龍田大社 (龍田神社) 本宮跡


大和国平群郡
大阪府柏原市雁多尾畑
(P無し、「龍田古道」沿い)

■祭神



磐座5体が座す龍田大社の元社とされる社。
◎天武四年(675年)に龍田に風神を、廣瀬(廣瀬大社)に大忌神を祀ったと紀に記され、これが当地においての創祀かと思われます。「祠風神于龍田立野」と。
◎北西500m辺りに御座峰があり、そちらは龍田大神降臨の伝承地。これは崇神天皇の御代に疫病が大流行し凶作も重なり国力が著しく低下、天御柱命・國御柱命を「龍田山」に祀るようにと神託があったとされるもの。この二柱は一般に風神である級長津彦命・級長戸邊命とされます。
◎ところがこのニ柱は龍田大社に祀られる天御柱命・國御柱命ではなく、龍田神社の配祀神として祀られる龍田比古・龍田比売神のことではないかと考えています。
つまり崇神天皇の御代に「龍田山」の神霊が奉斎されたものの、後に天武天皇の御代に風神が被さって祀られたものかと。風神は龍田大社に鎮まりましたが、「龍田山」の神霊は追い出され龍田神社に侘しく鎮まっていると考えています。
◎磐座は5体あるとのこと。磐座を御神体とする祭壇跡が有り、残り4体は周辺に四散して座しています。一番下には石碑が屹立、こちらは後の時代に設けられたように思います。
◎現社地への遷座時期は伝わっていません。「延喜式」祝詞の「風神祭」には、「吾が宮は朝日の日向ふ處 夕日の日隠る處の龍田の立野の小野に 吾が宮は定め奉りて …(中略) 是を以て皇神(すめがみ)の辭(こと)教へ悟し奉りし處に 宮柱定め奉りて…」とあり社殿があるが如くの記述になっています。ところがこちらには宮柱を立てたような社殿跡は存在しません。
◎磐そのものはサヌカイトのように見受けられました。近くの河内国安宿郡に鎮座する国分神社境内には大量に散在しますが、こちらにもあったのでしょうか。そうすると記紀には著されていない、サヌカイトを巡っての遥か上古からの歴史があったかもしれません。

*大和国平群郡と河内国大県郡のどちらに鎮座するのか不明、記紀の記述を基に平群郡に含めます。

*写真は2018年4月と2022年2月撮影のものとが混在します。

車はいつもここに停め置き「龍田古道」を歩きます。「龍田古道里の山公園」駐車場入口より150mほど東へ進んだところ、道路向かいは墓地。

目印はこの立て看板。

「龍田古道」はとても良く整備され、また訪れる人を 楽しませてくれます。お手本となるべく保存整備のされ方ではないかと思います。


10分ほど「龍田古道」を歩くと到着します。

この分岐から2~3分ほど。

すぐに禊池跡らしきものが現れます。

10mほど先に左へ抜ける何人かの人の歩いた跡有り。そちらへ向かうといきなり祭壇跡に着きます。


ワープせずに道順通りに来るとこちらへ。ここまで15分程度。


すぐ横の急斜面を 登ります。

かなり滑るので要注意。滑るのを避けたいのなら、先ほどのワープ抜け道を 。

祭壇に到着。




左が二番目に高いところに座す磐座。奥に微かに見えるのが三番目に高いところに座す磐座。

三番目に高いところに座す磐座を正面から。

違う角度から。

高いところから四番目の磐座。

一番下の磐座。3度目のチャレンジでようやく5体すべて発見できました。

割れた磐座の断面。サヌカイトのように見受けられます。叩けば分かるのでしょうが、もちろん畏れ多くてそんなことは…。