以前に男映画に引かれるとおっしゃった事を思い出します。
ロバート・デ・ニーロやアル・パシーノを憧れるともしましたし。
だが、20代の時と今の考えは違うと思います。
チャン・ドンゴン氏が今引かれる本物の男映画というのはどんなものでしょうか。
私と似た世代俳優らの共通点である事もあって、
一定の年齢になれば自然に訪ねてくる感情であります。
以前には簡単に話してマッチョ キャラクターが素晴らしく見えました。
男の本能的な魅力に引かれたことでしょう。
ところで今は本能を越えた違うものら、
例えば外柔内剛型キャラクターがさらに魅力的に見えます。
演技もそういうのをもっと上手くやることができそうです。
本当におとなとでも言おうか・・・。
今は同じ状況でも普遍的でない感情を見せるキャラクターにさらに引かれます。
事実チャン・ドンゴン氏が引き受けた役割を見れば、
大部分極限経験をしました。
主に途方もない大義を抱いていたり平凡でない人物でした。
そうしたのは本当に残すことなくしてみました(笑)。
それでこの頃はドラマをまたしたいという考えになります。
日常的な感情をちょっと違うように、おもしろく表現するのに関心があります。
大衆が好むイメージは時代により変わると見ます。
以前には彫刻のような顔を好みましたよ。
そうするうちに'メトロセクシャル'という単語が浮び上がって、
地味でも作品によく溶け込む顔が好きな時もありました。
チャン・ドンゴン氏もそのような変化を感じているんですか?
大作をし終えれば小さい映画をしたい欲望ができるように、
トレンドも欠乏から出るようです。
今満足な状況としてもその渦中にないことを次に持ちたがることでしょう。
私が幼い時はマッチョ キャラクターが男の標本でした。
そうするうちに突然やわらかい男性が人気を呼んで、
'美男'と'ジム・スンナム'が脚光を浴びると、'車図南'ができて..(笑)。
常に今トレンドで欠乏した方向に流れるようです。
映画を選択する時も同じことです。
今どんなものにオールインしていれば、
その反対側にあることにさらに関心を持つはずです。
それで若い俳優は自分の容貌を遠慮なく表わす作品を、
わざわざ避ける傾向があります。
チャン・ドンゴン氏も[海岸線](2002)を基点にそうしたようなのですが。
意図的でしたか?
その時は反抗的な心理が少しありました(笑)。
"人々が最初から演技を期待しないんだな"
という気がしましたよ。
それでわざわざ感情の終わりを走るキャラクターを通じて、
演技を見せようとしましたよ。
以前に演技を出来ないことがコンプレックスといったが、
その考えは今でも変わることがありませんか?
今でもそうします(笑)。
常に私のコンプレックスは演技です。
それでも最小限後退しはしなかったと考えます。
歩幅が大きくても小さくても、少しずつ前に出て行ったと考えるのに、
今よりはさらに自由な俳優になったらいいですね。
人生経験を通じて、映画の中の配役を通じてさらに深くなって広くなりたいです。
それでこの頃は演技した期間に比べて作品数があまり少なかったのはでないのか、
たくさん反省しています。
作品を選択する時ジレンマがありそうです。
例えば完成度があるシナリオなのに既にしたことと似たスタイルの映画が、
あることで完成度はちょっと落ちても新しい変化を見せることが、
できる映画があると思いますが。
そうする時どんな選択をするのですか。
状況によって違うでしょう。
もちろん私がどの程度引かれるのかが最も重要でしょう。
その他にはこの頃、予測しにくいでしょう。
成功と失敗の基準が大いに変わったし、
映画の成否が予想できない側に行く時が多いですから。
他の見方をすれば本質に近づくことと見ます。
以前に比べて良い映画はどうにか生き残るようです。
疎通の手段がたくさん発展したおかげなのか、
良い独立映画がたくさん紹介されていて。
それで今は色々な状況を問い詰めて予測する前に、
本質に忠実でなければならない時がないかと思います。
良い作品だと考えられて私が引かれればするのが合いますよ。
'俳優の選択VS自然人の選択'
ちょっと前に自由な俳優になりたいといったがチャン・ドンゴン氏の場合、
大衆が作っておいた枠組みがとてもかたいでしょう。
'完ぺきな男'、'模範的な男'など。
そんなことが本人にどんな重さで近づくのか気になります。
例えば初めて会った人がハンサムだったといえば、
ずっとハンサムだったふりをしなければならないでしょう(笑)。
"優しい"という声を聞けばずっと優しいようにしてこそ相手方が失望しないようだし。
私の意図と関係なしでさげすみなる時はとてもくやしいが、
私の考えよりはるかに美化される時も負担になりますね。
私にもそんなことがありました。
ところでもう年を取ったし経験も積もって見たら、
私の考えをさらに率直に話して自由に行動してもかまわなくはないかと思います。
そのようにしても受け入れられる時期が来ていると見ます。
前に役割を通じてもそうであるはずであって。
現場ではとても礼儀正しくて、
記者やファンたちの間では謙虚でマナーが良い俳優で良く知られています。
物議もなくてちょっとつまらない人という気がするほどです(笑)。
本来自身には寛容でなかったために可能になることではないでしょうか?
