高鴨神社


大和国葛上郡
奈良県御所市鴨神1110
(P有)

■延喜式神名帳
高鴨阿治須岐託彦根命神社 四座 並名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
阿遅志貴高彦根命
[配祀] 下照比売命 天稚彦命 事代主命 阿治須岐速雄命


全国「カモ(鴨、加茂、賀茂)」社の総本宮で、鴨一族の発祥の地。一族の守護神として祖神を祀った神社であるとされています。
◎鴨族は上古より「大和葛城山」・「高天山(金剛山)」の麓を拠点とする氏族でした。弥生中期になり平野部へくだり農耕を初めました。そこで祀られたのが葛木御歳神社であり、鴨都波神社です。当社を「上鴨社」、葛木御歳神社を「中鴨社」、鴨都波神社を「下鴨社」と呼んでいます。
◎平野部へと進んだと同時に葛城氏が当地に入ってきます。鴨氏は葛城氏と共存したのか、それとも鴨氏は葛城氏により征服されたのかは意見が別れるところ。金剛山系の「白雲岳」をご神体とする高天彦神社は葛城氏の象徴の一つ。元々は「高天山(金剛山)」は鴨氏が霊峰としていたはず。また葛城氏が王朝を築いたとされる(諸説ありますが「王朝」としておきます)極楽寺ヒビキ遺跡は鴨族の拠点のど真ん中に、しかも葛木御歳神社鴨都波神社を見下ろす位置にありました。
◎個人的な見解としては、二族で祭政を分担し共存したと考えています。鴨族は製鉄鍛治(主に銅か)の技術を有していましたが、武器として使用した形跡が見られずもっぱら農耕用に。争いを嫌った氏族であると宮司さんも説いておられます。また一方、葛城氏は政治を執り行う氏族だったのではないかと。
◎また別説として、当社に和魂を高天彦神社に荒魂を祀ったというものも。いずれにしてもこの二社は葛城地方の最大の社と言えます。
◎アヂスキタカヒコネ神は大國主神とタギリビメ神の間の御子。もちろん大國主神は当地に痕跡はまったく無く、これについては主に二説挙げられています。鴨族が出雲より移住してきたとする説がまず一つ。もう一方は大國主神の別名であるオオナモチ神と葛城のオオナモチ神とは別神であるとする説。「御歳山」の南側(葛木御歳神社と反対側)に大穴持神社が鎮座しますが、当地の地主神であり出雲のオオナモチ神とは別神であるとするもの。後の時代に同神化されたようです。
◎アヂスキタカヒコネ神は農耕の神とも言われ、神名にある「鋤」は農具の鋤であるとも考えられます。ここでも争いを好まない牧歌的な農耕民族の雰囲気が漂います。
◎また祭祀族として関連するものとして銅鐸が葛城地域では二体出土しています。一体は鴨山口神社の東、もう一体は名柄神社(下照比売神)の西。ともに鴨氏に関わる神社の近く。
鴨氏は製鉄鍛治や農耕技術に長けていた他、医薬、陰陽道にも。役小角(エンノオヅヌ)も鴨氏の末裔、安倍晴明の師匠も鴨氏です。
◎当社のご祭神についてはアヂスキタカヒコネ神以外は不明。そのうち下照比売神は当確といったところでしょうか。妹神。現在は下照比売神の夫神である天稚彦命と母神であるタギリビメ神が祀られていますが、この二柱は記紀の影響を強く受けて祭神となったと考えられます。
◎鴨一族は全国に広がっていきますが、それは鉱脈を求めたものという側面もあります。まずは山城へ次に葛野へ、そして全国へ。山城国の南部、加茂町には岡田鴨神社があり、葛野国には上下賀茂社があります。いずれも藤原氏や秦氏の影響が強いと思われます。
◎境内は広大な社叢に覆われています。鉱脈の上に建つせいかマイナスイオンの発生度が高いのではと神職さん。社叢の中には東神社と西神社が離れたところに鎮座。東神社は天児屋根命・天照大神・住吉三神、西神社は多紀理毘売命の他、配祀神として天御勝姫命・塩冶彦命・瀧津彦命が祀られています。なお拝殿が2018年初頭に完成、ご本殿は少々見えにくくはなりましたがその美しさは思わず見とれてしまうほどのものです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









拝殿ができる前のご本殿。

2016年1月の写真。こちらもまだ拝殿はありません。一つ上の写真は2010年前後の写真であろうと思います。

東宮

西宮


ご本殿と西宮の間の参道。



池にはカモが。