九州場所十両昇進力士 | Kobakenの「努力は必ず報われる!」

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久しぶりに更新してみた。


25日、大相撲秋場所が大盛況のうちに幕を閉じた。

大関・豪栄道の初優勝、しかも全勝。全勝優勝は日本出身力士としては20年ぶりの快挙で、初優勝が全勝というのは22年ぶりだという。


さて、大相撲というと上位ばかりが注目されがちだが、大相撲は幕内だけではない。

特に、幕下は面白い。大卒のホープに、高卒のホープに、じっくり力をつけてきた25歳前後の中卒力士に、若手の壁になろうとする30代のベテランに、関取の座を明け渡さざるを得なくなった力士に・・・。いわば、「サラダボウル」のようなものだ。


今日、九州場所番付編成会議が開かれ、その幕下を抜け出して十両に昇進する力士を発表した。

新十両が3人、再十両が2人である。



新十両   小柳 亮太  Ryota OYANAGI

本名同じ

⇒本名を四股名とする関取の誕生は、平成28年夏場所の宇良(木瀬、現・十両)・佐藤(貴乃花、現・十両)以来3場所ぶり

部屋: 時津風(元前頭3・時津海)

⇒時津風部屋からは、平成27年秋場所の正代(現・幕内)以来7場所ぶり

出身: 新潟県新潟市中央区

⇒新潟県からは、平成16年九州場所の豊乃國(新潟市、時津風、元十両13)以来71場所ぶり

生年月日: 平成5年9月22日(23歳)

⇒平成5年生まれとしては、平成26年名古屋場所の大栄翔(追手風、現・幕内)以来14場所ぶり

身長・体重: 185センチ 171キロ

最終学歴: 東京農業大学

⇒東京農業大学からは、平成27年秋場所の正代(時津風、現・幕内)以来7場所ぶり

初土俵: 平成28年春場所 三段目100枚目格付出

⇒平成28年春場所初土俵の力士としては初。今年新設された三段目100枚目格付出適用者第1号


今年春場所、新設制度である三段目100枚目格付出が適用された初の新弟子となり、同じ制度を適用された石橋(高砂、現・幕下)と同期で初土俵を踏んだばかり。秋場所は3連敗から4連勝で勝ち越しを決め、勝負強さを見せつけた。師匠によると、プロとしての資質は、大学でも部屋での先輩にあたる、ネガティブ発言が注目されてばかりの正代よりも上だという。時津風部屋は、ベテラン・時天空(現・間垣)が悪性腫瘍との闘病の末に引退し、同じくベテラン・豊ノ島もアキレス腱断裂の重傷を負い、九州では12年ぶりに幕下に陥落することが決定的になるなど、この1年で環境が激変した。若い芽が伸びているということなので、しばらくは正代とともに部屋を盛り上げてほしいが、幕下で取ることになる豊ノ島も刺激を受け、若手とともにまだまだ健闘してほしい。




新十両   大翔鵬 清洋  Kiyohiro DAISHOHO

本名: チミデレゲゼン・シジルバヤル

部屋: 追手風(元前頭2・大翔山)

⇒追手風部屋からは、平成28年初場所の剣翔(現・十両)以来5場所ぶり

出身: モンゴル・ウランバートル市

⇒モンゴルからは、平成28年初場所の千代翔馬(ウランバートル市、九重、現・幕内)以来5場所ぶり

生年月日: 平成6年8月28日(22歳)

