Kobakenの「努力は必ず報われる!」

Kobakenの「努力は必ず報われる!」

この世で最も美しいものは、無意識の親切(by Kobaken)

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所属しているゲームサークル(以下、「サークル」と表示)の30周年は、私の歴史の一部。

10月16日に30歳の誕生日を迎え、11月3日の「文化の日」に特別例会が行われ、懐かしい顔触れがそろった。

中には「20年ぶりに参加」という人もおり、ベテラン会員たちが昔話に花を咲かせていた。20年前では、小学生だった私はまだデビューしていない。

 

特別例会は13時から、いつもの都内の会場で行われた。

毎年、開催する月は決まっていないが、一つのゲームで大会が行われる。

参加するか否かは個人の自由だが、今回は30周年記念ということもあり、ゲームのルールも複雑ではないため、全員が強制参加となった。

運の要素が強いゲームで、5年前に私が決勝まで進出したこともあるゲームだった。

今回も景品を狙いにいったのだが、あえなく予選で敗退。

運をすべて使い果たすという事態からは免れた」。そういうことにしよう。反対に、優勝者は運を使ってしまったということか。

 

例会自体は17時で切り上げ、約50人が、会場の最寄駅付近のバーで行われる記念パーティーに参加することとなった(「記念パーティーだけ参加」という人も)。

スタッフ歴が長い大御所メンバーだけでなく、存命中の歴代会長も全員がそろう豪華なパーティーとなった(一人は昨年1月に逝去)。

 

私も先月の例会でパーティーへの参加を申し込んでおり、オシャレなバーへと向かった。

実は、5月の学校での新任歓迎会以来、半年ぶりのアルコールだった。私は新任だった年度の終わりに行われた先輩教員の送別会で泥酔して以来、飲酒は控えるようにしている。そのため、あまり気が進まない場合、飲み会は「家庭の事情」という口実で断っている(あまりにも頻繁に使うため、噓がばれるのも時間の問題か?)。

パーティーでは、中学生の頃によく一緒にゲームをしていただいた方と12~13年ぶりの再会を果たした。「よく一緒に遊んでいただきましたよね」とか、「お子さんが小さかった頃に私が遊んであげましたよね」など、挨拶を交わした。

中でも、「あの人」との再会を楽しみに、この日まで激務に耐えてきた。私の青春時代を語る上では外せない、思い出の美女だ。今や結婚し、OLと主婦を兼業している。

 

彼女は例会には参加せず、記念パーティーのみの参加だった。

パーティーでは、ほとんど年代ごとに着席し、私の知らない多数の大人たちが旧交を温めている。私の着席したテーブルも例に漏れず、彼女と私だった。

どうも、美女がそばにいると酒が進んで酔いつぶれてしまうところは、彼女と出会ったばかりの6~7年前と変わらないようだ。だが、顔を真っ赤にして酔っている私の話を聞いてくれたのは、本当にありがたい。

さらにありがたいことに、彼女にはようやく、私の「面白さ」がわかったようだ。「あなたって、ちゃんと話を聞いてみると、面白いじゃん。私、大人になったのかな」。そうです! 出会った当初は精神的な幼さが残っていたあなたは、人生の伴侶を得て、人間的にも成長したのです! 私がサークルに復帰してから彼女が見せてくれた優しさは、本物だった。私が受け持つ生徒も、今は幼くても、20代になったらそうなってもらいたい。「私も大人になったでしょ」って、小柳ルミ子の『お久しぶりね』の一節か・・・・・・。

 

その後、パーティーゲームで盛り上がり、参加できなかった古参会員からの祝電を聞きながら、宴会が終了した。

久しぶりに会った方々からは、幼少期を知られているだけに、私が酒を飲んでも許される年齢になったことに驚かれる。酔っているのだから、ますます驚かれる。調子に乗って、「美女が目の前に座ってたから、飲んじゃいました~!」と声高に言う始末だ。この性格、どうにかならぬのか・・・。

 

私は彼女と地元が同じということで、自分の最寄駅の直前まで一緒だった。

「あなたが酔っても面倒見ないからね!」と何度も言われているため、美女が目の前にいても、意識を失うほど酔うという事態は避けた。彼女は酒に強いのだが、逆に、もし彼女が酔いやすい体質で、私が酔いにくかったら、彼女の最寄駅のタクシー乗り場まで面倒を見てあげるのだが・・・・・・。

彼女を見送り、翌日からの授業へと戻っていった。二日酔いはなく、いつもと同じ様子で淡々と授業をした。

 

 

私は教員になってから、どこかひねくれ始めた。場合によっては、物事を斜めから見て、ああだこうだと愚痴をこぼすようにもなった。

だが、特別な人と一緒であれば、優しくなれる。この日は、彼女の目の前だったから優しくなれた。受験生をたくさん抱えているという職場での現実もひとときだけ忘れて、美女との特別な時間を過ごせた。

「次の合宿は来てほしい」。そう願わずにはいられなかった。だが、参加の可否はまだはっきりしていない。もしかしたら、次に会えるのは5カ月後、4月の花見かもしれない。

我々はすでに、交際していたという過去をどこかに置き去りにしてきた、性別の異なる友人同士という関係になっていた。いや、交際していたというのは、同じ期間に二人で見た共通の夢の話だったのかもしれない。互いの親以外誰も、我々の交際という事実をまったく知らない、もしくは覚えていないのだから。

機会があれば地元の繁華街で二人で飲みたいが、一方が既婚でもう一方が独身のため、難しいだろう。

 

それにしても、普通は別れた異性のもとに戻ってくることなど、考えられない。きっと、我々だからできたことなのだろう。どちらか一方が執念深い性格であれば、人間関係は絶対に修復できない。だが、我々は違う。むしろ、我々の人間関係は我々が出会ってからの7年間の中で最も良好だと私は信じたい。

だからこそ、「会って話をするのが楽しみだ」と、私は思えるのだ。

私を安心させてくれる魅力。私を優しい人間にしてくれる魅力。私を面白い人間にしてくれる魅力。それが、彼女の持ち味だ。

生徒が彼女しかいなかったら、性格も温厚で話も授業もネタも面白くて、信頼される教員になっているはずだ。

 

 

 

最後になりますが、30周年、本当におめでとうございます。

私もその30周年の一部になることができ、光栄です。

今後ともよろしくお願いいたします。

30年。

 

以前はよくこのブログで報告していたが、私は父と一緒に所属している某ゲームサークル(以下、「サークル」と表示)のスタッフをやっている。

そのサークルが10月に創設30周年を迎え、去る11月3日(木)、都内で記念パーティーが行われ、私も参加した。

この記事では、このサークルの歴史を私の動きと併せて紹介したい。

 

 

 

2001(平成13)年以前

1986(昭和61)年10月  サークル、都内で誕生

⇒当時は渋谷区に会場があった。私の父は黎明期からの会員の一人である。以降、月に1回例会を開き、個々人がゲームを持ち込んで遊ぶようになった。会社(または学校)も年代も違う大人たちが集まる娯楽が、ここに誕生した。なお、初期の会員の中に、コピーライターの糸井重里もいたらしい。

 

1988(昭和63)年4月  会報が創刊される

⇒当時はモノクロだったが、15年前からカラー印刷に。毎月の報告や、一人の会員のつぶやきなどを連載している。私も約10年前、合宿(後述)の感想を投稿したことがある。

 

  1989(平成元)年11月に私が埼玉県で誕生した。

 

1990(平成2)年4月  第1回合宿を実施

⇒基本的には2泊3日で、ホテルやペンションを貸し切り、温泉につかりながらゲームを楽しむ(とはいえ、ほとんどがゲームか飲酒だが)。この合宿を機に誕生したパーティーゲームも存在する。深夜までゲームをしても許される唯一の機会といっても過言ではない。だが、最近では会員の高齢化に伴い、夜遅くまで起きている人が減少傾向にある。

 

1993(平成5)年10月  デビュー

⇒3歳の頃なので記憶にないが、私はこの時にサークルデビューをしたらしい。両親に連れられて伊豆高原での合宿に行ったのだが、人見知りの激しい私は初めて見る人たちの前で萎縮し、親のそばを離れなかったらしい。

 

1995(平成7)年4月  第1回花見を実施

⇒3月の最終日曜日か4月の第1日曜日に行われる花見の第1回が、東京都立川市の国営昭和記念公園で実施された。以降、例外なく同地で開催されている。後述するが、この行事には様々な伝説がある。

 

2001(平成13)年6月  第1回バーベキューを実施

⇒花見と並ぶ二大野外イベントの一つ、バーベキューが誕生した。場所は花見と同じで、東京都立川市の国営昭和記念公園。野外イベントの幹事は毎年私の父だが、翌年の第2回は幹事不在。この年の6月、父は腹膜炎で入院しており、参加できなかったのだ。2004(平成16)年の第4回以降は東京都江戸川区の葛西臨海公園で行っていたが、2009(平成21)年の第9回を最後に実施されていない。

 

 

2002(平成14)年~2007(平成19)年  ~サークルとの関係の初期~

2002年7月  正式にデビュー

⇒当時中学生で、父に似てゲーム好きである私がデビューを果たした。例会の後に決まって打ち上げが近所の居酒屋で行われることも知ったが、さすがに中学生が行くのはまずいか・・・。そのため、打ち上げデビューは後になる。

 

2003(平成15)年4月  嵐の花見

⇒いつも雨が降らない花見だが、この年は台風の接近に伴い、関東地方に嵐が吹き荒れた。にもかかわらず、勇気ある幹事(私の父)は妻の制止を振り切り、雨天決行を表明。父もすごいが、ついてくる人たちもすごい。父の人望を実感した。昭和記念公園のログハウスの中で飲食をした後、立川市街地にあるカラオケでパーティーゲームを行い、ドリンクを持ってきた店員に変な目で見られていた大人たちがいた。この時の反省もあり、以降、野外イベントは雨天の場合中止となる。

 

2004(平成16)年8月  活動休止

⇒私は中学3年生になっており、高校受験を目前にしていたため、この時を最後に一時、活動休止に入る。

 

2005(平成17)年2月  合宿で復帰

⇒静岡県伊東市で開催されたゲーム合宿にて、復帰を果たす。ゲーム合宿の参加は12年ぶり。私立一本のため、進学先は決定していた。

 

2006(平成18)年1月  最年少参加者の座を譲る

⇒合宿参加者の中で最年少という意味。前年から会員の子どもたちが参加するようになっており、合宿で大興奮していた。最年少は4歳だった。小学生もおり、私は子どもたちに簡単なゲームを教えてあげた。その子どもたちも、今や中学生、高校生、大学生となっている。

 

2007(平成19)年8月  2度目の活動休止

⇒高校3年生だった私は大学受験に向けた勉強に専念すべく、翌年2月まで活動休止に。

 

 

 

2008(平成20)年~2013(平成25)年  ~運命の出会い~

2008年4月  スタッフ昇格

⇒高校を卒業して大学生となった私は、この年に新規スタッフとなり、親子スタッフが誕生した。だが、私がこの8年間で成し遂げた大きな仕事って・・・?

 

2008年8月  「父」との出会い

⇒この時、一組の親子が初参加。父親側はのちにスタッフとなり、現在は例会に欠かせない存在となっている。お子さんは男の子で、当時は中学生だった。この父親がのちに私の人生に深くかかわるようになり、自分が「第二の父親」と呼べる存在になることを、この時の私は知る由もない。

 

2009(平成21)年9月  突如現れたのは・・・

⇒男たるもの、どうしても美人には弱い。私も例外ではない。当時、大学での人間関係や高校時代の大親友との関係について落ち込みがちだった私の目の前に、突如現れた長い黒髪の美女がいた。いつものようにサークルで遊んでいると、私の目に飛び込んできた。この後の打ち上げにも一緒に行き、地元も同じということで帰り道の一緒だったこの美女が上記の「父」の長女で、この「父」よりも大きく私の人生にかかわることになる。彼女はどんな悩みでも真剣に聞いてくれ、どんなつまらない話にも笑ってくれた。以来、彼女に会えるのを楽しみに、サークルへと足を運ぶ日々が続いた。

 

2010(平成22)年7月  10日間の夢

⇒1年前に現れた女性と私はタイプが違うが、同い年ということもあり、すっかり意気投合。20歳になっていたこともあり、打ち上げで一緒に飲酒をする関係に。酒が強い彼女が一緒だと、私も飲みすぎてしまうようになった(私はビール2杯で酔うほど弱い)。そしてついに、初めて交際をしてもらえた。交際を承諾された日が、彼女の21回目の誕生日。プレゼントを渡して思いを伝えるという、ドラマのような展開だった。同い年だが大学生とOLという、身分の違うカップルが誕生した。お互いの両親にも認められ、この世の春を謳歌。しかし、長くは続かず・・・・・・。

 

2011(平成23)年3月  震災と活動休止

⇒この時、東日本大震災が発生。サークルもそのあおりを受け、節電のために開始と終了の時間を早めるようになった。だが、私は時間が早まっていた期間のことを知らない。前年の夏に起こった悪夢のこともあり、3度目の活動休止に。しかも、入学試験や就職活動と無関係の期間だったため、無期限の活動休止となり、普段からサークルでお世話になっている方々には心配をかけた。やはり、サークル内恋愛の失敗の痛手は大きく、この反省を生かし、現在高校教師の私は校内恋愛をしないことを心に誓う。

 

