☆ 喪山古墳



美濃国不破郡
岐阜県不破郡垂井町垂井1966
(P無し)
(登拝口は冒頭写真の反対側、道路は広いものの住宅地であり停め置きは難しそう)



天稚彦の伝承墓。

非常に謎深い神であり、私自身もまったくその正体を掴みきれていません。

記紀には天孫降臨の2番目の神として地上へ遣わされます。最初の天穂日命派遣が失敗に終わり次に派遣されています。

ところが大国主命の娘の下照姫と結ばれ、8年間も復命しませんでした。さらに自分が地上の王になろうとして高天原を裏切ります。

そこで高天原司令塔 高皇産霊神は糾問するために雉を遣わしますが、天稚彦はこれを矢で射殺。ところがその矢が高天原に届き、地上に投げ返すとその矢に当たり天稚彦は落命。

そして喪屋が築かれ、そこに諮問に訪れた阿遅志貴高彦根命がそっくりであったため、天稚彦が生き返ったと人々は口にします。それに怒った阿遅志貴高彦根命はその喪屋を斬り倒した…と。

以上が大まかな記紀神話のあらすじ。
いくつか問題点や留意点が見られます。

まず下照姫は大国主命の娘ではないこと。朝鮮半島にいた姫神。ただし日本から朝鮮半島に渡っていた可能性は比定できないですが。

仮に下照姫と結ばれていたのであれば、大和の葛上郡または葛下郡を拠点としていた神のはず。

返し矢に当たったというのは、メソポタミアの「ミムロッドの矢」という民話に類型されると言われます。私自身はこの民話を知らないので何とも言えません。

そして亡き後にそっくり似た者が出現するのは「死と再生」の話であろうと思われます。天稚彦は「穀物神の生命力を神格化した神」と言われ、穀物の「死と再生」に民話「ミムロッドの矢」が融合したものなどと言われています。

ところが天稚彦が「穀物神の生命力を神格化した神」というのが、非常に府に落ちません。

例えば海神 安曇磯良が再生したと、神功皇后が捉えたのが武内宿禰ではないかと考えていますが、同じように阿遅志貴高彦根命は天稚彦が再生したと捉えられていたのかもしれません。

しかし天稚彦と阿遅志貴高彦根命に時代差は無く、もしそう捉えられたとすれば、亡くなってすぐに復活したということなのだろうと思います。したがって「生命力を神格化…」などという想像上の神ではなく、ともに実在した神であると考えます。

また阿遅志貴高彦根命は穀物神などではなく製鉄鍛冶神。そうすると天稚彦も鍛冶神であったのかとなります。

天稚彦については伝承地が少なく、痕跡がほとんど見えていません。

後に出雲国造家の祖となった天穂日命に続いての登板、大国主命や阿遅志貴高彦根命といった出雲の神が出てくるとなると拠点は出雲国なのか…

はたまた下照姫が出てきたり、阿遅志貴高彦根命は大和の神でもあったりするので、そうすると拠点は大和なのか…

ところが天稚彦に関する史跡が出雲にも大和にも見当たらないのです。代わりに近江国や美濃国に痕跡があるのです。これはどういったことなのか?今後も重点的に探っていきたい神であると思っています。



東側遠景

南側遠景

登板口は南側の住宅地から。今回は登拝していません。ネット情報では特に何も無いとのことですが。