⇒平成6年生まれとしては、平成27年春場所の阿炎(錣山、現・幕下)以来10場所ぶり

身長・体重: 182センチ 140キロ

最終学歴: 千葉県立流山南高校

⇒流山南高校からは、平成27年春場所の阿炎(錣山、現・幕下)以来10場所ぶり

初土俵: 平成25年春場所

⇒平成25年春場所初土俵の力士としては、平成25年名古屋場所の遠藤(追手風、現・幕内)以来20場所ぶり


またしてもモンゴル出身関取が現れたが、この力士の場合、生い立ちが変わっている。力士になると同時に来日したのではなく、9歳で来日して日本で教育を受けた。高卒と同時に、人気者・遠藤と同じ部屋から同期で初土俵を踏む。1年以上幕下1ケタ台の壁を破れずにいたが、ようやく関取の座を手にした。おっとりした性格で、本人いわく「面倒くさがり屋」だが、部屋に大勢いる関取衆から刺激を受けながら、さらに上を目指してほしい。四股名は師匠の大学と部屋の後輩と同音だが、こちらは「大翔鳳」と書いた。こちらの「ダイショウホウ」は三役までは早かったが、最後はケガに苦しんで引退し、膵臓癌も見つかって32歳で逝去。現在の「ダイショウホウ」は、幕下上位で苦労した分、大輪の花を咲かせてほしい。同期生・遠藤の人気と活躍も刺激になっているだろう。




新十両   明生 力  Chikara MEISEI

本名: 川畑 明生(Meisei KAWABATA)

部屋: 立浪(元小結・旭豊)

⇒立浪部屋からは、平成23年名古屋場所の飛天龍(現・三段目)以来32場所ぶり

出身: 鹿児島県大島郡瀬戸内町

⇒鹿児島県からは、平成26年名古屋場所の若乃島(奄美市、芝田山、現・十両)以来14場所ぶり

生年月日: 平成7年7月24日(21歳)

⇒平成7年生まれとしては初

身長・体重: 180センチ 120キロ

初土俵: 平成23年夏技量審査場所

⇒平成23年夏技量審査場所初土俵の力士としては、平成25年秋場所の照ノ富士(伊勢ヶ濱、現・大関)以来19場所ぶり

⇒中卒の力士としては、平成27年夏場所の錦木(伊勢ノ海、現・幕内)以来9場所ぶり


高卒や大卒、外国人が目白押しの角界において、久々に中卒たたき上げの日本人関取が誕生した。相撲が盛んな地に生まれ、幼少期には野球と相撲に親しんだ。角界が八百長問題で揺れる中で初土俵を踏むと、2年で幕下に上がるなど、出世は順調だったが、「引退を考えたこともある」ほどの腰のヘルニアに悩まされ、4度の三段目陥落の憂き目にあった。十両の残り1枠を同部屋で同期の幕下・力真との競合の末に勝ち取り、21歳で十両に昇進した。力真が5勝で明生が4勝だったが、番付は明生のほうが上だったため、出世争いで先を越した。ただ、本人は昇進できるかどうかわからずに不安だったという。かつて69連勝を誇った横綱・双葉山を擁した立浪部屋だったが、昭和62年の第61代横綱・双羽黒の不祥事による引退以降は勢力が衰えた。平成に入って日大出身力士が関取として活躍したが長くは続かず、現在は関取ゼロ。しかし、有望な若手が幕下に名を連ねており、今回の明生の昇進は、部屋の同世代の幕下ホープに刺激を与えたはずだ。




再十両   山口 将大  Masahiro YAMAGUCHI

⇒平成26年夏場所以来15場所ぶりの十両復帰

本名: 山口 雅弘(Masahiro YAMAGUCHI)

部屋: 宮城野(元前頭13・竹葉山)

出身: 福岡県飯塚市

生年月日: 平成元年5月13日(27歳)

身長・体重: 182センチ 152キロ

最終学歴: 日本大学

初土俵: 平成24年春場所 幕下15枚目格付出

新十両: 平成24年秋場所

新入幕: 平成25年夏場所

最高位: 西前頭16(平成25年夏場所)


九州場所で十両に復帰した関取は2人いるが、いずれも長い苦難の日々を経て復帰しただけに、感慨もひとしおだろう。1人目は、アマチュア時代から名が知られていた元幕内・大喜鵬の山口である。鳥取城北高校1年で高校横綱に輝き、日大に進学。大学時代にはすでに幕内クラスの力を持っており、アマチュア時代の19個のタイトルを引っ提げ、横綱・白鵬の内弟子第1号として宮城野部屋から初土俵を踏んだ。