2012(平成24)年  大学院進学と教師への第一歩

⇒サークルを休んでいた私は大学院修士1年生となり、興味のある英語学を深く学び始めた。同時に、教師という目標も強く意識し始め、6月に母校で教育実習を行う。本業で充実していたことと、あの美女との関係のこともあり、この年には一度もサークルに参加していない。デビューから10周年という節目の時期だったのだが。

 

2013(平成25)年1月  大雪の合宿で復帰

⇒伊豆半島で行われたゲーム合宿にて、1年9カ月ぶりの復帰を果たす。私が以前交際していた女性の参加もあり、もはや楽しみどころか不安しかなかったのだが、久しぶりに会ったせいか、ますます温厚な性格の美女へと変貌を遂げていた。再び、友人という関係に戻った彼女と会えるのを楽しみにサークルに足を運ぶ日々が始まったが、彼女の参加頻度は激減していた。やはり、私との関係が一度おかしくなったのが原因か・・・。以来、彼女が参加するのは合宿と花見だけとなった(というか、合宿については、現時点でこの時が最後)。

⇒東京に帰る日、関東地方は朝から降雪。東海道線が神奈川県に入るや否や、倒木の影響でストップし、帰り道の我々は車内に閉じ込められる始末。私はこの日、アルバイト先の個別指導塾で高校3年生のセンター試験直前の最終調整を行うはずだったが、交通麻痺で帰宅が遅れるため、室長に代行を頼んだ。

 

2013年4月  花見決行

⇒開催当日の天気予報は、前日の夜まで「雨」。これより10年前の「嵐の花見」の反省もあり、「中止」という雰囲気になっていた。しかし、天気予報は外れ、サークル史上初めて、当日の朝に花見の実施を決定した。そのような事情もあり、参加者は10名を少し上回る程度だった。

 

 

 

2014(平成26)年~  激務の間の夢

2014年4月  就職

⇒教員免許を取得して母校の私立高校の教員採用試験にも合格し、大学院修了後、24歳で教壇デビューを果たした。経験の浅い新任にとって、教員の仕事は激務だった。それでも、参加できるのであれば今まで通りサークルに参加。以降、このサークルは私にとって、現実を忘れさせてくれる夢のような時間となった。就職を一緒に喜んでほしかったあの美女はもう・・・・・・。

 

2015(平成27)年1月  一瞬だけ参加の合宿

⇒私立学校の場合、中高併設となっており、1月には中学の入試が行われる。高校配属の教員でも試験監督や採点などの業務があるため、休日を返上しての出勤となった。1月の休日となると決まってサークルの合宿が行われるため、当然、合宿にも参加できなくなる。ところが、年に一度のビッグイベントに出たい私は、中学入試期間に休みが一日でもあれば、一瞬だけでも参加するようになった。この時が初めて、私が一瞬だけ参加した合宿に。入試業務が終わって5時に退勤し、8時頃の東海道新幹線で熱海まで40分で行き、そこから本数の少ない伊豆急行線でペンションの最寄駅まで行って夜10時30分頃に到着するというスケジュールが定着。帰りもサークルの方々とは一緒になれず、夕食後に一人で最寄駅まで向かい、新幹線で帰京するという忙しさとなった。だが、平成29年度中学入試は珍しく休日と重複しないため、今回は3年ぶりのフル参加となりそうだ。

 

2015年4月  うわさに聞いていた男性との出会い

⇒サークルで出会い、交際に発展し、その後悲劇まで経験させてくれたあの美女。温厚さを増した裏には、「結婚」という一大イベントがあった。これより2年前、6歳年上の会社員と結婚し、実家を離れたという。私の「第二の父親」である彼女の父親から、娘の結婚の話をすべて聞いたのだ。この時に毎年恒例の花見が行われ、彼女が初めて夫婦でサークル関連のイベントに参加した。ご主人は、私が自分の妻の交際相手だったことがあるという事実など知らずに、親切に接してくださり、感謝してもしきれない。6歳年上となると、90年代音楽が好きな私と歌謡曲の話が合う傾向にある世代。ご主人も例外ではなく、打ち上げで行ったカラオケで3曲ほどコラボさせてもらった。彼女が運命の相手と出会い、結ばれたことを喜びつつ、私は20代での結婚をあきらめ、独身生活を継続中。

 

2016(平成28)年11月3日  創設30周年記念特別例会

⇒私もサークルの30年の一部であることに感動しつつ、参加させてもらった。これからも、サークルの歴史は続いていく。

⇒なお、この日の様子については、次の記事で詳述する。

 

 

 

私の人生に楽しみをもたらしてくれたサークルの30周年は、言葉にできないほどめでたい。

子どもだった私を育ててくれ、青年になった私が美女と交際することを認めてくれ、教師となった私にひとときのやすらぎを与えてくれたサークル。

最近では若い芽も育っており、今後の発展が楽しみである。

久しぶりに更新してみた。


25日、大相撲秋場所が大盛況のうちに幕を閉じた。

大関・豪栄道の初優勝、しかも全勝。全勝優勝は日本出身力士としては20年ぶりの快挙で、初優勝が全勝というのは22年ぶりだという。


さて、大相撲というと上位ばかりが注目されがちだが、大相撲は幕内だけではない。

特に、幕下は面白い。大卒のホープに、高卒のホープに、じっくり力をつけてきた25歳前後の中卒力士に、若手の壁になろうとする30代のベテランに、関取の座を明け渡さざるを得なくなった力士に・・・。いわば、「サラダボウル」のようなものだ。


今日、九州場所番付編成会議が開かれ、その幕下を抜け出して十両に昇進する力士を発表した。

新十両が3人、再十両が2人である。



新十両   小柳 亮太  Ryota OYANAGI

本名同じ

⇒本名を四股名とする関取の誕生は、平成28年夏場所の宇良(木瀬、現・十両)・佐藤(貴乃花、現・十両)以来3場所ぶり

部屋: 時津風(元前頭3・時津海)

⇒時津風部屋からは、平成27年秋場所の正代(現・幕内)以来7場所ぶり

出身: 新潟県新潟市中央区

⇒新潟県からは、平成16年九州場所の豊乃國(新潟市、時津風、元十両13)以来71場所ぶり

生年月日: 平成5年9月22日(23歳)

⇒平成5年生まれとしては、平成26年名古屋場所の大栄翔(追手風、現・幕内)以来14場所ぶり

身長・体重: 185センチ 171キロ

最終学歴: 東京農業大学

⇒東京農業大学からは、平成27年秋場所の正代(時津風、現・幕内)以来7場所ぶり

初土俵: 平成28年春場所 三段目100枚目格付出

⇒平成28年春場所初土俵の力士としては初。今年新設された三段目100枚目格付出適用者第1号


今年春場所、新設制度である三段目100枚目格付出が適用された初の新弟子となり、同じ制度を適用された石橋(高砂、現・幕下)と同期で初土俵を踏んだばかり。秋場所は3連敗から4連勝で勝ち越しを決め、勝負強さを見せつけた。師匠によると、プロとしての資質は、大学でも部屋での先輩にあたる、ネガティブ発言が注目されてばかりの正代よりも上だという。時津風部屋は、ベテラン・時天空(現・間垣)が悪性腫瘍との闘病の末に引退し、同じくベテラン・豊ノ島もアキレス腱断裂の重傷を負い、九州では12年ぶりに幕下に陥落することが決定的になるなど、この1年で環境が激変した。若い芽が伸びているということなので、しばらくは正代とともに部屋を盛り上げてほしいが、幕下で取ることになる豊ノ島も刺激を受け、若手とともにまだまだ健闘してほしい。




新十両   大翔鵬 清洋  Kiyohiro DAISHOHO

本名: チミデレゲゼン・シジルバヤル

部屋: 追手風(元前頭2・大翔山)

⇒追手風部屋からは、平成28年初場所の剣翔(現・十両)以来5場所ぶり

出身: モンゴル・ウランバートル市

⇒モンゴルからは、平成28年初場所の千代翔馬(ウランバートル市、九重、現・幕内)以来5場所ぶり

生年月日: 平成6年8月28日(22歳)

⇒平成6年生まれとしては、平成27年春場所の阿炎(錣山、現・幕下)以来10場所ぶり

身長・体重: 182センチ 140キロ

最終学歴: 千葉県立流山南高校

⇒流山南高校からは、平成27年春場所の阿炎(錣山、現・幕下)以来10場所ぶり

初土俵: 平成25年春場所

⇒平成25年春場所初土俵の力士としては、平成25年名古屋場所の遠藤(追手風、現・幕内)以来20場所ぶり


またしてもモンゴル出身関取が現れたが、この力士の場合、生い立ちが変わっている。力士になると同時に来日したのではなく、9歳で来日して日本で教育を受けた。高卒と同時に、人気者・遠藤と同じ部屋から同期で初土俵を踏む。1年以上幕下1ケタ台の壁を破れずにいたが、ようやく関取の座を手にした。おっとりした性格で、本人いわく「面倒くさがり屋」だが、部屋に大勢いる関取衆から刺激を受けながら、さらに上を目指してほしい。四股名は師匠の大学と部屋の後輩と同音だが、こちらは「大翔鳳」と書いた。こちらの「ダイショウホウ」は三役までは早かったが、最後はケガに苦しんで引退し、膵臓癌も見つかって32歳で逝去。現在の「ダイショウホウ」は、幕下上位で苦労した分、大輪の花を咲かせてほしい。同期生・遠藤の人気と活躍も刺激になっているだろう。




新十両   明生 力  Chikara MEISEI

本名: 川畑 明生(Meisei KAWABATA)

部屋: 立浪(元小結・旭豊)

⇒立浪部屋からは、平成23年名古屋場所の飛天龍(現・三段目)以来32場所ぶり

出身: 鹿児島県大島郡瀬戸内町

⇒鹿児島県からは、平成26年名古屋場所の若乃島(奄美市、芝田山、現・十両)以来14場所ぶり

生年月日: 平成7年7月24日(21歳)

⇒平成7年生まれとしては初

身長・体重: 180センチ 120キロ

初土俵: 平成23年夏技量審査場所

⇒平成23年夏技量審査場所初土俵の力士としては、平成25年秋場所の照ノ富士(伊勢ヶ濱、現・大関)以来19場所ぶり

⇒中卒の力士としては、平成27年夏場所の錦木(伊勢ノ海、現・幕内)以来9場所ぶり


高卒や大卒、外国人が目白押しの角界において、久々に中卒たたき上げの日本人関取が誕生した。相撲が盛んな地に生まれ、幼少期には野球と相撲に親しんだ。角界が八百長問題で揺れる中で初土俵を踏むと、2年で幕下に上がるなど、出世は順調だったが、「引退を考えたこともある」ほどの腰のヘルニアに悩まされ、4度の三段目陥落の憂き目にあった。十両の残り1枠を同部屋で同期の幕下・力真との競合の末に勝ち取り、21歳で十両に昇進した。力真が5勝で明生が4勝だったが、番付は明生のほうが上だったため、出世争いで先を越した。ただ、本人は昇進できるかどうかわからずに不安だったという。かつて69連勝を誇った横綱・双葉山を擁した立浪部屋だったが、昭和62年の第61代横綱・双羽黒の不祥事による引退以降は勢力が衰えた。平成に入って日大出身力士が関取として活躍したが長くは続かず、現在は関取ゼロ。しかし、有望な若手が幕下に名を連ねており、今回の明生の昇進は、部屋の同世代の幕下ホープに刺激を与えたはずだ。




再十両   山口 将大  Masahiro YAMAGUCHI

⇒平成26年夏場所以来15場所ぶりの十両復帰

本名: 山口 雅弘(Masahiro YAMAGUCHI)

部屋: 宮城野(元前頭13・竹葉山)

出身: 福岡県飯塚市

生年月日: 平成元年5月13日(27歳)

身長・体重: 182センチ 152キロ

最終学歴: 日本大学

初土俵: 平成24年春場所 幕下15枚目格付出

新十両: 平成24年秋場所

新入幕: 平成25年夏場所

最高位: 西前頭16(平成25年夏場所)


九州場所で十両に復帰した関取は2人いるが、いずれも長い苦難の日々を経て復帰しただけに、感慨もひとしおだろう。1人目は、アマチュア時代から名が知られていた元幕内・大喜鵬の山口である。鳥取城北高校1年で高校横綱に輝き、日大に進学。大学時代にはすでに幕内クラスの力を持っており、アマチュア時代の19個のタイトルを引っ提げ、横綱・白鵬の内弟子第1号として宮城野部屋から初土俵を踏んだ。

1年で幕内まで駆け上がったが、新入幕の場所では下半身のもろさを露呈させ、3勝に終わる。そこから長い闘いが始まった。腰の手術だけでなく、甲状腺の病気「バセドー病」にも悩まされ、番付は三段目まで降下。平成27年春場所に本名の「山口」に戻しても効果が出ず、翌場所では自己最低地位となる三段目65枚目まで下がった。その時、中学から大学までの同級生で相撲部のチームメイトでもあった部屋の後輩・石浦が新十両を決めたばかりだった。

上記の自己最低地位からは負け越し知らずで番付を上げていき、苦労の末にようやく十両まで戻ってきた。生活態度の改善も見られ、以前はコツコツと努力をするのを避けてきたが、現在では目標を決め、それに向かって真剣に取り組んでいる。また、力士というと硬派なイメージだが、山口の場合は正反対で、無類のおしゃべり好きな上に目立ちたがり屋で、3年前には人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の後ろで軽快に踊っていたこともある。そうした現代風の力士だけに、番付を上げていけばおのずと人気も出るだろう。四股名については、「以前の自分を超えるまでは本名のまま」だという。下積みをあまり経験せずに関取になった力士よりも、下で長く苦労した力士のほうが大成するもの。以前パッと咲いてパッと散った花は、今回はしっかり根を下ろして咲くはずである。




