上小倉神社


紀伊国名草郡
和歌山市下三毛508
(鳥居横に空きスペース有)

■旧社格
村社

■祭神
手置帆負命
[配祀] 誉田別命 伊弉諾命 伊弉册命 須佐男命


和歌山市の最東部、長閑な田園地帯「下三毛」に佇む社。
◎創祀は和銅年間(708~715年)とされています。創建由緒は不明。明治に改称されまでは「九頭神社」と称されていたとのこと。
◎「紀伊続風土記」によると「九頭」は「国主」であり、大国主神のこととしていますが、これは後世の附会によるもの。「紀ノ川」流域に多く鎮座する九頭神系の神社では磐排別神が多く祀られています。大伴氏の古系譜「古屋家家譜」に於いては、始祖を高皇産霊尊として、安牟須比命→香都知命(紀伊国名草郡 香都知神社)→天雷命(紀伊国名草郡 鳴神社)と続けています。( )内は補注安牟須比命・香都知命・天雷命は同神でカグツチ神のことであろうとも。それに続くのが天石門別安国玉主命。別名として大国栖玉命と大刀辛雄命(手力男神)であるとし、紀伊国名草郡の朝椋神社と同国同郡の九頭神社等で祀られると補注しています。つまり天石門別安国玉主命(大国栖玉命と大刀辛雄命)であろうと導かれます。
要するに大伴氏の祖神であろうと。また紀伊国造家や忌部氏も祖を同じくする同族とみなされます。主祭神二柱が忌部氏系であることから、忌部氏が奉斎した社とみてよいかと思われます。
◎御祭神は忌部氏の祖神天太玉命が率いたという「忌部五部神」のうちの、手置帆負命(讃岐忌部)彦狭知命(紀伊忌部)の二座が祀られています。
の祖神が祀られています。
◎かつては金銀銅を以て社殿を装飾し、華麗なこと界隅無比であったと伝わります。天正の兵火(1585年)に罹り社殿等の一切を焼失。慶長年間(1596年)に再建されたとのこと。
◎境内には磐座、あるいは磐境のようにも見受けられる岩が数体座しており、忌部氏が斎祀っていたという雰囲気を醸しています。これは天正年間(戦国末期)に僧侶が、蔵王権現社のある「新庄山」(当社の南方の山と思われる)から持ち運んできたとされています。当社の元の鎮座地であったのではないか、また紀伊忌部の古代祭祀場であったのではないか、などという想像も。そもそも紀伊忌部は主に材木の調達や社殿造営に活躍したと伝わっています。
◎かつて境内には「一葉松」という、楊枝のように一本の丸い葉となっていたものがあったとか。それが「歯治しの宮」となり、「はなしの宮」に転訛、現在は「はだしの宮」となっているという、少々節操のない話が伝わっています。

*写真は2019年4月と2025年4月撮影のものとが混在しています。


南面する鳥居脇にいつも停め置きしています。東側にも駐車スペース有り。

2025年4月参拝当時は桜が散り始めた頃。満開時は華やかに彩られているものと思われます。








手前の社殿は不明とのこと。

御本殿背後の二体の楠の巨樹。


「九頭大明神」銘の石灯籠。













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