1年で幕内まで駆け上がったが、新入幕の場所では下半身のもろさを露呈させ、3勝に終わる。そこから長い闘いが始まった。腰の手術だけでなく、甲状腺の病気「バセドー病」にも悩まされ、番付は三段目まで降下。平成27年春場所に本名の「山口」に戻しても効果が出ず、翌場所では自己最低地位となる三段目65枚目まで下がった。その時、中学から大学までの同級生で相撲部のチームメイトでもあった部屋の後輩・石浦が新十両を決めたばかりだった。

上記の自己最低地位からは負け越し知らずで番付を上げていき、苦労の末にようやく十両まで戻ってきた。生活態度の改善も見られ、以前はコツコツと努力をするのを避けてきたが、現在では目標を決め、それに向かって真剣に取り組んでいる。また、力士というと硬派なイメージだが、山口の場合は正反対で、無類のおしゃべり好きな上に目立ちたがり屋で、3年前には人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の後ろで軽快に踊っていたこともある。そうした現代風の力士だけに、番付を上げていけばおのずと人気も出るだろう。四股名については、「以前の自分を超えるまでは本名のまま」だという。下積みをあまり経験せずに関取になった力士よりも、下で長く苦労した力士のほうが大成するもの。以前パッと咲いてパッと散った花は、今回はしっかり根を下ろして咲くはずである。




再十両   竜電 剛至  Goshi RYUDEN

⇒平成24年九州場所以来24場所ぶりの十両復帰

本名: 渡邊 裕樹(Yuki WATANABE)

部屋: 高田川(元関脇・安芸乃島)

出身: 山梨県甲府市

生年月日: 平成2年11月10日(25歳)

身長・体重: 192.5センチ 141キロ

初土俵: 平成18年春場所

新十両: 平成24年九州場所

最高位: 西十両12(平成24年九州場所)


もう一人の十両復帰力士は、中卒たたき上げのホープと目されたこともある竜電。先の山口とは学歴も性格も正反対で、どちらかといえば師匠に似て古風で武骨なイメージだ。平成生まれの関取第1号は大関取りの資格を手にした関脇・高安(田子ノ浦)と、長期休場からようやく復帰した人気者の序ノ口・舛ノ山(千賀ノ浦)だが、当初は竜電が平成生まれとして初めて関取になるだろうと予想されていた。

中学時代、師匠が学校を訪問し、「男の中の男になれ」という誘い文句で入門を決意した。貴乃花・稀勢の里と同じく17歳で幕下に上がり、次世代のホープとの呼び声が高かったが、そこから長い幕下生活へ。特に、新弟子検査の時点から注目されていた同じく中卒である弟弟子の輝(現・幕内)に番付で抜かれたことで闘争心に火がつき、その場所で幕下優勝を果たして十両昇進を決めた。

師匠が「十両は通過点のつもりで」と期待していたが、新十両の場所途中で股関節を痛め、休場。十両だった番付は坂道を転げ落ちるように急降下し、気づけば序ノ口まで落ちていた。序ノ口で全休すると番付外に陥落することになるため、それを阻止すべく場所の最終盤だけ出るという生活が4場所も続いた後、序ノ口、序二段、三段目といずれも全勝優勝で通過し、幕下まで戻ってきた。その後しばらく足踏みが続いたが、秋場所で西幕下2枚目の地位において勝ち越しを決めたため、4年ぶりの十両復帰となった。十両陥落後の最低地位は平成26年秋場所での西序ノ口17枚目で、昭和以降3番目に低い地位からの復帰。陥落の原因となったケガに気をつけていれば、厳しすぎる師匠の指導下で、今度こそ入幕を目指せるはずである。