再十両   竜電 剛至  Goshi RYUDEN

⇒平成24年九州場所以来24場所ぶりの十両復帰

本名: 渡邊 裕樹(Yuki WATANABE)

部屋: 高田川(元関脇・安芸乃島)

出身: 山梨県甲府市

生年月日: 平成2年11月10日(25歳)

身長・体重: 192.5センチ 141キロ

初土俵: 平成18年春場所

新十両: 平成24年九州場所

最高位: 西十両12(平成24年九州場所)


もう一人の十両復帰力士は、中卒たたき上げのホープと目されたこともある竜電。先の山口とは学歴も性格も正反対で、どちらかといえば師匠に似て古風で武骨なイメージだ。平成生まれの関取第1号は大関取りの資格を手にした関脇・高安(田子ノ浦)と、長期休場からようやく復帰した人気者の序ノ口・舛ノ山(千賀ノ浦)だが、当初は竜電が平成生まれとして初めて関取になるだろうと予想されていた。

中学時代、師匠が学校を訪問し、「男の中の男になれ」という誘い文句で入門を決意した。貴乃花・稀勢の里と同じく17歳で幕下に上がり、次世代のホープとの呼び声が高かったが、そこから長い幕下生活へ。特に、新弟子検査の時点から注目されていた同じく中卒である弟弟子の輝(現・幕内)に番付で抜かれたことで闘争心に火がつき、その場所で幕下優勝を果たして十両昇進を決めた。

師匠が「十両は通過点のつもりで」と期待していたが、新十両の場所途中で股関節を痛め、休場。十両だった番付は坂道を転げ落ちるように急降下し、気づけば序ノ口まで落ちていた。序ノ口で全休すると番付外に陥落することになるため、それを阻止すべく場所の最終盤だけ出るという生活が4場所も続いた後、序ノ口、序二段、三段目といずれも全勝優勝で通過し、幕下まで戻ってきた。その後しばらく足踏みが続いたが、秋場所で西幕下2枚目の地位において勝ち越しを決めたため、4年ぶりの十両復帰となった。十両陥落後の最低地位は平成26年秋場所での西序ノ口17枚目で、昭和以降3番目に低い地位からの復帰。陥落の原因となったケガに気をつけていれば、厳しすぎる師匠の指導下で、今度こそ入幕を目指せるはずである。

7月も終わろうとしていた昨日、耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。


第58代横綱・千代の富士の九重親方死去


ウルフが死んだ? 私は外出先から帰る途中の電車の中で、大声で叫びそうになった。

もし叫んだら、同じ車両に乗っている中年たちが、「あんちゃん、それは本当なのか?」と確かめたことだろう。



九重貢。本名は秋元貢。昭和30年6月1日、北海道松前郡福島町で誕生した。

入門のきっかけは、「手術」だった。中学時代に盲腸炎を患い、手術を受けたのだが、腹の筋肉が厚かったため執刀医が手こずり、そうこうしているうちに麻酔が切れてしまった。それでも痛みに耐える秋元少年に感服した医師が、知り合いだった当時の九重親方(第41代横綱・千代の山)を紹介し、入門に至った。口説き文句は、「飛行機に乗せてやる」だった。当時、飛行機に乗るというのは珍しい経験で、郷里の福島町長すら乗ったことのない乗り物だった。こうして、中学在学中の昭和45年夏に飛行機で上京し、九重部屋に入門。秋場所で初土俵を踏んだ(当時は中学生の入門が許可されていたが、昭和46年より禁止となる)。


のちの大横綱としては珍しく、スピード出世とは程遠かった。同世代の北の湖(第55代横綱)は瞬く間に番付を駆け上がって21歳で横綱の座をつかんだ。しかし、北の湖が横綱になった頃、千代の富士は新十両。そして、昭和50年秋場所で入幕した。とはいえ、関取になった当時で19歳、入幕時点で20歳、初土俵から5年での入幕だから、遅いとは言えない。その頃から「ウルフ」の異名を取ったのだが、この異名の由来は土俵上の相撲ぶりではなく、ちゃんこに出す魚をさばく仕草がオオカミに似ていることからついたという。


だが、千代の富士はこの頃から、生涯ついて回る「脱臼」に苦しむようになった。当時の伊勢ヶ濱親方(元大関・清國)がうまく肩をはめることができることで有名だったが、千代の富士の肩は伊勢ヶ濱親方にはめてもらっても何度も外れた。思い切って休場に踏み切り、肩に筋肉の鎧をまとって外れにくくした。脱臼に苦しんでいる間に、「入幕後幕下陥落」「三役昇進後十両陥落」という、大横綱には珍しい回り道をしている。また、その間に、自らをスカウトしてくれた師匠の九重親方が逝去し(昭和52年)、部屋は兄弟子の第52代横綱・北の富士が継承した。


さらに、貴ノ花(元大関、前・二子山親方)のアドバイスでタバコもやめ、健康にも気を遣うようになったことが、のちの相撲人生での出世につながった。千代の富士フィーバーが巻き起こったのは、昭和56年だった。年明けの時点ではまだ関脇だったが、春場所で新大関に昇進。大関3場所目の名古屋場所では綱取りに挑戦。千秋楽に北の湖を撃破し、2度目の優勝と第58代横綱の座を同時に手中にした。


しかし、新横綱として迎えた秋場所はライバル・隆の里(第59代横綱、前・鳴戸親方)との一番で足を負傷し、新横綱が途中休場という憂き目を見た。だが、九州場所では千秋楽に朝汐(のち大関・朝潮、現・高砂)との優勝決定戦を制し、3度目の優勝。以後、平成元年に小錦(元大関、現タレント・KONISHIKI)が制覇するまで、8年連続で九州場所を制した。細身の筋肉質な体型と精悍な顔立ち、豪快でスピード感あふれた取り口から、若い女性や子供たちの間でも人気を博し、アイドル的な人気を得て「ウルフフィーバー」を日本に呼び起こした。


この当時、力士は30歳を迎えると「引退」という言葉がちらついてくる時期に差しかかる。しかし、千代の富士の全盛期は、むしろ30代に突入してからだった。昭和63年には、33歳だったが、夏場所7日目から九州場所14日目まで、当時歴代2位の53連勝を記録した(平成22年に白鵬が63連勝まで伸ばしたため、現在は3位)。奇しくも昭和最後の取組となった九州場所千秋楽、同じ横綱の大乃国(第62代横綱、現・芝田山)に敗れている。


また、子煩悩パパとしても知られ、片手に天皇賜杯、もう片方の手に子どもを抱いている写真が何枚も雑誌の表紙を飾った。昭和58年に誕生した優さん、昭和61年誕生の剛さん、昭和62年誕生の梢さんも賜杯を抱いた父に抱かれており、元号が平成に変わってから誕生した三女の愛さんも平成元年春場所で写真に納まった。だが、その3カ月後、愛さんは乳幼児突然死症候群により、わずか4カ月という短すぎる生涯を終えた。千代の富士の精神的なショックは大きく、師匠・九重親方も「相撲どころではない」とコメントしていた。直後に行われた名古屋場所では「土俵に上がることがせめてもの供養」と、数珠をかけて土俵に上がった。その場所、千秋楽で弟弟子で同じ横綱の北勝海(第61代横綱、現・八角)を破り、奇跡の優勝を果たすという、感動的なシーンを作り出した。秋場所では通算白星の新記録を達成し、平成元年9月28日、相撲界からは初の国民栄誉賞を時の内閣総理大臣である海部俊樹より授与された。相撲協会もこの功績を大きく評価し、引退後の一代年寄「千代の富士」を満場一致で承認するが、本人は「自分だけで終わってしまうのは望ましくない」という理由で辞退している。


35歳になり、横綱在位も10年目に入ると、長く闘ってきた身体は限界を悟り始めていた。平成3年夏場所初日、日本中が待ち望んだカードが実現。この1年前に入幕したばかりの18歳の貴花田(のち第65代横綱・貴乃花、現・貴乃花親方)との取組に、日本中が沸いた。実は、これより10年前、貴花田の父である貴ノ花は千代の富士に敗れたことで引退を決意したのだ。父の因縁の相手を、わずか18歳の若い息子が破り、貴花田の人気が高まった瞬間となった。千代の富士はこの貴花田を「勢いのある若手が出てきた」と絶賛し、引退を決意。最後の取組は同場所3日目で、新鋭の貴闘力(元関脇、先代大嶽)に敗れた日に引退会見を開いた。「ウルフ」と呼ばれた大横綱が身体を小さくし、目を真っ赤にしながら、「体力の限界!」と振り絞った。


引退後は年寄「陣幕」を襲名し、九重部屋で指導に当たっていた。しかし、平成4年4月、師匠の九重親方が50歳ではあったが、まだ36歳と若い陣幕に部屋を譲渡することを決意し、名跡交換を経て千代の富士が部屋を継承した。その直後の夏場所前、若い頃に同じ部屋で鍛えてきた弟弟子の北勝海が腰痛悪化のため、28歳で引退。九重は新師匠として弟弟子の引退会見に同席した。大きな看板を失った九重部屋だが、カリスマ的人気を誇った千代の富士が継承したということで、ここからの数年間は入門する新弟子が後を絶たなかった。しかし、師匠との軋轢がこの頃から生じ、平成5年秋場所後にやはり自分の弟子にあたる北勝海が九重部屋から独立して八角部屋を興すと、陣幕は君ヶ濱(元関脇・北瀬海)、谷川(元前頭4、白田山)を連れて、こぞって八角部屋に移籍した。九重は30~40人を誇る所属力士を一人で指導しなければならなくなった。


千代の富士が部屋経営者として注目されたのは、平成11年初場所だった。この場所、関脇4場所目の愛弟子・千代大海(元大関、現・佐ノ山)が横綱・若乃花(第66代、現タレント・花田虎上)を追う形で優勝を争っていた。千秋楽、1差でリードする若乃花を本割で降して優勝決定戦に持ち込む。優勝決定戦では、はじめは微妙な判定で物言いがつき、取り直しの一番で千代大海の逆転優勝が決定。天皇賜杯は当時審判部長だった九重が直接手渡した。また、大関取りの場所でもあったため、新大関の座も同時に獲得。愛弟子は一夜にして人気者となった。実は、千代大海は九重が継承した年に入門した新弟子だった。中学時代は手のつけられない不良少年で、卒業後は高校にも行かず、就職もせず、悪い仲間とつるんでいるというすさんだ生活ぶり。見かねた母親が、「何のために育てたのかわからない。もう私は死ぬ。でも、あんたも一緒に死のうか」と息子に包丁を突きつけると、龍二少年(千代大海)は「相撲に行くから九重部屋に連絡してくれ」と言って母親を驚かせた。相撲のことをよく知らなかった大分の不良少年までもが知っている「最強の存在」のもとで修行を積むこととなり、さっそく九重部屋を訪問。その時、九重は剃り込みの入った金髪の頭を見て「それをなんとかしてから来い!」と一喝。悪童がすくみ上がり、丸坊主にすると、「親孝行がしたくて入門した」という動機を聞いて入門を認めた。そんな愛弟子とともに、平成11年2月には大分で優勝パレードを行う。先導していた警官いわく、「昔は白バイで追いかけ回した奴を、今は先導するようになった」。千代大海を更生させ、大関まで育て上げたという点でも、師匠としての功績は大きい。その後、千代大海は3度の優勝を果たし、史上最長となる大関在位65場所を記録した。


九重は平成20年の役員改選でようやく理事に就任。審判部から離れ、テレビ解説も務めるようになった。また、私生活では、平成21年に次女の梢さんがモデルとして芸能界デビュー。長い黒髪に切れ長の目が特徴的の美女は、優勝31回(引退時歴代2位、現在は3位)、通算白星1,045個(引退時歴代1位、平成23年に魁皇に抜かれる)を誇る偉大な父親を「どこにでもいる普通の父親」と、さらりと言ってのけた。九重も、娘の芸能活動には特に反対せず、「好きなことをやりなさい」と応援していた。これより21年前の5月に天皇賜杯と一緒に父親に抱かれていた赤ちゃんが、美しい女性になってモデルデビュー。芸能関係者はもちろん、千代の富士の現役時代を知る人からも注目を集めた。


しかし、娘が華々しく芸能界デビューを果たした裏では、愛弟子の千代大海が糖尿病と闘っていた。平成21年春場所では皆勤した大関としてはワーストとなる2勝止まり。8勝を挙げるのがやっとという状態で、いつ引退してもおかしくなかった。同年九州場所、15度目のカド番で迎えた千代大海は、3日目から8連敗で負け越し、11年間務めた大関の座を明け渡すこととなった。九重が横綱になった頃に師匠・北の富士が「ウルフ、辞めるときは潔く、スパッと辞めような。ちんたらちんたらやるなよ」と忠告をしていたのだが、この忠告は北の富士の孫弟子には受け継がれず、千代大海が「関脇陥落の場所で10勝して特例復帰ができたら現役続行、6敗して大関復帰の望みが絶たれたら引退」と、潔さを欠いたような決断をし、それを師匠の九重が認めたため、「辞めるときは潔く辞めるのでは?」と疑問に思ったファンもいただろう。平成22年初場所、千代大海は関脇で迎え、大関特例復帰を懸けていた。ところが、初日からいいところがなく連敗。3日目には長年大関をともに務めてきた盟友・魁皇(元大関、現・浅香山親方)に背中から叩きつけられるという無様な負け方をした。皮肉にも、魁皇が対戦相手の師匠の幕内通算白星807勝を上回る1勝を挙げた取組となった。力士生命の終わりを悟った千代大海は、その日の夜に引退を決意し、翌日、引退会見を開いた。年寄「佐ノ山」を襲名し、九重部屋で後進の指導に当たることとなった。


