30th Anniversary ~History~ | Kobakenの「努力は必ず報われる!」

Kobakenの「努力は必ず報われる!」

この世で最も美しいものは、無意識の親切(by Kobaken)

30年。

 

以前はよくこのブログで報告していたが、私は父と一緒に所属している某ゲームサークル(以下、「サークル」と表示)のスタッフをやっている。

そのサークルが10月に創設30周年を迎え、去る11月3日(木)、都内で記念パーティーが行われ、私も参加した。

この記事では、このサークルの歴史を私の動きと併せて紹介したい。

 

 

 

2001(平成13)年以前

1986(昭和61)年10月  サークル、都内で誕生

⇒当時は渋谷区に会場があった。私の父は黎明期からの会員の一人である。以降、月に1回例会を開き、個々人がゲームを持ち込んで遊ぶようになった。会社(または学校)も年代も違う大人たちが集まる娯楽が、ここに誕生した。なお、初期の会員の中に、コピーライターの糸井重里もいたらしい。

 

1988(昭和63)年4月  会報が創刊される

⇒当時はモノクロだったが、15年前からカラー印刷に。毎月の報告や、一人の会員のつぶやきなどを連載している。私も約10年前、合宿(後述)の感想を投稿したことがある。

 

  1989(平成元)年11月に私が埼玉県で誕生した。

 

1990(平成2)年4月  第1回合宿を実施

⇒基本的には2泊3日で、ホテルやペンションを貸し切り、温泉につかりながらゲームを楽しむ(とはいえ、ほとんどがゲームか飲酒だが)。この合宿を機に誕生したパーティーゲームも存在する。深夜までゲームをしても許される唯一の機会といっても過言ではない。だが、最近では会員の高齢化に伴い、夜遅くまで起きている人が減少傾向にある。

 

1993(平成5)年10月  デビュー

⇒3歳の頃なので記憶にないが、私はこの時にサークルデビューをしたらしい。両親に連れられて伊豆高原での合宿に行ったのだが、人見知りの激しい私は初めて見る人たちの前で萎縮し、親のそばを離れなかったらしい。

 

1995(平成7)年4月  第1回花見を実施

⇒3月の最終日曜日か4月の第1日曜日に行われる花見の第1回が、東京都立川市の国営昭和記念公園で実施された。以降、例外なく同地で開催されている。後述するが、この行事には様々な伝説がある。

 

2001(平成13)年6月  第1回バーベキューを実施

⇒花見と並ぶ二大野外イベントの一つ、バーベキューが誕生した。場所は花見と同じで、東京都立川市の国営昭和記念公園。野外イベントの幹事は毎年私の父だが、翌年の第2回は幹事不在。この年の6月、父は腹膜炎で入院しており、参加できなかったのだ。2004(平成16)年の第4回以降は東京都江戸川区の葛西臨海公園で行っていたが、2009(平成21)年の第9回を最後に実施されていない。

 

 

2002(平成14)年~2007(平成19)年  ~サークルとの関係の初期~

2002年7月  正式にデビュー

⇒当時中学生で、父に似てゲーム好きである私がデビューを果たした。例会の後に決まって打ち上げが近所の居酒屋で行われることも知ったが、さすがに中学生が行くのはまずいか・・・。そのため、打ち上げデビューは後になる。

 

2003(平成15)年4月  嵐の花見

⇒いつも雨が降らない花見だが、この年は台風の接近に伴い、関東地方に嵐が吹き荒れた。にもかかわらず、勇気ある幹事(私の父)は妻の制止を振り切り、雨天決行を表明。父もすごいが、ついてくる人たちもすごい。父の人望を実感した。昭和記念公園のログハウスの中で飲食をした後、立川市街地にあるカラオケでパーティーゲームを行い、ドリンクを持ってきた店員に変な目で見られていた大人たちがいた。この時の反省もあり、以降、野外イベントは雨天の場合中止となる。

 

2004(平成16)年8月  活動休止

⇒私は中学3年生になっており、高校受験を目前にしていたため、この時を最後に一時、活動休止に入る。

 

