玉列神社
(たまつらじんじゃ)


大和国城上郡
奈良県桜井市慈恩寺383
(P有)

■延喜式神名帳
玉烈神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
玉列王子神
[配祀] 天照大御神 春日大御神


「三輪山」の南側、山腹に鎮座する大神神社の摂社。
◎摂社となったのは明治十年のこと。大物主神の御子神が祀られるとされています。「玉烈」(「神名帳」表記による)を「魂貫」と捉えるのが、今のところ有力でしょうか。つまり大物主の御魂を貫いた(引き継いだ)と。
◎創建時期については不明。「神名帳」編纂の延長五年(927年)には鎮座していたというところまで。どうやらいつの頃からか「玉烈」が「玉椿」へと転訛したようで、境内椿の群集を「玉列のつらつら椿」などと称しています。当時はこのような表記が見られ、万葉集にも「列列椿」と用いた歌があります。また近年より「椿まつり」も始まっているとか。
◎「太陽の道」の元説を出したことで知られる小川源三氏によると、大神神社を中心に穴師坐兵主神社の旧社地(ゲシノオオダイラ)と当社、秉田神社の間で太陽祭祀の関係があると。そして春日神社(芝)にはかつて大神神社の三ツ鳥居があったとしています(詳細は春日神社の記事にて)。当社ご本殿は南向き。真北が「三輪山」山頂にあたるため、当社を介して「三輪山」山頂を拝しているという格好になります。
◎一説には、雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」跡の近くでもあり、ヤマト王権の「三輪山」祭祀の南麓拝所というものもあるようです。
ところが近年の発掘調査により宮跡は、「脇本遺跡」が最有力候補地に。遺跡の中心地である春日神社の境内こそが祭祀跡、或いは拝所だったと考えています。

◎境内には「誕生石(子宝石)」などという磐座が座しており、「ヘイチョウ、カイチョウ」と三回唱えると…とあります。これが何を意味するのかは不明。磐座もいつの時代から座すのかもよく分かっていないようです。
◎なお以下の境内社4社が大神神社の境外末社となっています。祓戸神社(祓戸四神)・愛宕神社(火産霊神)・猿田彦神社・金山彦神社。

*写真は過去数年にわたる参拝時のものが混在しています。







境内社三社。左(向かって右)から金山彦神社、猿田彦神社、愛宕神社。

祓戸神社




「三輪山」へ少し踏み込んだ所にある赤井谷不動堂という仏教施設。原初は何らかの祭祀が行われていたのでしょうか。