千代大海が引退し、平成11年春場所で初土俵を踏んだ千代白鵬(元前頭6)も素行不良が問題視され、部屋の勢いが衰えていった(実際、千代白鵬は平成20年にロシア人関取が大麻所持法違反で芋づる式に解雇されたとき、師匠から「お前は検尿を受けなくていい」と言われたことから、疑いをかけられていた)。九重部屋の関取不在という事態を起こさないように十両で奮闘していた千代白鵬だが、平成22年に野球賭博関与が発覚し、出場停止処分を受け、幕下に陥落。すぐに十両復帰を果たしたが、平成23年には八百長関与が発覚したことで時の放駒理事長(元大関・魁傑)から命じられ、引退届を提出した。これにより、昭和42年の創設時から関取を絶やさなかった上に、昭和末期には千代の富士・北勝海の2横綱が君臨し、平成に入ってからは大関・千代大海を擁していた九重部屋から、ついに関取が消滅した。


ただ、次代を担う若手は確実に育っていた。千代白鵬が引退してからすぐに、三重県の寺院の息子である千代の国(現・前頭)が21歳で新十両に昇進すると、その後も千代大龍(現・十両、最高位小結)や千代鳳(現・前頭、最高位小結)などの若い関取が相乗効果で関取の座を手中にし、部屋を再び活性化させた。九重は、多いときで6人いた関取衆をはじめとする力士たちと交換日記を行う形で指導しているという。毎日の稽古の内容などを詳細に記述し、翌日には九重の赤ペンが入って返却されるという、学校のクラブ活動にも似たような指導法を取り入れた。


平成25年には膵臓癌の手術を受けたが、平成27年に還暦を迎え、赤い綱を締めて「還暦土俵入り」を両国国技館で行った。しかし、この直後に癌が身体をむしばみ、平成28年7月31日、膵臓癌のため、都内の病院で息を引き取った。61歳だった。関係者によると、やせ細っており、意識もなかったという。平成25年に大鵬、27年には北の湖がこの世を去ったばかりだが、千代の富士も先輩大横綱のもとに、そして27年前に突如として短い生涯を終えた三女のもとに召されてしまった。


2010年代前半に次々と十両に昇進した若い関取衆が幕内・十両の土俵で活躍し、モデルとして芸能活動をする次女の梢さんもキャリアが軌道に乗ってきて、これからという時の早すぎる死である。また、奇しくも梢さんは29歳の誕生日を迎えたばかりで、父親が逝去した日にはスタッフから誕生日を祝ってもらっていたところだったという。イベントではウェディングドレスを着たことがあるが、人生の伴侶が隣にいるという状態での花嫁姿は父に見せることができず、無念だろう(やはり大物の松田優作の子息である松田翔太との噂があったが、真偽のほどは?)。



8月になり、力士たちは暑くて熱い夏を迎える。1カ月間の夏巡業が待ち受けている。九重部屋の力士たちはどのような心境で巡業を、そして秋場所を迎えるのか。まだ正式な発表はないが、九重部屋は、唯一の部屋付き親方である元大関・千代大海の佐ノ山親方が継ぐだろう。


私は平成生まれのため、千代の富士の現役時代の記憶はないが、再現VTRで見ただけでも「最強」の印象を受けた。強さだけでなく、華もある横綱だった。合掌。

第8回AKB48グループ総選挙結果発表の続きです。

この記事では、ついに選抜メンバーを発表します。


プロフィールの丸数字は、①所属 ②出身 ③生年月日(年齢) ④得票数 ⑤速報順位(得票数) ⑥前回順位(得票数) ⑦前々回順位(得票数) 名前の太字は総選挙での初選抜




~選抜~


16位    にゃんにゃん仮面  Nyan-nyan Mask

①?  ②ネオ秋葉原  ③20XX年  ④40,071

⑤11位(12,630)  ⑥不出馬  ⑦不出馬

⇒すべてが謎に包まれたメンバー。毎年YouTubeで公開される総選挙前の政見放送ではお笑いタレント・永野が登場していたが、正体ではなかった。大方の人は気づいていたかもしれないが、正体は小嶋陽菜だった。このような形で出馬をしたのは、ついに卒業を決めたためだった。今まで多くの同期生や後輩の卒業を見送ってきた小嶋だが、ついに自身が見送られる立場となった。これまでは「卒業ネタ」で引っ張っており、2年前の開票イベントでも卒業を発表しようとしたが、握手会でメンバーが襲撃される事件の直後だったため、「みんなが笑顔でいられるまでは現役でいたい」と卒業を先延ばしにした。メンバーの卒業には涙がつきものだが、マイペースな彼女の卒業のため湿っぽい雰囲気はなく、「『え~』の声が小さい!」と言い直しをさせる場面すらあった。時期は未定だが、卒業を発表してから正式に卒業するまで1年以上を要した高橋みなみのようにはならないことを表明した。なお、小嶋の卒業により、第1期メンバーは峯岸みなみだけとなった。


15位    高橋 朱里  Juri Takahashi

①AKB48 Team 4  ②茨城県  ③1997.10.3(18)  ④40,648

⑤10位(12,705)  ⑥25位(25,421)  ⑦28位(23,612)

⇒Team 4のキャプテンを任された期待の若手メンバーが、総選挙で初めて選抜の座を手にした。メンバーのちょっとした変化を感じ取るなど、高橋みなみが持っていたのと同じようなセンサーを持っており、横山由依の次の総監督の呼び声も高い。今まで何度も悩み、涙を流しながら歩んできた道が認められたのだろうと明かし、次の世代を迎えつつあるAKB48が第1章で完結しないように、努力の続きがあることを一般の人々に信じてもらうことが目標だ。


14位    岡田 奈々  Nana Okada

①AKB48 Team 4  ②神奈川県  ③1997.11.7(18)  ④43,318

⑤7位(14,889)  ⑥29位(23,237)  ⑦51位(15,873)

⇒「岡田奈々」という名前を聞けば、50歳以上の人ならピンとくるだろう。昭和50年代に『青春の坂道』で一世を風靡した女優とまったく同じ(ただし、女優・岡田奈々は芸名)。真面目すぎるキャラクターには定評があり、楽屋でのゴミの分別や言葉遣いなどを口うるさく注意してきたが、最近では18歳になって大人になったのか、些細なことをいちいち気に留めず、周囲でふざけているメンバーに合わせて自身もふざけるようになったという。そんな岡田だが、先日は突然休養を発表し、このイベントで久々に姿を見せた。実は、機能性低血糖症と診断されて摂食障害になり、過食・嘔吐を繰り返していたことを涙ながらに告白した。2年前の開票イベントで明言した「グループを背負う存在になりたい」という気持ちは、今も変わらない。持ち前の真面目さで次世代のAKBを作っていく存在になることを誓った。


13位    向井地 美音  Mion Mukaichi

①AKB48 Team K  ②埼玉県  ③1998.1.29(18)  ④47,094

⑤29位(8,341)  ⑥44位(18,392)  ⑦圏外

⇒最新シングル『翼はいらない』でセンターの座を射止めた次世代の中心的メンバーが、周囲の期待にたがわず、選抜入りを果たした。10年前、子役時代に連続ドラマ『アンフェア』で篠原涼子と共演したことを覚えている人はどれほどいるだろうか。だが、中学時代は暗い日々を過ごしており、夢も目標もなかったという。そんな時にAKB48と出会い、15期生としてデビューした。壇上に立ってスピーチができているのは、AKB48に出会えたから。センターポジションを一度きりのものとせずに、やはり子役からグループの中心メンバーにまで成長した先輩・大島優子と同様に、大物メンバーとなることを目標に掲げた。


12位    北原 里英  Rie Kitahara

①NGT48 Team NIII  ②愛知県一宮市  ③1991.6.24(24)

④50,190  ⑤50位(5,924)  ⑥11位(61,566)  ⑦19位(34,666)

⇒昨年春に新しく発足することが決まった姉妹グループ・NGT48のキャプテンが、ご当地で選抜に入った。2007年にAKB48第5期オーディションに合格したベテランで、かつては安定した人気を誇っていたが、SKE48との兼任が決まると両グループのファンからの批判を受け、低迷期に入った。しかし、現在の北原は、フレッシュなメンバーを引っ張る、グループにいなくてはならない存在に。もちろんファンも大事だが、同じくらい大切な存在ができたという。それはもちろん、娘のようにかわいい、NGT48のメンバーだ。それを聞いた「娘たち」はうれし涙に暮れていた。その上、CDデビューも発表され、北原にとっては忘れられない一日を大好きな新潟で送ることができたということだ。25歳目前にして新天地で活躍する北原は、AKB48だけに所属していて次世代メンバーと呼ばれていた時期よりも輝いている。


11位    横山 由依  Yui Yokoyama

①AKB48 Team A  ②京都府木津川市  ③1992.12.8(23)

④58,610  ⑤26位(8,701)  ⑥10位(63,414)  ⑦13位(40,232)

⇒言わずと知れた現・総監督。5年前に行われた第3回総選挙では初のランクインながらも19位に入り、号泣して過呼吸を起こしながら行うスピーチはそれ以来開票イベントの風物詩となった。高橋みなみの卒業発表と同時に総監督に就任できたのは、先輩メンバーも認める努力があったから。高橋のようなカリスマ性がないことは自認しており、黎明期からのメンバーでもないが、自分の考えを他者に押しつけることはせず、他者の意見を尊重しながらリーダーシップを発揮してきた。指名を受けたことを誰にも後悔させないように、これからも力強く邁進していく。


10位    武藤 十夢  Tomu Muto

①AKB48 Team K  ②東京都  ③1994.11.25(21)  ④58,624

⑤31位(8,208)  ⑥16位(44,637)  ⑦24位(30,097)

⇒目鼻立ちのくっきりした正統派美女の呼び声が高く、コツコツとメディアへの露出を増やしてきた。今までは自分に自信が持てず、総選挙でも不安や緊張で押しつぶされそうになっていたが、AKB48の第1章が終わって「AKBはもう終わりだ」との声が聞こえたことで悔しさを覚え、先輩から引き継いだ伝統を大切にしながらグループを進化させたいと語った。Team Kで中心メンバーだった大島優子のパワーを誰よりも近くで感じていたのが武藤であり、彼女の中では今も大島優子イズム、通称「優魂」が燃えたぎっている。


9位    兒玉 遥  Haruka Kodama

①HKT48 Team H / AKB48 Team K  ②福岡県  ③1996.9.19(19)

④60,591  ⑤8位(13,599)  ⑥17位(43,985)  ⑦21位(33,545)

⇒HKT48黎明期からの中心的存在がついに選抜の座を勝ち取った。過去、あと一歩というところで目標に届かなかったことが何度もあった。17位でアンダーガールズのセンターポジションを獲得した昨年の総選挙も良い例だ。しかし、プロデューサーの秋元康からもらった「夢は手を伸ばした1ミリ先にある」という言葉のおかげで、腐らずにやってこられた。ライバルは熊本から全国区の人気を誇るまでに成長したゆるキャラ「くまモン」だと語り、自身も地元である博多の人々に愛されるように努力していくことを表明した。


8位    島崎 遥香  Haruka Shimazaki

①AKB48 Team A  ②埼玉県鶴ヶ島市  ③1994.3.30(22)

④68,126  ⑤17位(10,610)  ⑥9位(73,803)  ⑦7位(67,591)

⇒そっけない対応、通称「塩対応」を売りとするメンバー。昨年は体調不良で仕事に穴をあけることが多く、立候補に関してはギリギリまで悩んでいた。卒業も考えていたが、同期生の横山由依に泣いて説得されたことで思いとどまり、グループに残った。質問に答えてくれないため、かねてより司会・徳光和夫との不仲が報じられたが、今年はきっちりと「神対応」を見せて徳光と和解し、祖父と孫のツーショットのように微笑ましい写真も残せた。ところが、今回が最後の総選挙だと語り、ファンへの感謝の気持ちを込めてスピーチを締めくくった。


7位    須田 亜香里  Akari Suda

①SKE48 Team E  ②愛知県  ③1991.10.31(24)  ④69,159

⑤5位(22,536)  ⑥18位(43,665)  ⑦10位(48,182)

⇒このところ安定した人気を誇るメンバー。昨年はランクダウンして選抜の座を逃したが、今回の結果を受け、2年ぶりに選抜へ。昨年の壇上では泣き崩れたが、今回泣かずにいられたのは好結果だったからではなく、本当に大切なものに気づいたからだった。表面上の結果ではなく、どれだけの人と心が通い合ったか―。順位に翻弄されずに壇上に立つ幸せを噛みしめていた。これまでの総選挙のスピーチで述べた「瞳の中のセンター」。それが、ファンにとっての須田亜香里である。


6位    宮脇 咲良  Sakura Miyawaki

①HKT48 Team KIV / AKB48 Team A  ②鹿児島県

③1998.3.19(18)  ④78,279

⑤12位(12,410)  ⑥7位(81,422)  ⑦11位(45,538)

