☆ 小野妹子墓 (太子町山田)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町山田
(詳細住所不明、科長神社鳥居前より石段登る)
(P無し、科長神社の麓に駐車可)



これまで科長神社には何度もお参りしているものの、すぐ目の前の当墓を訪れるのは初めて。

どういうものか確認をしておきたかったことと、高台にあるため周囲を見渡せるため。この時代のことは専門外ですが。

当地は「二上山」南側を走る日本最古の官道、「竹内街道」の西側麓で少し南側。「磯長谷(しながだに)」と称されます。
また敏達天皇陵用明天皇陵推古天皇陵孝徳天皇陵、さらに聖徳太子御廟といった陵墓が集中し、「王陵の谷」とも称されます。

当地に小野妹子の墓があるというのはごく自然なこと。小野妹子は周知の通り遣隋使として派遣され、おそらくかの有名な「日出づる処の天使…」の国書を携えた人物。煬帝からの国書を紛失するという大失態もやらかしてますが(笑)

出身は近江国滋賀郡(現在の大津市)とされているようで、そこにある唐臼山古墳(未訪)も候補地の一つとか。墳丘上には小野妹子神社(式内名神大社、未参拝)が鎮座しているそうです。

つまり「延喜式神名帳」(延暦七年・927年)の時代は、唐臼山古墳が小野妹子の墓であると認識されていたのではないでしょうか。

当地(太子町)は「聖徳太子押し」、
大津市の方は「小野妹子押し」、

小野妹子に対しての温度差はかなりあります。
有力なのは当地の方のようですが、果たして…。

墓はもちろん古墳なのですが、どうやら「古墳」というよりも「墓」。学術調査も行われていないようで、名称も無し。副葬品があるのやら盗掘済みなのかなど、一切が不明。分かっているのは東西15m南北11mの楕円形であることくらい。

確かに墓は墓ですが陵墓でもないので、調査を入れるべきなのではないかと。小学生レベルの教科書にも登場するほどの人物ですし、生没年など不明なことが多い人物ですし。


科長神社の麓に停めました。


結構な石段を登ります。左手に少し見えるのは

科長神社の手水舎。





「二上山」を。