多くの方々は私が自身をよくコントロールすると考えているのに、
実は生まれつきちょっと怠けます。
日常生活で感情の起伏を体験するのをとても疲れますね。
それで演技する時は反対給付で感情起伏が多いキャラクターを好んだが、
実際には"良いのか、良かったんだろう"という考えで生きています。
もちろん私もストレスを受けます。
特に状況のために思い通りにならない時とてもストレスを受けるが、
それを集めて一度に解くというよりその時その時緩衝させる方です。
私は酒を飲む時気分が良くなります(笑)。
良く飲む方ではないが、一日日課が終わってワイン1、2杯飲んで、
適当に酔いが回れば悪かったと言う感情が良いものに変わりましたよ。
仕事に疲れた時疲れてだるさを解くことができる事があるんですか?
例えば趣味や人と同じに。
私はそのような媒介体が明らかにあります。
野球!
一週間に一回ずつ野球をすれば・・・あ、野球の為にストレスを受けるんだな(笑)。
私が平常時には勝負欲を働かせないのに、変に野球する時だけは、
勝負欲が強くなります。
負けるのが嫌いだったんですよ。
思いのままならない時は声を出してののしって声も張り上げます。
スポーツの現場の中では容認されることであるから、
そういうのを通じてストレスを解きます。
(チャン・ドンゴンは芸能人野球団'プレーヤーズ'で投手を受け持っている。)
そういえば2009年韓国シリーズの時始球した事を思い出しますね。
とてもよく投げられたのに。
さらによく投げられたのに・・・。
その時拘束が98キロメートル程度つけられたようだが、
もっと上手くやることができました!
全力投球をすれば表情がゆがむが、写真撮られることまで計算したことでしょう。
表情管理する線で私の能力の70~80パーセント程度でだけ投げました(笑)。
勝負欲を燃やすことができるスポーツが多いが、
特に野球が良い理由が何ですか?
人生と類似したもののようです。
最も多い変数を持ったスポーツが野球ですね。
野球はひとまずチームプレーです。
野球をしながら戦友愛からあらゆる感情をみな感じます。
私が間違って負ける時の自己恥辱感、私が上手にして勝った時の成就感、
私よりはるかに強い相手が打席に立った時入る恐怖感、
その打者(タイプ)を三振で捉えた時、また、その打者(タイプ)に、
ホームランを浴びた時入る感じなどの色々な感情と状況が野球中にあります。
他のスポーツに比べて勝敗を合わせにくいのがまた、野球です。
例えば格闘技はその間の戦績を見て誰が勝つのか簡単に予測できて、
また、そのままなる可能性が多いでしょう。
ところで野球には絶対強者、絶対弱者がないです。
弱いが強い相手に勝つための戦略が明らかに存在するからです。
それでとてもおもしろいです。
今応援するチームが?
フーン.. 今は話したくありません。 ハハハ。
どんなスタイルの人々とよく合うほうなのですか?
親しい人々を見て回れば共通点が見えると思いますが。
直接的な人々と親しいです。
私は遠まわしに言う方なのに、直接的な人々を私が好んだりもして。
そういえば私の周辺には多血質が多いですね!(笑)
人々の間の関係で先に近付くほうなのですか?
そうする時もあってしない時もあるが、表現方法の差であることのようです。
普通初めて人に会えば境界線のようなのができるでしょう。
私がこの人のどこまで侵してはいけなくて、
反対に私のある程度まで見せなければならないような。
こういうものが調整されながら友人になるのに、そこには段階があります。
初めて会えて1ぐらい親しくなれば二番目会った時は2、三回目出会いでは3、
そうするうちに10度会えばお互いを完全に知って皆あげることになるんです。
ところで私は必ずそうではありません。
初めて会った時は3のように見えることができます。
ところで3度に会っても3で、10度に会っても3日時があります。
それで本意と違って誤解を生じたりもするが、
それでも壁を置いて人に対するのは違います。
そのまま自然に引かれながら近づくようです。
あの人がなぜ良いのか、なぜ出てきて親しいのか話では説明するのが難しいです。
チャン・ドンゴン氏とコ・ソヨン氏の結婚と出産は途方もなく、
大いなる関心を受けたのではないですか。
本人にも大きい変化だった縁です。
前に大衆の愛を受けるのと家庭を保護すること間に対立する時が、
明らかにありそうなのですが。
そうした点でどんな視線、どんな態度を持っているのか気になります。
以前に私に最も重要なことは俳優という職業でした。
俳優としての選択だけしたからです。
ところで今は俳優としての選択と自然人としての選択が衝突する時があります。
そのたびに私がどんな選択をするのか、自らを観察したりもします。
今はそれを賢くよく調和させていく段階であることのようです。
もちろん今最も重要なことは家庭です。
結婚して子供ができながら価値観が変わったからです。
前に仕事と家庭が衝突する瞬間がくる時ごとに、
賢明な選択をしなければなりません。
偶然にも今までは仕事に時間がたくさん偏重されていたが、
今は子供が正しく育てるように一緒にいてくれなければならないようです。
もうパパ、ママを調べてみ始めたので、子供にも重要な時期ですから。