⇒デビュー当初は幼い外見の中学生だったが、大人の女性のような雰囲気を醸し出すまでになった。雑誌のグラビアにも頻繁に登場したり、ソロ写真集を出したりと、活動の幅を広げてきた。それだけに、前回と比べてさらに順位を伸ばせるかと思われたが、1ランクしか上がらなかった。自分に何も足りておらず、足りないものが何であるかもわからず、努力の方向性も、自分の歩んでいる方向が前なのかもわからず、初めてスピーチで涙。しかし、来年こそは1位を目指すことを目標に掲げた。そのためには同じグループの高い壁である指原莉乃を越えなければならないことは、本人も承知のはずだ。来年こそは、トップ3入りは固いだろう。


5位    柏木 由紀  Yuki Kashiwagi

①AKB48 Team B / NGT48 Team NIII  ②鹿児島県鹿児島市

③1991.7.15(24)  ④92,110  ⑤6位(20,988)

⑥2位(167,183)  ⑦3位(104,364)

⇒昨年は首位まであと一歩のところまでいったが、ここで3ランクダウンで5位に終わった。当初は不出馬を示唆していたが、自身が兼任するNGT48にとってのご当地での開催が決まり、地域の人に少しでも恩返しをしたいという意向で出馬を決めた。総選挙は弱い存在を強くしてくれる魔法だと考え、自分も強くなりたいとのこと。AKB48は転換期にあり、後輩も柏木を超えるまでに成長しているが、自分もまだ先陣を切って支えていくことを目標とした。昔と変わらずAKB48のメンバーでいながらも、今後は兼任するNGT48でもキャプテン・北原里英を支えながら牽引役を務めていく。


4位    山本 彩  Sayaka Yamamoto

①NMB48 Team N  ②大阪府  ③1993.7.14(22)  ④110,411

⑤4位(26,680)  ⑥6位(97,866)  ⑦6位(67,916)

⇒この1年間の活動の中では特に、『365日の紙飛行機』でのセンターポジションが目立っている。ここ2年間はずっと6位で、「もしかしたら今年も6位か」という変な緊張感を覚えていたが、ようやく6位の呪縛を解かれた。総選挙はファン投票が「愛」だと実感し、「皆さんは私の『アモーレ』」と、サッカー選手・長友佑都と女優・平愛梨の結婚会見で使われて現在流行語となっている用語を、今回の総選挙で初めて使っていた。同期生で盟友の渡辺美優紀は卒業を発表したが、山本にはまだまだ現役で頑張ってもらいたい。


3位    松井 珠理奈  Jurina Matsui

①SKE48 Team S  ②愛知県  ③1997.3.8(19)  ④112,341

⑤3位(35,469)  ⑥5位(105,289)  ⑦4位(90,910)

⇒8年前に小学6年生にして『大声ダイヤモンド』でセンターを務めた松井も、来年成人式に出席するまでになった。首位を目指して全力を尽くしたが、特に1位と2位の壁が厚いことを実感させられた。現在では連続ドラマの初主演が決まるなど、夢に向かって少しずつではあるが前進している。来年も総選挙があるとしたら、20歳になって初の総選挙で、そこで首位を獲得することが目標となった。同姓の盟友・松井玲奈は卒業したが、珠理奈はあと5年はグループにいるつもりだ。


2位    渡辺 麻友  Mayu Watanabe

①AKB48 Team B  ②埼玉県さいたま市  ③1994.3.26(22)

④175,613  ⑤1位(42,034)  ⑥3位(165,789)  ⑦1位(159,854)

⇒2年前の王者で、今年は2年ぶりの首位返り咲きを狙ったが、速報で1位になっても、最終的な1位の壁は高かった。「悔しい」と話したが、1位の壁は誰にも越えられないものであることを改めて感じた。これまでの8回の総選挙すべてで「神7」に入っているのは、もう渡辺しかいない。偉大な先輩たちが築いたAKB48を終わらせないように、この先もたくさんの人に愛され続けるグループとなることができるように、未来のためにたくさん貢献していくことを誓った。


1位    指原 莉乃  Rino Sashihara

①HKT48 Team H  ②大分県大分市  ③1992.11.21(23)

④243,011  ⑤2位(41,127)  ⑥1位(194,049)  ⑦2位(141,954)

⇒やはり、最後は指原で締めた。前田敦子や大島優子といった偉大な先輩も成し遂げられなかった連覇を、彼女が初めて達成した。昨年の1位を受けて公約通り水着でコンサートに出たり、初めてソロ写真集を出したり(しかも尻が出ている写真が宣伝に使われた!)と、メディアで指原を見ない日はないと言えよう。4年前の総選挙で自己最高の4位を獲得した直後に恋愛が発覚し、HKT48に完全移籍したが、逆境をエネルギーに変えて仕事をしてきた。「たたけばほこりも出てくる」と述べたが、今回の結果はファンがかなり無理をして投票してくれたおかげだと感謝。また、2月に最愛の祖父が逝去するという悲しい出来事に見舞われた。多忙を理由に、大分に帰っても会いに行かなかったが、今頃は天国の祖父も、孫の連覇を喜んでいるだろう。先輩メンバーからも「強い」と認められるまでになった稀代のアイドル・指原がどこまで連覇記録を伸ばせるか。これからの総選挙の目玉となりそうだ。余談だが、得票数を逆から読むと「1位をさっしーに(110342)」と読める。やはり、ファンの貢献が大きかったのだろう。




史上初の連覇で終わった今年の総選挙。各メンバーの今後の動向から目が離せない。

そして、新しいAKB48はどのような方向へ進んでいるのか。

新進気鋭のメンバーにも、ベテランメンバーにも、注目が集まる。

第8回AKB48グループ総選挙結果発表の続きです。

この記事では、ネクストガールズ・アンダーガールズを発表しています。


プロフィールの丸数字は、①所属 ②出身 ③生年月日(年齢) ④得票数 ⑤速報順位(得票数) ⑥前回順位(得票数) ⑦前々回順位(得票数) 名前の太字は初ランクイン




~ネクストガールズ~


48位    井上 由莉耶  Yuriya Inoue

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③1999.6.15(17)  ④20,643

⑤25位(8,709)  ⑥圏外  ⑦圏外


47位    茂木 忍  Shinobu Mogi

①AKB48 Team K  ②千葉県  ③1997.2.16(19)  ④20,913

⑤20位(9,826)  ⑥57位(16,867)  ⑦圏外


46位    松岡 菜摘  Natsumi Matsuoka

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③1996.8.8(19)  ④20,980

⑤42位(6,364)  ⑥51位(17,387)  ⑦64位(12,569)

⇒HKT48発足当初からグループを支えるメンバー。順調に順位を上げ、今回は初のネクストガールズ入りを果たした。しかし、ここで満足せずに、指原莉乃、宮脇咲良、兒玉遥のようにHKT48を牽引するメンバーになることを誓った。


45位    田中 美久  Miku Tanaka

①HKT48 Team H  ②熊本県  ③2001.9.12(14)  ④21,009

⑤57位(5,365)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒今回初のランクインを果たした田中は、同い年で同じグループの矢吹奈子とともに「なこみく」という幼少コンビを組み、先輩メンバーに寵愛される存在だ。初当選はうれしいが、2カ月前に故郷を大地震が襲っており、「頑張りますばい!」とスピーチを締め、熊本に恩返しするという意向を語った。


44位    須藤 凜々花  Ririka Suto

①NMB48 Team N  ②東京都  ③1996.11.23  ④21,559

⑤22位(9,136)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒大学でカントやニーチェなど、哲学を研究しているというメンバー。実は、総選挙の壇上で卒業を発表するつもりだった。しかし、母親が子宮頸がんを患っていることを告白。帰郷も考えたが、ドラフト会議で自分を選んでくれたNMB48という家族もでき、夢を実現させるまでは実家に戻らないことを決意した。


43位    田島 芽瑠  Meru Tashima

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③2000.1.7(16)  ④21,864

⑤49位(5,930)  ⑥32位(22,191)  ⑦38位(18,875)


42位    冨吉 明日香  Asuka Tomiyoshi

①HKT48 Team KIV  ②宮崎県  ③1997.9.20(18)  ④21,881

⑤39位(6,953)  ⑥圏外  ⑦圏外


41位    藤江 れいな  Reina Fujie

①NMB48 Team M  ②千葉県  ③1994.2.1(22)  ④22,429

⑤圏外  ⑥35位(21,388)  ⑦33位(20,956)

⇒AKB48第4期生で、デビューから10年目を迎えた。同期の中で、大家志津香はまだグループに残っているが、倉持明日香・佐藤亜美菜らはすでに卒業している。壇上では「ラストファイト」と述べ、今後は総選挙に出馬しない意向を明かした。


40位    渕上 舞  Mai Fuchigami

①HKT48 Team KIV  ②福岡県  ③1996.9.21(19)  ④22,995

⑤16位(11,146)  ⑥31位(22,487)  ⑦圏外

⇒初当選の昨年は速報で15位にランクインし、結果的に31位でアンダーガールズに入った。しかし、選抜の位置はまだ端のほう。そのため、成人式を迎える頃(2017年1月)には少しでも前にいることを誓った。


39位    薮下 柊  Shu Yabushita

①NMB48 Team BII  ②大阪府  ③1998.12.2(17)  ④23,251

⑤45位(6,150)  ⑥60位(15,666)  ⑦59位(14,119)


38位    佐々木 優佳里  Yukari Sasaki

①AKB48 Team A  ②埼玉県  ③1995.8.28(20)  ④24,059

⑤32位(7,873)  ⑥50位(17,466)  ⑦47位(16,726)


37位    木崎 ゆりあ  Yuria Kizaki

①AKB48 Team B  ②愛知県  ③1996.2.11(20)  ④25,039

⑤62位(4,794)  ⑥22位(26,994)  ⑦23位(30,154)

⇒デビュー当初はSKE48所属だったが、2年前にAKB48へ移籍し、現在はTeam Bのキャプテンを務めている。安定した人気を誇り、選抜も見えていたが、今年は15ランクダウンでネクストガールズだった。本人も順位の低さには驚いていたが、女優になるという夢を表明し、しばらくはセンターを引き立てる「名脇役」を目指す。


36位    本村 碧唯  Aoi Motomura

①HKT48 Team KIV  ②福岡県  ③1997.5.31(19)  ④25,613

⑤36位(7,481)  ⑥80位(13,116)  ⑦48位(16,449)


35位    江籠 裕奈  Yuna Ego

①SKE48 Team KII  ②愛知県  ③2000.3.29(16)  ④25,963

⑤27位(8,410)  ⑥圏外  ⑦圏外


34位    倉野尾 成美  Narumi Kurano-o

①AKB48 Team 8  ②熊本県  ③2000.11.8(15)  ④26,152

⑤21位(9,349)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒快進撃を見せることを目標にして積み重ねた努力が報われた。この結果には素直に喜びつつも、これからの一年を自身の一年として「Team 8旋風」を巻き起こしていきたいと語った。現在、大好きな故郷は震災の痕跡に苦しんでいる。倉野尾の努力が、復興を目指す熊本にとっての大きな励みとなる。


33位    矢倉 楓子  Fuko Yagura

①NMB48 Team M  ②大阪府  ③1997.2.24(19)  ④27,487

⑤24位(8,848)  ⑥40位(20,354)  ⑦41位(18,596)




~アンダーガールズ~


32位    大島 涼花  Ryoka Oshima

①AKB48 Team B  ②神奈川県  ③1998.10.21(17)  ④28,260

⑤13位(11,888)  ⑥圏外  ⑦80位(9,561)

⇒デビュー当初はいたずらが好きで先輩から「クソガキ」と呼ばれていた大島も、現在ではAKB48 Team Bの副キャプテンという大役を任されるまでに成長した。前々回は当選圏内に滑り込んだが、前回は落選。そして、今回は再び議席を獲得しただけでなく、32位でアンダーガールズに入ることができた。目標は敬愛する総監督・横山由依を支えて、すばらしい景色を見ることだ。


31位    竹内 彩姫  Saki Takeuchi

①SKE48 Team KII  ②愛知県  ③1999.11.24(16)  ④28,282

⑤9位(12,935)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒一般知名度が低いながらも速報でいきなり9位になり、「あの子、誰だろう?」とざわつかせた。順位を伸ばすことはできなかったが、初ランクインでこの位置は立派。これは支えてくれているファンのおかげだと述べ、一緒に上を目指してほしいと頼んでいた。


30位    惣田 紗莉渚  Sarina Soda

①SKE48 Team KII  ②埼玉県  ③1993.1.18(23)  ④28,369

⑤58位(5,356)  ⑥55位(17,071)  ⑦圏外

⇒2013年11月のドラフト会議で、5巡目でSKE48から指名されデビュー。実は、2006年にAKB48第3期オーディションを受けており、合格していれば渡辺麻友・柏木由紀らと同期になるはずだった。7年越しにアイドルデビューをしたときには、すでに20歳になっていた。しかし、本人はまったく後悔しておらず、今後はAKBの選抜に入るという夢を見ている。


29位    古畑 奈和  Nao Furuhata

①SKE48 Team KII  ②愛知県  ③1996.9.15(19)  ④28,553

⑤37位(7,154)  ⑥24位(25,650)  ⑦55位(14,634)

⇒「握手会の女王」と称されるメンバー。握手会では、自分に会いに来てくれたファンが視界から消えるまで見送り、その直後に飛び跳ねて次のファンと握手をする「古畑ジャンプ」を見せてファンの心をつかみ、徐々に人気を上げてきた。昨年よりはランクダウンしたが、歩んできた道を後悔したことはないと語り、10代最後の総選挙を終えた。


