朝椋神社
(あさくらじんじゃ)


紀伊国名草郡
和歌山市鷺の森明神丁22
(境内に駐車可、ただし宮司宅の車が停まっていると転回困難)

■延喜式神名帳
朝椋神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
大国主命


和歌山市の綺麗に区画された市街地内に、やや窮屈に鎮座する社。
◎地名に「鷺の森」とあり式内社でもあったことから、往古は広大な社地を誇る社であったかと想像されます。
◎創建年代等は伝わっておらず不明。「紀伊国神明帳」には「地祗 従四位上 朝椋神」と記載されています。「紀伊国神明帳」は平安末期~鎌倉初期頃に編纂されたとする説もある一方で、後世の成立とする説も。
◎「紀伊続風土記」には、「古樟の大樹有り白鷺常に群集りしかは土人鷺ノ森神社といへり又九頭大明神と称す」とあります。社名由来が記されていることと、九頭大明神であったという気になる記述も。
◎土佐国に朝倉神社(未参拝)が鎮座していますが、天石帆別命(アメノイシホワケノミコト)という国栖(クズ)の祖神を祀っていると「続風土記」は指摘。当社も本来は九頭神を祀っていた社かもしれません。
◎それを裏付けるのが「古屋家家譜」。難解とされている古代大伴氏の系譜ですが、もっとも史実に近いものを記載しているとも言われています。大伴氏の末裔が宮司を務める冨士浅間神社にて所蔵。
そこには始祖を高皇産霊尊(異論有り)として、安牟須比命→香都知命(紀伊国名草郡 香都知神社)→天雷命(紀伊国名草郡 鳴神社)と続けています。( )内は補注。安牟須比命・香都知命・天雷命は同神でカグツチ神のことであろうとも。
そしてそれに続くのが天石門別安国玉主命。別名として大国栖玉命と大刀辛雄命(手力男神)であるとし、紀伊国名草郡 朝椋神社と同国同郡 九頭神社等で祀られると補注しています。
◎これを採るなら、当社は大伴氏が祖神(天石門別安国玉主命=大国栖玉命=手力男神)を奉斎した社であるということになります。同じ名草郡内の刺田比古神社の境内社 大黒社(祭神/大己貴命)に於いては、「国を守る」神社という意味を込めて「国主神社」としたのが、転じて大国主命を祀る神社となったとしています。紀伊国内には同様の事例と思われる社が他でも見受けられます。
◎付近には弥生時代から江戸時代までの複合遺跡「鷺ノ森遺跡」があり、古くから発達した地であったことが分かっています。
◎かつて境内には松の大樹があり、本居宣長が「廣まへに緑も深く枝垂れてよにめつらしき神かきの松」という歌を寄せています。

*写真は2019年8月と2024年3月撮影のものとが混在しています。







境内社 子守勝手神社(天之水分神国之水分神)

境内社 神明神社(天照皇大神)




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。