植木神社 (伊賀市平田)


伊賀国山田郡
三重県伊賀市平田699
(P有)

■延喜式神名帳
葦神社の比定社
[境内社 鳥坂神社] 鳥坂神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
健速須佐之男命
櫛名田毘賣命
[配祀] 鳥鳴海神命 事代主神命 火之迦具土神命 品陀和氣尊命 菅原道眞命 大山祇命 猿田毘古神命 彌都波能売命 正哉吾勝々速日天之忍穗耳命 天之穂日命 天津日古根命 活津日古根命 熊野久須毘命 多紀理毘賣命 多岐津毘賣命 武甕槌命 市杵島姫命 少彦名命 宇迦之御魂命 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命 大日孁貴命 鹿島御子三十八神 大物主命 香香脊男命 五十猛神命 大稻輿命 大友皇子命 志那都毘古命 志那都毘賣命 安閑天皇 山田惟之命 大己貴命


伊賀の農村地帯「平田」に鎮座する社。
◎三重県は明治の合祀令を強圧的に進めましたが、当社も30社以上を合祀したというその一例。当社自体が式内社(論社)でありながら、当社の前身が別の式内社(論社)を合祀しておりさらに飲み込んだという複雑な歴史を持っています。
◎創祀に関する社伝は以下の通り。寛弘元年(1004年)出雲国意宇郡日御碕の住人 桃木某三男政守という者が、諸国の神社を拝遊していて当地に留まります。ある夜夢に神託があり「播磨国飾磨郡広峯山(広峯神社)より牛頭天王を迎奉れば 今流行の悪疫病を除き給ふ」と。郷人はそれを聞き直ぐに「広峯山」に登り天王を迎えて奉斎したというもの。鎮座地は「玉手村清水谷 鳥坂神社」の相殿。これに関しての資料は不足しており不明ながら、現在の式内比定社 鳥坂神社(以下「現在の鳥坂神社」)の旧社地も同じ山にあったようで、関連があるのかもしれません。そこは「鳥坂山」と称され、当地より東方の2kmほどの山。「現在の鳥坂神社」の旧社は「沢田明神」と称され、戦国時代の戦火で焼失したもの(天正九年・1581年)。そして「平田」(当地の南隣村か)と「出後」(当地の西隣村か)の両方に遷座されました。「平田」の鳥坂神社は他社に合祀された後に、さらに合祀されて山田神社となり、そこに当社が被さり植木神社へと変遷。「出後」の鳥坂神社はその山田神社に合祀され、以下同じに(植木神社となった)
◎一方当社の方は寛永二年(1265年)に洪水で流失、山田神社に被さり植木神社と改称されたというのが変遷の内容。つまり当地には元々山田神社が鎮座していたということになります。
◎この山田神社については資料が無く不明。洪水流失後の鎮座地は、枯れた榊を土中に差して一夜のうちに青々と茂った処をと占って定められました。それが山田神社のあった地ということでした。郡名を冠することから、山田郡の総社的な位置付けであったのでしょうか。
◎なお「祇園祭」は三重県無形民俗文化財の指定を受ける有名なもののようです。