28位    矢吹 奈子  Nako Yabuki

①HKT48 Team H / AKB48 Team B  ②東京都  ③2001.6.18(15)

④28,706  ⑤52位(5,734)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒今回45位にランクインした田中美久とは同い年で仲が良い。東京都出身だがHKT48に所属しているのは、指原莉乃の大ファンだからだ。5年前、握手会で指原と初めて対面し、芸能界デビューを勧められた。2年後、指原が移籍したHKT48に加入。以来、指原の寵愛を受けながら成長していった。開票イベントが行われたこの日は、奇しくも15歳の誕生日。壇上で指原と抱き合いながら涙を流した。「人生で最高の日」と語ったが、まだ15歳なのだから、「人生で最高」と言える瞬間を今後もたくさん見つけてほしい。


27位    川本 紗矢  Saya Kawamoto

①AKB48 Team 4  ②北海道  ③1998.8.31(17)  ④29,213

⑤15位(11,379)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒3年前、ドラフト会議でAKB48から指名を受けデビュー。自身にとって3度目となる今回の総選挙では初ランクインにして27位になった。自尊心が低く、「なんで応援してもらっているのか」という疑問を抱きながら活動していたが、今回の結果を自信に変え、存在意義を見つけ出したい。


26位    加藤 玲奈  Rena Kato

①AKB48 Team B  ②千葉県  ③1997.7.10(18)  ④29,333

⑤59位(5,273)  ⑥28位(24,569)  ⑦32位(21,877)

⇒グループの中でも美形で評判の加藤は徐々に順位を上げていき、2年連続でアンダーガールズに入った。速報順位を受けて不安に押しつぶされたが、ジャンプアップを果たし、「自分に自信を持つ」という今年の目標を達成した。今後はAKBとしての仕事を増やしていくことを目標としている。


25位    沖田 彩華  Ayaka Okita

①NMB48 Team M  ②広島県  ③1995.10.11(20)  ④29,517

⑤14位(11,426)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒Team Mでは副キャプテンという主要な役割を務めるが、これまでの総選挙はすべて圏外。そんな沖田だが、今回は速報で14位に入り、最終的に25位と、初ランクインにして好位置に着いた。壇上では、今日が映画のクライマックスではないかと語り、今後は自信を持って活動に臨むことを誓った。


24位    白間 美瑠  Miru Shiroma

①NMB48 Team M / AKB48 Team A  ②大阪府  ③1997.10.14(18)

④29,983  ⑤40位(6,929)  ⑥34位(21,577)  ⑦43位(17,745)

⇒雑誌のグラビアにも登場するなど、徐々にではあるが知名度を上げてきた。順位も着実に上げていき、24位でアンダーガールズ入り。好きなことは「努力」だと語り、今後も誰よりも努力をし、グループの先頭に立つ牽引役になることを誓った。


23位    朝長 美桜  Mio Tomonaga

①HKT48 Team KIV / AKB48 Team 4  ②福岡県  ③1998.5.17(18)

④31,314  ⑤61位(5,070)  ⑥21位(28,197)  ⑦27位(23,766)

⇒今年はソロ写真集を出すなど、現在軌道に乗っているメンバーの一人。それだけに、今年の目標を「選抜入り」としてきた。しかし、ふたを開けてみれば選抜どころか2ランクダウンだった。「今年じゃないと」と思って頑張ってきたが、選抜に届かなかった悔しさは封印し、大切な時間を割いて投票してくれたファンに感謝を述べた。


22位    大場 美奈  Mina Oba

①SKE48 Team KII  ②神奈川県  ③1992.4.3(24)  ④32,118

⑤54位(5,656)  ⑥27位(24,708)  ⑦56位(14,555)

⇒AKB48の4期生と7期生のオーディションに落ち、9期生のオーディションで「三度目の正直」を果たした苦労人。かつては初代Team 4のキャプテンを務めていたが、2年前の組閣によりSKE48 Team KIIに所属し、現在はリーダーを務める。今回の総選挙を機にファンとの距離がさらに近くなったことを実感し、その距離をこれからも縮めていく。


21位    込山 榛香  Haruka Komiyama

①AKB48 Team 4  ②千葉県  ③1998.9.12(17)  ④32,886

⑤18位(10,043)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒今回初ランクイン組の中で最高順位を記録した込山は、バラエティ番組では「腹黒」キャラを築き上げて自分の地位を確立させた。昨年は速報で37位だったが、最終的には落選し号泣。そんな込山に、4月に卒業したばかりで当時は現役だった先代総監督・高橋みなみが総選挙の舞台で何度も口にした「努力は必ず報われる」という言葉が突き刺さった。込山に教訓を授けた偉大な先輩は、今回はゲスト出演するなど、完全に見守る立場に。だが、「努力は必ず報われる」という命題を次に証明するのは、込山しかいない。


20位    高柳 明音  Akane Takayanagi

①SKE48 Team KII  ②愛知県  ③1991.11.29(24)  ④33,176

⑤44位(6,318)  ⑥14位(52,609)  ⑦31位(21,972)

⇒SKE48黎明期からグループを支え、出場した総選挙では当選。今回は出馬を決めかねていたが、最終的には参加を表明し、2年連続で選抜とまではいかなかったものの、出馬してよかったと安心していた。


19位    小嶋 真子  Mako Kojima

①AKB48 Team 4  ②東京都瑞穂町  ③1997.5.30(19)  ④33,524

⑤30位(8,300)  ⑥26位(25,117)  ⑦36位(20,415)

⇒同期の岡田奈々・西野未姫とともに「三銃士」として知られているが、その3人の中では小嶋の躍進が最も早く、2年前の組閣でいきなりTeam Kに移籍したことからもその期待の高さがうかがえた。幼少期は内気だったが、中学時代にテニス部に所属し、副部長を務めたことで、根性を養えた。個人的な話だが、私の高校時代の友人が教員として着任した2012年に小嶋は着任校の中学3年生で、友人は当時の英語の教科担任だった。そうした縁もあり、陰ながらではあるが、私も注目している(ならば、来年以降票を入れようか)。トップを取ってから卒業するというビジョンも明確に。実は、19位という順位はファンの間で「出世順位」と呼ばれており、現・総監督の横山由依も、NMB48を牽引してきた渡辺美優紀も経験した。さらにさかのぼれば、王者になった指原莉乃もこの順位を経験。19位の法則が真実なら、小嶋にもチャンスがありそうだが、彼女のことだから、チャンスは自分の手でつかみそうだ。そして、教え子が「出世順位」に入ったことを、私が彼女の恩師である友人に報告しておきたいと思った。


18位    入山 杏奈  Anna Iriyama

①AKB48 Team A  ②千葉県  ③1995.12.3(20)  ④36,894

⑤73位(3,872)  ⑥不出馬  ⑦20位(34,002)

⇒2014年5月25日、岩手県。AKB48史に残る残酷な事件が起こった。ファンと触れ合うはずの温かい場に、冷たい血が飛び散った。握手会会場にノコギリを持った男が押し入り、メンバー2人とスタッフ1人を切りつけて逃走した。そのレーンには入山杏奈・川栄李奈・高城亜樹・倉持明日香・大島涼花がおり、高城・倉持・大島はとっさに逃げたが、入山と川栄、そしてスタッフは襲撃され、近くの病院に搬送された。直後に開票イベントが行われたが、川栄が16位に入って選抜の座を射止め、会場に姿を見せて涙ながらにスピーチをしたのとは対照的に、入山は姿を見せられず、電話中継をしてもらった。当時の声援は今も入山の記憶に残っている。その後、川栄は「もう握手会に出られない」と、人気絶頂期に卒業。残った入山は今回2年ぶりに出馬し、AKBに入ってよかったと、幸せを噛みしめた。手に負った傷はふさがったが、心に残った傷や恐怖心を拭い去るのは困難。それでも負けずに努力を重ねることが、ファンの心に響くのだ。


17位    峯岸 みなみ  Minami Minegishi

①AKB48 Team K  ②東京都  ③1992.11.15(23)  ④40,011

⑤65位(4,560)  ⑥19位(35,506)  ⑦22位(33,162)

⇒盟友の高橋みなみが卒業し、また一人同期生が去ったが、なおも現役を続け、若いメンバーを引っ張る頼もしい立場にある。バラエティ番組での適応力は抜群で、ステージ以外での活躍も昔から目立っていた。しかし、2013年1月に熱愛スキャンダルが報じられ、頭を丸めて謝罪した動画で世間をにぎわせた。逆境をバネに活躍を続ける部分も峯岸の魅力である。壇上では「私の総選挙は終わり」と、次回以降は出馬しない旨を表明。最後の総選挙となったが、惜しくも選抜には届かなかった。アイドルとしては劣等生だと語ったが、自分のアイデンティティを重要視し、卒業の日まで走り続ける。




この記事はここまで。次の記事で、いよいよ選抜メンバーを発表する。

6月18日(土)、新潟市で第8回AKBグループ選抜総選挙開票イベントが行われた。


私は推しメンが卒業して以来10カ月間、AKB関連ニュースをまともに見てこなかったような気がしている。

しかし、この総選挙は国民的行事にのし上がったこともあり、毎年チェックしている。

「第3回総選挙(2011年開催)の前田敦子・大島優子の一騎打ちが面白かった」「最近のAKBは人気が下降している」という声も聞かれるが、今までやってきたイベントを続けているということは、まだ人気が安定している証である。

それに、古くからグループを支えてきたメンバーの卒業や不出馬で空いた枠を新世代の誰が埋めるかという部分もチェックポイントである。


さて、私は第6回(2014年開催)を最後に投票しておらず、陰で見守る立場となっている。

昨年は推しメン・倉持明日香の不出馬がわかっており、「彼女が出ない総選挙に投票する意味はない」と、私自身も投票を辞退した。そして、開票から2カ月後、倉持はグループを卒業した。

注目しているメンバーはいるが、私の性格上、「どうしてもあの子じゃないとダメ!」という強いこだわりがあり、投票には至っておらず、注目するメンバーのファンの方々に完全に頼っている(現在私が注目しているメンバーは、下記の「結果」のところで述べる)。

ただ、ここ1週間、授業中の雑談で総選挙の話はした。

しかし、生徒の反応が薄かった。やはり、AKB人気は下降中なのか・・・・・・?

皆さんは高3で18歳。7月10日の参議院議員選挙で投票しましょうね。「受験勉強で忙しい」を言い訳にしてはいけません。



では、ランクインしたメンバーを以下に挙げる。

プロフィールの丸数字は、①所属 ②出身 ③生年月日(年齢) ④得票数 ⑤速報順位(得票数) ⑥前回順位(得票数) ⑦前々回順位(得票数) 名前の太字は初ランクイン




~アップカミングガールズ~


80位    村重 杏奈  Anna Murashige

①HKT48 Team KIV  ②山口県  ③1998.7.29(17)  ④13,058

⑤56位(5,403)  ⑥圏外  ⑦67位(11,586)

⇒HKT48のお笑い担当メンバー。両手で縦長の楕円を作って「明太子!」と叫ぶギャグを持つ。最近は封印していたが、開催地・新潟が日本有数のコメの産地ということもあり、ごはんのお供にもなるということで、久々に披露していた。


79位    日高 優月  Yuzuki Hidaka

①SKE48 Team KII  ②愛知県  ③1998.4.1(18)  ④13,204

⑤67位(4,441)  ⑥圏外  ⑦圏外


78位    宮崎 美穂  Miho Miyazaki

①AKB48 Team A  ②東京都  ③1993.7.30(22)  ④13,366

⑤76位(3,607)  ⑥圏外  ⑦78位(9,674)

⇒2007年にAKB48第5期オーディションに合格しており、選抜の常連である指原莉乃・北原里英は同期生。当初は安定した人気を誇り、総選挙でもランクインしていたが、ここ数年は新世代の波に押され、選抜から外れがちだった。しかし、最新シングル『翼はいらない』で選抜入りしており、その効果もあってか、2年ぶりのランクイン。MC力には定評があり、目が離せないメンバーの一人である。


77位    吉田 朱里  Akari Yoshida

①NMB48 Team N  ②大阪府  ③1996.8.16(19)  ④13,512

⑤圏外  ⑥64位(14,933)  ⑦72位(10,982)


76位    加藤 美南  Minami Kato

①NGT48 Team NIII  ②新潟県  ③1999.1.15(17)  ④13,571

⑤圏外  ⑥デビュー前のため不参加  ⑦デビュー前のため不参加

⇒新たに発足したNGT48で初代センターに抜擢された注目メンバー。ご当地開催でNGTの顔ということもあり、ランクインはほぼ確実と見られていたであろう。周囲からは気負わなくていいと言われていたが、絶対にランクインしたいという希望が叶い、靴を脱いでアクロバットを披露し、地元のファンに感謝の意を示した。


75位    佐藤 すみれ  Sumire Sato

①SKE48 Team E  ②埼玉県所沢市  ③1993.11.20(22)  ④13,657

⑤圏外  ⑥49位(17,579)  ⑦圏外


74位    鎌田 菜月  Natsuki Kamata

①SKE48 Team E  ②愛知県  ③1996.8.29(19)  ④13,882

⑤43位(6,334)  ⑥70位(1,4545)  ⑦圏外


73位    大森 美優  Miyu Omori

①AKB48 Team 4  ②神奈川県  ③1998.9.3(17)  ④14,177

⑤33位(7,715)  ⑥67位(14,674)  ⑦圏外


72位    秋吉 優花  Yuka Akiyoshi

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③2000.10.24(15)  ④14,544

⑤81位(3,369)  ⑥圏外  ⑦圏外


71位    山内 鈴蘭  Suzuran Yamauchi

①SKE48 Team S  ②千葉県  ③1994.12.8(21)  ④14,550

⑤圏外  ⑥63位(15,157)  ⑦69位(11,510)


