片のようにも見えるものも拾ったことがあったかも。…この辺で止めておきましょうか。
現在は立入禁止と明確に案内があり、簡易な柵が設けられました。
そもそも140m超の古墳が、陪塚などということがあるのでしょうか。周濠を有する古墳が培塚などということがあるのでしょうか。
二基の巨大御陵に挟まれ影が薄いとはいえ、他所でこの時期のこの大きさであれば、それはもう準大王級、首長級のものかと。
古墳についてはまだまだ知見不足は否めませんが、陪塚ではないように思います。
被葬者を絞り込むには情報が少なすぎるため、非常に困難。
水口神社は東方より遷座されてきたとのこと。この古墳横に敢えて遷座させた…などという妄想も。
なお水口神社のご本殿は「日本武尊の母方祖母の墓の上に建つ」という地元伝承があるようです。
当地は日本武尊縁の地。500mほど北に東国平定に向かう際に戦勝祈願を行ったという伊射奈岐神社が鎮座。
日本武尊の母は播磨国出身であり、祖母がこちらに葬られることはなさそうですが、何らかの伝承が歪曲しているものかと思います。
*写真は過去数年に渡る遥拝時のものが混在しています。