龍田神社


大和国平群郡
奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6
(境内に駐車可、西側道路より進入)

■延喜式神名帳
龍田比古龍田比女神社 二座 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
[配祀] 龍田比古神 龍田比女神


法隆寺の西方、住宅密集地内に鎮座する社。
龍田大社の関連社といった捉えられ方をされる神社ですが、本来は異なる神社であろうとされています。また聖徳太子による創建とされていますが、これは後世の付会と考えられます。
◎現在は配祀に成り下がっている龍田比古神・龍田比女神、こちらが上古から鎮まるご祭神であり、主祭神である天御柱命國御柱命は後の時代に龍田大社から勧請されたものと考えています。
また聖徳太子が法隆寺という仏教施設の鎮守社として創建したとするのは、まだこの時代にそのような習慣が無く(習慣ができたのは奈良時代以降)、空想話と言わざるを得ません。この地域の聖徳太子人気にあやかったものかと。
◎龍田比古神・龍田比女神が「龍田山」の神霊であると捉えるなら、龍田大社よりも創祀は遥かに古く往時は後発の龍田大社よりも信仰は篤かったと考えられます。
崇神天皇の御代に凶作が続き帝自ら卜占いをもって占い、天神地祇を「朝日日照処、夕日ひ蔭処」である竜田山の聖地に大宮柱太敷立鎮座された━これが本来の創祀に関わるもの(内容から察してそれ以前から神祀りが行われていたとも考えられます)。
◎おそらくは神霊が鎮まる「龍田山」に製鉄鍛治氏族が入植、風神を祀る龍田大社が創建。時代の要請とともに社格がどんどん上がったと推測できます。
ところが「龍田山」の神霊に対する信仰は衰えることはなかったものの、いつしか龍田神社ではなく龍田大社の神であると誤認されるようになったのではないかと考えています。龍田大社の「本宮」に対して、当社は「新宮」などと呼ばれ、さらに摂社と成り下がっていた時期もありました。現在は龍田大社から独立しています。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






ご神木を祀る境内社




境内社

「金剛流發祥之地」の石碑