70位    坂口 渚沙  Nagisa Sakaguchi

①AKB48 Team 8 / AKB48 Team B  ②北海道  ③2000.12.23(15)

④14,913  ⑤53位(5,667)  ⑥圏外  ⑦圏外

⇒Team 8発足以来初めて総選挙で名前を呼ばれた坂口は、壇上で、Team 8でCDデビューをしたいという夢を口にした。


69位    谷口 めぐ  Megu Taniguchi

①AKB48 Team A  ②東京都  ③1998.11.12(17)  ④14,950

⑤35位(7,550)  ⑥圏外  ⑦デビュー前のため不参加


68位    木本 花音  Kanon Kimoto

①SKE48 Team E  ②愛知県  ③1997.8.11(18)  ④15,057

⑤85位(3,020)  ⑥48位(18,021)  ⑦50位(16,022)

⇒SKE48の中心メンバー。同じグループで、3年前に速報で8位になって「あの子、誰?」とファンをにぎわせた柴田阿弥が今年は不出馬ということもあり、どうしてもランクインしたいという夢が実現した。


67位    熊崎 晴香  Haruka Kumazaki

①SKE48 Team E  ②愛知県  ③1997.8.10(18)  ④15,600

⑤80位(3,375)  ⑥73位(13,777)  ⑦圏外


66位    岸野 里香  Rika Kishino

①NMB48 Team N  ②兵庫県  ③1994.6.4(22)  ④15,697

⑤83位(3,258)  ⑥圏外  ⑦圏外


65位    宮前 杏実  Ami Miyamae

①SKE48 Team S  ②愛知県  ③1997.9.9(18)  ④15,716

⑤99位(2,305)  ⑥45位(18,245)  ⑦圏外




~フューチャーガールズ~


64位    北川 綾巴  Ryoha Kitagawa

①SKE48 Team S / AKB48 Team 4  ②愛知県  ③1998.10.9(17)

④15,793  ⑤55位(5,587)  ⑥66位(14,674)  ⑦圏外


63位    酒井 萌衣  Mei Sakai

①SKE48 Team E  ②愛知県  ③1997.12.13(18)  ④15,994

⑤41位(6,410)  ⑥圏外  ⑦圏外


62位    大和田 南那  Nana Owada

①AKB48 Team A  ②千葉県  ③1999.9.15(16)  ④16,246

⑤84位(3,045)  ⑥75位(13,685)  ⑦圏外


61位    西野 未姫  Miki Nishino

①AKB48 Team 4  ②静岡県  ③1999.4.4(17)  ④16,548

⑤68位(4,300)  ⑥圏外  ⑦62位(12,824)

⇒同じAKB4814期生の岡田奈々・小嶋真子とともに「三銃士」の一角をなす若手メンバー。「首もげダンス」と呼ばれるほどの激しいダンスがトレードマークである。前回は圏外だったが、今回2年ぶりのランクインを果たし、過去最高の順位をもらった。岡田・小嶋には後れを取ったが、これからも選抜メンバーに入ることを目標に掲げる。


60位    駒田 京伽  Hiroka Komada

①HKT48 Team H  ②宮崎県  ③1996.11.21(19)  ④16,691

⑤78位(3,504)  ⑥圏外  ⑦79位(9,609)


59位    坂口 理子  Riko Sakaguchi

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③1994.7.26(21)  ④16,839

⑤38位(6,971)  ⑥37位(20,936)  ⑦60位(12,937)


58位    植木 南央  Nao Ueki

①HKT48 Team KIV  ②福岡県  ③1997.8.12(18)  ④17,898

⑤63位(4,691)  ⑥72位(13,961)  ⑦圏外


57位    岡田 彩花  Ayaka Okada

①AKB48 Team 4  ②東京都  ③1998.11.6(17)  ④18,524

⑤28位(8,372)  ⑥圏外  ⑦圏外


56位    渋谷 凪咲  Nagisa Shibuya

①NMB48 Team BII / AKB48 Team 4  ②大阪府  ③1996.8.25(19)

④19,140  ⑤86位(2,970)  ⑥58位(16,386)  ⑦圏外

⇒黎明期からNMB48を支えてきた渡辺美優紀が卒業を発表。自身は渡辺の穴を埋められるようなメンバーになりたいと話し、NMB全体では登場しただけで鳥肌が立つほどのグループにまで成長させることを語った。


55位    谷 真理佳  Marika Tani

①SKE48 Team S  ②福岡県  ③1996.1.5(20)  ④19,274

⑤19位(9,851)  ⑥23位(26,051)  ⑦圏外

⇒前回初ランクインにして23位に入り、アンダーガールズ入りを果たすも、今回は32ランクダウン。デビュー当初はHKT48で、グループの中ではお笑い担当だったが、2年前の組閣でSKE48に移籍した。テレビでも放送されたが、臭気を放つほどの「汚部屋」で暮らしている。壇上では、洗濯は3カ月に1度がちょうどよいが、2カ月に1度に頻度を上げることを表明した。


54位    竹内 舞  Mai Takeuchi

①SKE48 Team S  ②三重県  ③1993.8.31(22)  ④19,326

⑤79位(3,426)  ⑥76位(13,549)  ⑦圏外


53位    神志那 結衣  Yui Kojina

①HKT48 Team H  ②福岡県  ③1998.1.24(18)  ④19,377

⑤23位(9,070)  ⑥46位(18,085)  ⑦圏外

⇒ナルシストキャラで、前回に引き続き、名前が呼ばれた後の壇上で自分の顔を手鏡でチェックし、「かわいい」と絶賛。順位は下がったが、ランクインできたことがうれしく、「おしっこが漏れそう!」と叫び、スピーチが終わるや否や駆け足でステージを降りてトイレへと向かった。


52位    太田 夢莉  Yuri Ota

①NMB48 Team N  ②奈良県  ③1999.12.1(16)  ④19,534

⑤34位(7,635)  ⑥圏外  ⑦圏外


51位    岩立 沙穂  Saho Iwatate

①AKB48 Team 4  ②神奈川県  ③1994.10.4(21)  ④20,021

⑤60位(5,248)  ⑥圏外  ⑦66位(11,873)

⇒20歳を過ぎたが、「ぶりっこキャラ」で地位を確立させた。AKB48の第13期オーディションに合格したのが17歳の頃で、同期生と比べるとデビューが遅かったが、少しずつ人気を上昇させている。大学ではフランス語を専攻し、好物が「イナゴの佃煮」という味覚の持ち主。自身も選抜を目指しており、AKB48の選抜を目指せるのはAKB48のメンバーだけだと語った。


50位    森保 まどか  Madoka Moriyasu

①HKT48 Team KIV  ②長崎県  ③1997.7.26(18)  ④20,228

⑤51位(5,900)  ⑥43位(19,401)  ⑦25位(27,054)

⇒HKT48発足当初からグループを支えるメンバー。どこかミステリアスな雰囲気を漂わせる彼女の特技はピアノで、バラエティ番組でもその腕を披露した。2年前は25位という順位を記録したが、徐々に下がっている。それでも、今年下半期は努力を重ねてファンに認めてもらえるようになることを誓った。


49位    二村 春香  Haruka Futamura

①SKE48 Team S  ②愛知県  ③1996.5.14(20)  ④20,618

⑤46位(6,039)  ⑥38位(20,590)  ⑦34位(20,881)

⇒順位は下がっているが、49位ということもあり、見事、フューチャーガールズのセンターの座を射止めた。スピーチでは「部屋が汚い人」や「途中でトイレに行く人」もいると、それぞれ谷真理佳と神志那結衣に遠回しに言及し、初めてのセンターでどんな曲をもらえるのか、期待に胸を躍らせた。自身はグラビアの仕事をしているが、肌の露出の少ないファッション関連の仕事をしたいという夢も明かした。




長文になるので、この記事はここまで。次の記事は、ネクストガールズとアンダーガールズを挙げる。


2015年度も、残り4日となった。

年度末は、当該年度を振り返り、次年度につなげるという意味で、非常に重要な時期である。

年度で動いている教員の私にとっても、振り返りと反省を行うのに最適な時期だ。



4月、教員生活2年目が幕を開けた。

着任年度にお世話になった方々が何人も退職し、不安な中でのスタートとなった。

授業は、担当クラスが昨年度の5クラスから6クラスへと増え、担当コマ数も15から17に増えた。ちなみに、配属は高校2年で、昨年度の高校1年からの持ち上がりである。

また、初めて受け持つクラスもできて、様々な生徒と触れ合うことができた。確固たる信頼関係を築けたか否かは・・・・・・、生徒のみぞ知る。厳しい評価が出るかもしれないが。


そして、私の得意分野である書道部の顧問としての日々も始まった。

技術面での指導はまだまだ難しいが、私は古巣に戻ったということもあり、さっそく青春時代を過ごした仲間たちを呼んでみた。

しかし、仲間たちも25~26歳。働き盛りの年齢で、私のように古巣に戻る暇などなかった(私は仕事で戻ったのだが)。

夏休みには、部員と一緒に、文化祭に出品する作品の完成を目指した。運動部のように暑い夏だった。

本来ならば顧問も出すのだが、今年度は部員が多かったため、来年度は私も出そうと思う。


また、夏休みには、修学旅行の引率を依頼された。

オーストラリア・シドニーに1週間。私は海外へ行ける楽しみというものをまったく感じず、異国の地での引率に不安を感じてばかりだった。いや、私に引率される生徒のほうが不安だっただろう。ごめん、俺がもっとしっかりしていれば・・・・・・。

だが、そんな不安は杞憂に終わった。生徒たちは問題を起こすこともまったくなく、集合の際にも点呼などで協力してくれたため、教員の手間はかからなかった。さすが、高校2年生だ。

ただ、残念なことに、帰国後すぐに風邪をひいたため、夏休みの終わりは自宅で寝ているだけになってしまった。


6月と9月には、毎年のことだが、教育実習生を迎える。

私は今年度、現場での経験を生かして(とはいえまだ2年目だが)、授業指導面でのアドバイスを昨年度よりも多くすることができた。貴重だったか、役に立ったか、それはわからないが、実習生にとって宝となっていれば幸いである。

実習生がいる期間は、私の気持ちは一層引き締まる。特に、今年は6年前から知っている女子大生が来たこともあり、私の士気は頂点に達していた。お互いに授業を見学しながら、スキルを磨いていった。

以前話したかもしれないが、失意の20歳の私に社会復帰への一歩を踏み出すきっかけをくれた当時の女子高生のうちの一人である。あの時知り合っていなければ、私は今頃何をしているだろうか・・・・・・。



まあ、特筆事項はこのようなところだろうか。

すでに来年度の教員配置も決定し、それに伴って授業担当者の割振りも進行している。

私は最高学年を受け持つことになった。受験指導の技術を高めなければならない。

担当クラスは、大きく変わってしまった。これは大きなサプライズだった。2年間受け持ったみんなには、つたない授業についてきてくれたことに、授業以外の時間でおしゃべりをしたことに、本当に感謝したい。

思想が常人の発想を超越した教員と過ごした日々は、どうだっただろうか。生徒に問うてみたいが、答えを知らないほうがよいのかもしれない。



私の新年度は、通常ならば、今年で所属して15年目になるゲームサークル主催の花見で始まる。

毎年、天候に恵まれ、東京都立川市の昭和記念公園の桜の下で昼間から飲酒をする。

このイベントのおかげで、「今年度も気分新たに頑張ろう」という気分になれる。

それは、いつも私を励ましてくれる友人が、このイベントの時にだけ来るからだ。

仕事が多忙になり、結婚し、夫と一緒の時間が増えたのか、毎月の集いには、おそらく5年前を最後に来ていない。

私を最も喜ばせ、そして最も悲しませてくれたあの人と、今年も春の空の下で顔を合わせた。それが今日だった。今年は、諸事情により、いつもの年よりも1週間前倒しで行われた。

6年前の夏真っ盛りの日の悲劇からの一連の流れは、彼女に伝えたことがない。いや、そんな勇気はない。母校の文化祭に行って、部活の後輩の女子高生にエネルギーをもらってきたということが明らかになったら、間違いなく笑われる。

だから、再び仲良くさせてもらっている3年前から、あの頃のことは振り返らず、仕事の話ばかり。今日も、教員生活の話をしてみた。

だが、悩み・愚痴は、一切言わなかった。職種が違うため、言っても無意味だ。

結婚3年目の彼女を尻目に、私はしばらく独身生活を続ける決意をした。相手がいないのと、今が一番仕事に精を出さなければならないのが理由である。


今日は今日で楽しかったが、欲を言わせてもらえば、夫を連れてきてほしかった(仕事のため欠席)。

昨年は、初めて顔を合わせた。なぜだか知らないが、私と同じような波長を感じた。

そして、結婚したのが私ではないはずなのに、なぜだか幸せを噛み締めながら、新年度の仕事へと向かっていった。

というわけで、来年度も気分を新たに、高校3年生の指導に当たることとする。



そういえば、私が誘った女子高生は、家が会場に近いのに不参加だった。

おっと、女子高生といっても私の教え子ではありませんよ。そんな器用なことができるわけがない。

幼少期によくゲームサークルの集いに父親同伴で来ていた女の子が今月の集いで女子高生になって再び姿を現したのだ。「このサークルにこんな女子高生、いたかな。初参加か? ならば、現役高校教師の俺が対応しよう」と思いながら近づいてみたら、「お久しぶりです」とあいさつをされた。よく見たら、10年前に遊び相手をした子だった。大人への対応がきちんとできる18歳に成長していた。18歳だから、厳密に言えば、この春に高校を卒業して大学生になるということだ。

