(丹波国 天稚神社)



■表記
天稚彦、天若日子


■概要
◎高皇産霊尊により、高天原から葦原中国へ派遣された神。天津彦彦火瓊瓊杵尊を主(君主)に据えようと考えたが、邪神が多く居るので追い払い平定するために派遣されています。
最初に派遣されたのは天穂日命、続いて大背飯三熊之大人(オオソビノミクマノウシ)。いずれも失敗に終わり、3番目に派遣されたのが天稚彦。これは紀の記述によるもの。
一方、記においては天之菩卑能命に続いて2番目に天若日子が派遣されています。
紀では天国玉神の子、記では天津国玉神の子とこちらは記紀ともに同じ内容。

◎ところが天稚彦も失敗に終わります。顕国玉(ウツシクニタマ、=大国主命とされる)の娘である下照姫と結ばれ、葦原中国を支配しようと考えます。長らく報告が無いことに業を煮やした高皇産霊尊は、様子伺いに雉を飛ばします。天稚彦は高皇産霊尊から授かった弓矢で雉を射殺。その矢は雉の胸を貫通し高天原まで飛んでいきました。高皇産霊尊は血の付いた矢を見て、天稚彦が国津神と戦っているものと思います。そして葦原中国へと投げ返すと、それが天稚彦に刺さり死んでしまいました。

◎記においてもほぼ同内容の記述ですが、より具体的に表されています。高木神(この場面で高御産巣日神の表記が変わる)が「邪神を射るための矢であったなら天若日子には当たらない、邪き心が有るなら当たる」と言って、矢を葦原中国に突き返しています。

◎妻の下照姫が泣くのが天にまで届き、天稚彦の父である天国玉は遺体を天に引き揚げ、喪屋を造り殯を行いました。

◎一方、記においては同内容ながらも、天津国玉神は葦原中国に降り立ち殯を行っています。

◎天稚彦は生前に味耜高彦根神と交遊が有ったので、味耜高彦根神は天に昇り弔います。ところが二神は容貌がそっくり。天稚彦の親族妻子は「まだ生きていた!」と口を揃えます。味耜高彦根神は間違えられたことに怒り、喪屋を壊してしまいます。下界に落ちて、美濃国の「藍見川」の川上にある喪山と成ったと。

◎記においてもほぼ同内容、より具体的に表されているのみ。ただし上述のように下界で殯が行われています。

◎以上の記述を巡り様々に解釈が行われています。アメノワカヒコ神とアヂシキタカヒコネ神は同神ではないのか、紀において尊称がされていないのは反逆者と認識されていたからなのか、など。
他にも留意点が見られ、謎深い下照姫の夫神であることや、神名があまりに単純過ぎる(若い男性という意味)ことなど。

◎祀られている神社は非常に少ないように思います。調べた中では美濃国・山城国・近江国・丹波国で数社、出雲国・伯耆国で数社、大和国葛上郡の境内社として数社。(参拝済み社の中に何社かあったような記憶がありますが、今のところ思い出せません)。
下照姫は大和国葛上郡で多く祀られています。またアヂシキタカヒコネ神が祀られる総本山的な神社は、こちらも葛上郡の高鴨神社


■祀られる社(参拝済み社のみ)
[美濃国] 喪山古墳(天稚彦の墓所とさらる)

[丹波国] 小雨若神社


*主な境内社、配祀・合祀等
[大和国葛上郡] 高鴨神社
[大和国葛上郡] 葛木御歳神社