2005(平成17)年2月  合宿で復帰

⇒静岡県伊東市で開催されたゲーム合宿にて、復帰を果たす。ゲーム合宿の参加は12年ぶり。私立一本のため、進学先は決定していた。

 

2006(平成18)年1月  最年少参加者の座を譲る

⇒合宿参加者の中で最年少という意味。前年から会員の子どもたちが参加するようになっており、合宿で大興奮していた。最年少は4歳だった。小学生もおり、私は子どもたちに簡単なゲームを教えてあげた。その子どもたちも、今や中学生、高校生、大学生となっている。

 

2007(平成19)年8月  2度目の活動休止

⇒高校3年生だった私は大学受験に向けた勉強に専念すべく、翌年2月まで活動休止に。

 

 

 

2008(平成20)年~2013(平成25)年  ~運命の出会い~

2008年4月  スタッフ昇格

⇒高校を卒業して大学生となった私は、この年に新規スタッフとなり、親子スタッフが誕生した。だが、私がこの8年間で成し遂げた大きな仕事って・・・?

 

2008年8月  「父」との出会い

⇒この時、一組の親子が初参加。父親側はのちにスタッフとなり、現在は例会に欠かせない存在となっている。お子さんは男の子で、当時は中学生だった。この父親がのちに私の人生に深くかかわるようになり、自分が「第二の父親」と呼べる存在になることを、この時の私は知る由もない。

 

2009(平成21)年9月  突如現れたのは・・・

⇒男たるもの、どうしても美人には弱い。私も例外ではない。当時、大学での人間関係や高校時代の大親友との関係について落ち込みがちだった私の目の前に、突如現れた長い黒髪の美女がいた。いつものようにサークルで遊んでいると、私の目に飛び込んできた。この後の打ち上げにも一緒に行き、地元も同じということで帰り道の一緒だったこの美女が上記の「父」の長女で、この「父」よりも大きく私の人生にかかわることになる。彼女はどんな悩みでも真剣に聞いてくれ、どんなつまらない話にも笑ってくれた。以来、彼女に会えるのを楽しみに、サークルへと足を運ぶ日々が続いた。

 

2010(平成22)年7月  10日間の夢

⇒1年前に現れた女性と私はタイプが違うが、同い年ということもあり、すっかり意気投合。20歳になっていたこともあり、打ち上げで一緒に飲酒をする関係に。酒が強い彼女が一緒だと、私も飲みすぎてしまうようになった(私はビール2杯で酔うほど弱い)。そしてついに、初めて交際をしてもらえた。交際を承諾された日が、彼女の21回目の誕生日。プレゼントを渡して思いを伝えるという、ドラマのような展開だった。同い年だが大学生とOLという、身分の違うカップルが誕生した。お互いの両親にも認められ、この世の春を謳歌。しかし、長くは続かず・・・・・・。

 

2011(平成23)年3月  震災と活動休止

⇒この時、東日本大震災が発生。サークルもそのあおりを受け、節電のために開始と終了の時間を早めるようになった。だが、私は時間が早まっていた期間のことを知らない。前年の夏に起こった悪夢のこともあり、3度目の活動休止に。しかも、入学試験や就職活動と無関係の期間だったため、無期限の活動休止となり、普段からサークルでお世話になっている方々には心配をかけた。やはり、サークル内恋愛の失敗の痛手は大きく、この反省を生かし、現在高校教師の私は校内恋愛をしないことを心に誓う。

 

2012(平成24)年  大学院進学と教師への第一歩

⇒サークルを休んでいた私は大学院修士1年生となり、興味のある英語学を深く学び始めた。同時に、教師という目標も強く意識し始め、6月に母校で教育実習を行う。本業で充実していたことと、あの美女との関係のこともあり、この年には一度もサークルに参加していない。デビューから10周年という節目の時期だったのだが。

 

2013(平成25)年1月  大雪の合宿で復帰

⇒伊豆半島で行われたゲーム合宿にて、1年9カ月ぶりの復帰を果たす。私が以前交際していた女性の参加もあり、もはや楽しみどころか不安しかなかったのだが、久しぶりに会ったせいか、ますます温厚な性格の美女へと変貌を遂げていた。再び、友人という関係に戻った彼女と会えるのを楽しみにサークルに足を運ぶ日々が始まったが、彼女の参加頻度は激減していた。やはり、私との関係が一度おかしくなったのが原因か・・・。以来、彼女が参加するのは合宿と花見だけとなった(というか、合宿については、現時点でこの時が最後)。