「家が近いんだったら、ぜひ」と誘ってみたが、まだ大人が酒を飲みながら話をしている空間には、抵抗があるようだ。当たり前か。



女は成長する。その女子高生も、そして私の青春時代を短い間だったが彩ってくれた彼女も。

私は、3年目となる来年度、高3の受験というビッグイベントに生徒とともに向き合いながら、生徒とともに成長したい。

そして、嫌な顔をせずに私と向き合ってくれた彼女には、毎度のことだが、心から感謝する。

2人で買い出し部隊の到着を待つ間に話をしたことも、お酌をして真昼間からほろ酔い気分を味わわせてくれたことも、二次会のカラオケで私の選曲に盛り上がってくれたことも、すべてが2人の新しい思い出となった。

実は、カラオケでは、彼女が一緒に盛り上がってくれそうな曲を、私が選んだのだ。自分中心に選曲をする私が相手に合わせたということで、明日は全国的に雪が降ってもおかしくないだろう。曲は、


・『君がいるだけで』(米米CLUB)

⇒わりと古い曲だが、意外と彼女も盛り上がりを見せた。

・『女々しくて』(ゴールデンボンバー)

⇒理由はわからないが、彼女の好きな曲。今年も紅白でパフォーマンスを見たい。

・『私以外私じゃないの』(ゲスの極み乙女。)

⇒歌いながら、「俺のほうこそ報われない気持ちを整理しろよ」と自らにツッコミを入れたくなった。

・『誘惑』(GLAY)

⇒彼女の夫が好きなGLAYの曲。昨年は一緒に歌ったが、今年は相手がいないので独唱。ちなみに、彼女の夫の中学・高校時代は、「GLAYか、ラルクか」でディベートが起こった時期にあたる。

・『街の灯り』(堺正章)

⇒45年前に発売されたため、古すぎた。彼女の父親が、私の横で一緒に歌っていた。

・『アポロ』(ポルノグラフィティ)

⇒彼女も私も好きなポルノグラフィティのデビュー曲。

・『恋するフォーチュンクッキー』(AKB48)

⇒シメは、この曲。


なので、私は今日ともに過ごした楽しい時間を心の支えとしながら、新年度をスタートさせるとしよう。



長文になってしまったが、結局言いたいことは、

「来年も、再来年も、さらにその先も、花見で懐かしい人と会えたことを原動力に、新しい年度も頑張る勇気をもらう」ということだ。

というわけで、彼女はこれからも、花見は強制参加でお願いします。うちのサークルの花見は、雨天決行ですよ~(10年以上前に大嵐の中で実施している)。

お久しぶりです。2016年に入ってからは初の投稿です。

「なかなか特筆すべきことが見当たらなかった」ということでしょうかね。


2015年度も終わりを迎えようとしています。

担当生徒たちはまもなく最上級生になろうとしており、受験への意識も高まっています。

私はそんな生徒たちと一緒に進級することになりました。



さて、今や国民の最大関心事といっても過言ではない「AKBグループ総選挙」が、今年も開催されることになりました。

8回目となる今回は、NGT48の専用劇場ができたばかりの新潟市で開票イベントが行われます。


(今後の予定)

3月23日(水)  メンバー受付開始

6月 1日(水)  44th Single発売。投票開始

6月18日(土)  開票イベント。選抜メンバーは45th Singleで選抜



参考までに、昨年福岡市で行われた第7回総選挙の上位16名を挙げておきます。

今回の順位予想をしたい方は、ご自由にご利用ください。


 1  指原 莉乃(HKT48 Team H)

 2  柏木 由紀(AKB48 Team B / NGT48)

 3  渡辺 麻友(AKB48 Team B)

 4  高橋 みなみ(AKB48 Team A)

 5  松井 珠理奈(SKE48 Team S / AKB48 Team K)

 6  山本 彩(NMB48 Team N / AKB48 Team K)

 7  宮脇 咲良(HKT48 Team KIV / AKB48 Team A)

 8  宮澤 佐江(SNH48 Team SII / SKE48 Team S)

 9  島崎 遥香(AKB48 Team A)

10  横山 由依(AKB48 Team A)

11  北原 里英(NGT48)

12  渡辺 美優紀(NMB48 Team BII / AKB48 Team B)

13  松村 香織(SKE48 Team KII)

14  高柳 明音(SKE48 Team KII)

15  柴田 阿弥(SKE48 Team E)

16  武藤 十夢(AKB48 Team K)

※宮澤は卒業、高橋は卒業予定、渡辺美は今回不出馬を表明



私が今回注目の的となると考えているメンバーを、以下に挙げておきます。


①指原 莉乃(23)

⇒写真集も発売し、現在勢いに乗っているメンバー。史上初の連覇が懸かる。


②渡辺 麻友(22)

⇒一昨年の総選挙を制した王道アイドル。首位奪還を狙わないわけがない。


③宮脇 咲良(18)

⇒最新シングル『君はメロディー』で、前田敦子・大島優子・板野友美など、AKB48の黄金時代を築き上げた卒業生がいる中で単独センターを務めた若手ホープ。昨年の神7入りの勢いは持続できるか。


④横山 由依(23)

⇒昨年、高橋みなみの跡を継いで正式に総監督就任。総監督となってから初めて迎える総選挙となる。これまで着実に順位を上げているが、今回は? そして、司会・徳光和夫との掛け合いも見られるか。


⑤北原 里英(24)

⇒一時は選抜から外れるなど、低迷していたベテラン。しかし、真新しいNGT48キャプテン就任後に再び人気が上昇し、昨年は選抜に復帰した。ご当地開催となる今回、自己ベストを出せるか。


⑥向井地 美音(18 AKB48 Team K)

⇒前回44位。先輩・大島優子と同じく子役を経たメンバー。このところ人気がうなぎのぼりで、ついに6月発売のシングルでセンターに立った、15期生のホープである。


⑦宮崎 美穂(22 AKB48 Team A)

⇒指原莉乃・北原里英と同じ5期生で、MCに秀でたベテラン。第1回(2009年)と第2回(2010年)で選抜入りを果たすも、その後は順位が下降線をたどり、第5回(2013年)にはついに圏外に陥落した。前回、速報では80位以内だったが、最終的には圏外へ。6月発売のシングルで5年ぶりの選抜返り咲きが確定しており、それが追い風となるか。


⑧大家 志津香(24 AKB48 Team A)

⇒前回圏外。研究生としての期間が長かった4期メンバーで、最近ではバラエティ番組での活躍が目立つ。宮崎と同様、6月発売のシングルで選抜返り咲きが決定している(こちらは2年半ぶり)。


⑨加藤 美南(16 NMB48)

⇒新たに発足したNMB48でセンターを務めている、現在注目の若手。初めて参加する総選挙がご当地開催ということで、地域からの支援も多くなりそうだ。




私は、推しメンが昨年卒業してしまったので、以前のように投票するということはないと思います。

ただ、知り合って10年になった友人(東京都公立中学校教諭)の教え子がAKB48に在籍しているため、注目はしましょう。強く勧められたら、投票を考慮に入れます。

年の瀬が迫っております。

今年の漢字は「安」に決まったようですね。書道部顧問を務める私にとって、今年の漢字は一大関心事です。「不安」ではなく、「安全」「安心」そして「安村」の「安」ですね。

私の今年の漢字は、「」です。「人生に別れはつきもの」とはいえ、どうも今年はお世話になった人との別れが多く、その人数は片手ですら数えられなかったような気がします。



私の勤務校では期末考査が終わり、生徒はもちろん、私も冬休み気分です。

受け持つ生徒は高2で、受験生になる準備を整える時期です。

ただ、この時期は考査が終わってモチベーションも下がっているので、無理やり勉強させてもダメなのは百も承知。そのため、教員がネタを考えるのに苦労します。特に、芸人を目指して挫折した私(ただ、5年ぶりに復活したM‐1を見て、昔の夢を思い出しました)。



そんな私は、担当教科から離れて、クイズをやっております。といっても、食いつくのは一部だけですが。それも、勉強に食いつきそうにない生徒たちです。「クイズでは活躍できそう」と思うんですね。使う脳の領域の違いですね。

私は1990年代、幼少期に、クイズを見て育ちました。

金曜日に小学校で「おい、昨日の『ポケモン』見たか?」と問われて、「見てない。『マジカル頭脳パワー』見てた」と答えていた時期がありました。「『ポケモン』見ないなんて、人生損してるぜ」と言われながら、「木曜日はマジカル」という信念を頑なに守りました(「人生損してる」は、私の嫌いな言葉上位に入ります。生徒が言ってきたら説教します。「お前のものさしで他人の人生の幸福度を測定するな! 人生の幸福度なんて、自分がどれだけ満足に生きられたかで決まるんだ(ただし、犯罪に手を染めてはならない)」と)。

青春時代には、土曜日の夜に『脳内エステ IQサプリ』を見てました。

そのため、脳がクイズ向きになってしまいました。それも、インテリが活躍しそうなクイズではなくて、「ひらめき」や「とんち」を要するようなクイズです。




さて、そんな私から、皆さんにクイズです。

このクイズを生徒に出したところ、うなりながら考え、10分経ってようやく正解が出ました。

そのため、私の十八番とも言うべきクイズです。



あるところに、10人家族がいます。

その家族は、我々がいつも目にしています。

家族構成は、次の通りです。


高祖父

曾祖母

祖母

長男

次男

三男

四男

五男

六男


では、ヒントを頼りに、何のことを言っているのか、説破せよ!


(1) なんと、兄弟の中で最年少は六男ではなく、長男です。さらに、長男よりも祖母のほうが若いです。


(2) 祖母は、生まれてすぐに行方不明になりました。


(3) 10年ほど前、新しい父親を迎えました。また、曾祖母ですが、この新しい父親と同時に迎えられました。しかし、曾祖母の前は「曾祖父」だったのです!


(4) 外見的特徴を調べますと、子どもたち以外はみんな、透けた下着を着用してます。また、子どもたちに関してですが、目があるのは三男と五男だけです。さらに、父親はひげが似合うと評判です。


(5) 力は、上のほうが強いです。ただし、下の者の力が集結すれば、やがて高祖父をもしのぐ力が生まれます。


(6) 兄弟の中で最も重要なのは、力が最弱な六男だそうです。特に、平成に入った直後にあるお偉いさんの一言で、六男の需要が上がりました。


(7) 六男の需要ですが、20世紀末に再び下降します。ところが、昨年になって再び上昇しました。


(8) ある場所では、次男の需要が最も高いそうです。しかし、その次男に、金魚の糞のように五男がついてきます。最近では、末っ子も複数名ついてくるようになりました。


(9) 人間は特に遠出する場合、この家族を持って出かけます。ただし、末っ子とはぐれてもなんとも思いませんが、はぐれた相手が年長であればあるほどますます動揺し、特に親以上の者とはぐれたら顔が真っ青になります。


(10) まもなく、この家族、特に親以上の者が遠くの親族のもとへ旅立つ時期を迎えます。


(11) とにかくこの家族の力は強いので、時と場合によっては使わないと警察が関与してきます。ただし、不正な手段で使われても警察が来ます。ところが、ある境界線を越えると、この家族の力がまったく発揮されなくなります。代わりに、この家族の親戚が、彼らと同じ力で動いています。


(12) 人間はこの家族の人員を数えるのに、ある図形を表す単語を使っていますね。ただ、この単語も、やはり一定の境界線を越えると通じなくなりますね。




ヒントは以上です。正解は、以下をドラッグしてください。




正解: お金


解説:

高祖父・・・一万円札(福沢諭吉)


曾祖母・・・五千円札(樋口一葉)

→2004年に「曾祖父」の新渡戸稲造から代替わりしました。


祖母・・・二千円札(紫式部)

→すでに「長男」が誕生していた2000年に誕生しましたが、最近見かけないので「行方不明」です。


父・・・千円札(野口英世)

→2004年に夏目漱石の跡を継ぎました。「透けた下着」とは、紙幣の「透かし」ですね。そして、この父親を含め大人たちが、「お年玉」として人間の子どもたちの手に渡ります。


長男・・・五百円玉

→昔は紙幣だったので、小銭としては最新、つまり「最年少」ですね。


次男・・・百円玉

→彼の需要が高い場所とは、「100円ショップ」でした。


三男・・・五十円玉

→目、すなわち穴があります。


四男・・・十円玉


五男・・・五円玉

→目、すなわち穴があります。消費税が5%だった頃、100円ショップでよく支払いましたね。


六男・・・一円玉

→最も単位が小さいので、その分需要が高いですね。「平成に入った直後のあるお偉いさん」とは、故・竹下登氏ですね。消費税を導入した当初は「次男」1人に「六男」3人がついてきましたが、今は8%なので、「次男」1人と「五男」1人と「六男」3人が100円ショップで用を済ませます。




さて、皆さんはどのタイミングで説破したでしょうか。

まもなく冬休み、あとひと踏ん張りですね。