伊射奈岐神社


大和国城上郡
奈良県天理市柳本町1899
(国道と反対の西側に2台程度のP有)

■延喜式神名帳
伊邪奈岐神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
伊邪奈岐神
菅原道真公


日本武尊が弟橘比売(オトタチバナヒメ)を后に迎えてすぐに東征を命じられ、戦勝祈願を行ったとされる社。このあと倭姫命の元へ向かい、草薙剣などを授かり旅立ちました。
◎旧社地は国道を挟み向かい側の行燈山古墳(崇神天皇陵 治定墓)の、さらに東隣の櫛山古墳(双方中円墳)の北側にあったとか。当地には天神山古墳があり、なぜここに遷したのか、いろいろな想像をさせられます。遷座は中世の戦乱で社殿焼失によるものとされています。
◎天神山古墳については行燈山古墳の培塚ではないかという説も。ところが培塚にしては103mという破格の規模であり、石室などもあることから培塚ではないとするのが有力でしょうか。国道建設に伴い破壊されたため、全形の把握は困難となっていますが。3~4世紀、最古級の前方後円墳です。
◎ご祭神については皇祖神として祀ったのであろうと思われます。日本武尊が祀ったものか、あるいは天神山古墳の被葬者一族の祖神を祀ったものか。社名は明治になってから変更されたもの。それまでは天満社などと称されていたらしく、式内社比定に関しては闇の中、確認のしようはありません。
◎有名な行燈山古墳の向かい、国道沿いにもかかわらず注目度の低い神社。由緒もかなりのもので天神山古墳もあることですし、 もう少し研究が進むことを期待します。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









境内社 建勲神社。日本武尊を祀っているように思います。



国道側からの参道。

最近はこの隙間に枯れ枝や枯れ草などが集められるようになりました。かつての磐座だったのでは?

この奥に天神山古墳があります。

見えずらいですが古墳を。ここからでは規模は分かりにくいものの103mの大きさ。