⇒東京に帰る日、関東地方は朝から降雪。東海道線が神奈川県に入るや否や、倒木の影響でストップし、帰り道の我々は車内に閉じ込められる始末。私はこの日、アルバイト先の個別指導塾で高校3年生のセンター試験直前の最終調整を行うはずだったが、交通麻痺で帰宅が遅れるため、室長に代行を頼んだ。

 

2013年4月  花見決行

⇒開催当日の天気予報は、前日の夜まで「雨」。これより10年前の「嵐の花見」の反省もあり、「中止」という雰囲気になっていた。しかし、天気予報は外れ、サークル史上初めて、当日の朝に花見の実施を決定した。そのような事情もあり、参加者は10名を少し上回る程度だった。

 

 

 

2014(平成26)年~  激務の間の夢

2014年4月  就職

⇒教員免許を取得して母校の私立高校の教員採用試験にも合格し、大学院修了後、24歳で教壇デビューを果たした。経験の浅い新任にとって、教員の仕事は激務だった。それでも、参加できるのであれば今まで通りサークルに参加。以降、このサークルは私にとって、現実を忘れさせてくれる夢のような時間となった。就職を一緒に喜んでほしかったあの美女はもう・・・・・・。

 

2015(平成27)年1月  一瞬だけ参加の合宿

⇒私立学校の場合、中高併設となっており、1月には中学の入試が行われる。高校配属の教員でも試験監督や採点などの業務があるため、休日を返上しての出勤となった。1月の休日となると決まってサークルの合宿が行われるため、当然、合宿にも参加できなくなる。ところが、年に一度のビッグイベントに出たい私は、中学入試期間に休みが一日でもあれば、一瞬だけでも参加するようになった。この時が初めて、私が一瞬だけ参加した合宿に。入試業務が終わって5時に退勤し、8時頃の東海道新幹線で熱海まで40分で行き、そこから本数の少ない伊豆急行線でペンションの最寄駅まで行って夜10時30分頃に到着するというスケジュールが定着。帰りもサークルの方々とは一緒になれず、夕食後に一人で最寄駅まで向かい、新幹線で帰京するという忙しさとなった。だが、平成29年度中学入試は珍しく休日と重複しないため、今回は3年ぶりのフル参加となりそうだ。

 

2015年4月  うわさに聞いていた男性との出会い

⇒サークルで出会い、交際に発展し、その後悲劇まで経験させてくれたあの美女。温厚さを増した裏には、「結婚」という一大イベントがあった。これより2年前、6歳年上の会社員と結婚し、実家を離れたという。私の「第二の父親」である彼女の父親から、娘の結婚の話をすべて聞いたのだ。この時に毎年恒例の花見が行われ、彼女が初めて夫婦でサークル関連のイベントに参加した。ご主人は、私が自分の妻の交際相手だったことがあるという事実など知らずに、親切に接してくださり、感謝してもしきれない。6歳年上となると、90年代音楽が好きな私と歌謡曲の話が合う傾向にある世代。ご主人も例外ではなく、打ち上げで行ったカラオケで3曲ほどコラボさせてもらった。彼女が運命の相手と出会い、結ばれたことを喜びつつ、私は20代での結婚をあきらめ、独身生活を継続中。

 

2016(平成28)年11月3日  創設30周年記念特別例会

⇒私もサークルの30年の一部であることに感動しつつ、参加させてもらった。これからも、サークルの歴史は続いていく。

⇒なお、この日の様子については、次の記事で詳述する。

 

 

 

私の人生に楽しみをもたらしてくれたサークルの30周年は、言葉にできないほどめでたい。

子どもだった私を育ててくれ、青年になった私が美女と交際することを認めてくれ、教師となった私にひとときのやすらぎを与えてくれたサークル。

最近では若い芽も育っており、今後の発展が楽しみである。