OH MY GIRL デビュー秘話 | K-POPちょっといい話

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OH MY GIRLはWMエンタ所属、2015年4月21日にデビューした7人組ガールズグループである。 8人組でデビューしたが、2017年にジニが健康上の理由で脱退し7人組で再編された。

 

2010年代に流行した清純コンセプトブームに合わせてデビュー当初は清純コンセプトでデビューしたが、後にさまざまなコンセプトを消化しながら、自分たちだけのアイデンティティである「清純夢幻コンセプト」のイメージを獲得した。レゲエに挑戦した「Listen To My Heart」やバナナアレルギーを持ったかわいいサルに変身した「BANANA ALLERGY MONKEY」は特に冒険的・実験的な試みであった。これらは他のガールズグループとは差別的なイメージを獲得するのに寄与した曲となった。

 

2019年秋に「カムバック戦争:QUEENDOM」に出演した。2次コンテストで披露したLOVELYZのカバー「Destiny」と3次コンテストの「Twilight」がかなり話題を集め、映像を見た海外のファンが日常とファンタジーを行き来する特有の夢幻的なコンセプトに加え良質のパフォーマンスとしっかりとしたライブで武装したOH MY GIRLのプロフェッショナルなステージを見て「Fairy Crush」(妖精クラッシュ)という名前で呼び好評を得た。

 

 

そして、2020年4月「Nonstop」でカムバックすると、メロンを初めとする音源チャートで1位を獲得、さらに地上波3番組を含む音楽放送6番組完全制覇を達成し、デビュー以来最高の成績を収めた。2020年5月15日放送ミュージックバンクで1位を獲得すると、スンヒは「今まで助けてくださったすべての方々に感謝します。ミラクル(=ファンクラブ名)の皆さんがいるので私達はここまで来ることができた」とファンに感謝を伝えた。

 

 

ここでは、メンバー毎にデビューまでの道のりを紹介する。

 

ヒョジョン(94年生まれ)リーダー

 

小学2年から中学3年までの約7年間合唱団に属して各種大会に参加してステージ経験を積んだ。幼い頃に父と死別し母親とおばあちゃんに育てられた。ボーカル学院に通うため、ベビーシッター、焼肉屋、豚足屋、チラシ配り、ガールズグループのダンスを教える先生など、さまざまなアルバイトをした。その経験を通じて深い感性を持つことができ、歌うことに多くの助けになった。

 

17歳から複数の所属事務所で長い間練習生生活をした。2014年10月に現在の所属事務所WMエンタに入り、7ヶ月の間練習生生活をして、2015年4月ついにOH MY GIRLのリーダーヒョジョンとして正式デビューした。スマイルキャンディと呼ばれる常に笑顔が魅力的なリーダーだ。

 

 

ミミ(95年生まれ)ラップ担当

 

済州島生まれ、昌原市育ち。TNSボーカルダンスアカデミー出身である。姉の夢が歌手だった。そのため、学生時代にダンスサークルの練習をし行く途中でWMエンタのオーディションポスターを見て受験、合格した。芸名は本名であるキムミヒョンの中間文字である「ミ」を2回繰り返したもの。グループ内ではユアとともにダンスの実力を誇る。

 

 

ユア(95年生まれ)

 

ユアの夢は本人も何度も述べているように振付師だった。しかし、所属事務所がOH MY GIRLのダンサーを探す過程でスカウトされ、2014年秋、ヒョジョンとほぼ同時に入社した。OH MY GIRLのデビューが2015年4月なのでアイドル練習生期間はほとんどないにもかかわらず、ダンスに関してはアイドルというよりアイドルを教える講師によりふさわしいほどの実力が優れている。

 

ガールズグループのメンバーの中で常にダンスの実力者と言われているメンバーである。ユアは最初から最後までカメラが当たらなくても一生懸命笑って踊る。踊ること自体を楽しんでいるという感じを受ける。また、ラブリーとセクシーの両方が可能な唯一のメンバーである。

 

 

スンヒ(1996年生まれ)

 

幼い頃から歌手の夢を持っていた。小学校の時から民謡を学んで大会に参加するなど、基礎的な発声練習ができている上に大きな舞台に立つことにも慣れていた。小学校の先輩たちの卒業式で国歌を歌ったりもした。さらに、「スターキング」や「全国のど自慢大会」「スーパースターK2」などいろいろな種類のコンテストにも挑戦した。

 

15歳の時、2010年にはスーパースターK2に参加してスーパーウィークまで進出した。メンバーのビニが江原道春川市でスンヒの家の近くに住んでいて、路上でスンヒを見てはお母さんに「お母さん、テレビに出てくるお姉さんだ」と呼び、スンヒをロールモデルとしていた。しかし、スンヒはスーパースターK2では最終的にTOP 11本戦進出に失敗した。

 

その後、勇敢な兄弟の事務所であるブレイブサウンドなど複数の所属事務所を回って練習生生活を転々とした。ブレイブサウンドには2013年~2014年の初めまでいて、ソンミ「満月」、4MINUTE「Gain Weight」などの曲のコーラスとして参加した。2014年の末にWMエンタ入社後、1ヶ月後にデビュー組に確定し、 以後2ヶ月間練習生として過ごした。韓国芸術高校出身で防弾少年団ジミンと同じクラスだった。ブイとも同じ学校出身だ。

 

 

ジホ(1997年生まれ)

 

WMエンタが最初の会社であり、メンバーの中でWMエンタでの練習生生活が一番長い(4年)。

 

 

ビニ(1997年生まれ)

 

運動一家に育った。父がボクシングをし母親が陸上、兄は現役柔道選手である。このような家族環境のおかげで本人もかなりの運動神経を誇る。初出場した2015年アユクデでメダルを獲得するなど、アユクデのメダルを多数保有しており、いずれも陸上で獲得した。

 

ビニは小学生時代から芸能人を夢見て、子役としてドラマやCFに出演した。小学生の頃にプリティンという3人組ガールズグループの2期メンバーとしたこともある。

 

 

アリン(1999年生まれ)

 

釜山出身。デビュー初めには身長162~164cmであったが、現在は167cmに成長した。キュートなルックスと行動のために、男性ファンも多いが、女性ファン、特に姉のファンが多い。EXIDハニがアリンを非常に好きなのはファンの間でも有名だ。

 

 

<終わり>