今日の言葉は、誕生(たんじょう)です。
誰にでも誕生(たんじょう)日はありますが、今日は、私の家内の誕生日です。余り嬉しくないようです。女性はいつまでも若くありたいと願うものですが、こればかりは仕方がない。ただ、年齢という概念は、人間が作ったものですから、気にしなければ何ともないものです。私も、若い頃は、あ~大台に乗っちゃった・・等と嘆いてみたものですが、余り意味がありませんね。ある程度、年をとると、自分の年齢も、余り気にならなくなるようです。ただ、外見は如何せん年齢相応に変わってきます。いつまでも20代の若々しさを保つのは、誰にとっても不可能な事ですから。加齢による自分の外観の変化も、自然体で受け入れる事が良いと思います。
さて、誕生(たんじょう)ですが、誕(たん)とは、うまれる・・という意味の他、デタラメを言って欺くとか、我儘といった思いもかけない意味があるようです。ちなみに、この“誕”という文字を分解してみると、“言”と“延”の2文字となります。「誕(たん)」という文字は、“延”の文字(=引き伸ばす、範囲が広がるetc.の意味)と“言”という文字と結びつく事で、人との会話を通じて自分の世界が広がるようなニュアンスが含まれるかもしれません。また、生(じょう)は、勿論、産まれるという意味です。従って、誕生(たんじょう)とは、新しい生命の波動が広がる、といった意味になるのでしょう。その波動が、その後の人生の中で、正邪いずれにもつながる事には注意が必要です。子供は、楽しく平和な家庭環境の中で、素直で正直な子供に育つよう教育していきましょう。
振り返ってみると、私の子供達にも反抗期はありました。親の私にも、親として不安定な時期がありました。子も親も、そうした時期を乗り越えて成長していきます。親は、子の誕生から成長の過程を眺め続け、立派な大人に成長した事を見て安堵します。一方、子供の目線からは、親の安堵した姿をみて、別の意味で安堵感を感じているのかも知れません。話が横道にそれましたが、誕生日というものは、人生の一年毎の節目。いろいろな思いはあるのでしょうが、大切な日であることに違いはありません。