ソメイヨシノが満開の難波。

今は春。こうして季節は移りゆき、

ときの流れは、川の流れと同じく

はやく感じる。

 

恋は国により違い、時代によって

違い、謎めいたことが多い昔のこ

と。平安時代の頃の恋の歌を画で

表現した北斎百人一首があり、こ

の中の元良親王(もとよししんお

う)の歌でみる。

 

元良親王と陽成院

元良親王(890-943)の父は陽成

院(百人一首13番)。

父・陽成院は9歳で即位し、関白

藤原基経によって退位を迫られ、

若くして譲位し上皇となり、次に

光孝天皇が即位し、元良親王のま

まで、天皇にはなれず、興味は政

治より、身分を問わず女性にあり

、美人と聞けば歌を贈り、「元良

親王御集」の歌はほとんど女性と

交わした歌である。

 

 

陽成院の第一子・元良親王(勝川春章画・版本)

 

元良親王の百人一首の歌(20番)

元良親王の百人一首の歌は宇多天

皇の后・襃(ほうし。京極御息所

・藤原時平の娘)との不倫が発覚

したときに詠んだ歌。

 

詫びぬれば今はた同じ

難波なる身をつくしても

逢はむとぞ思ふ

 

「詫びぬれば」は、これほど恋に

悩み苦しんでいるので、「今はた

同じ」は、今はまた同じ気持ちで

いる。

「難波なる」は、難波潟(なにわ

がた)にある。「身をつくし」

は、澪標(みおつくし、船の通り

道の杭)の掛詞で、身をつくして

も「逢はむとぞ思ふ」は、あなた

との逢瀬を果たそうと、その心を

流れる川に立つ澪標の杭に懸け、

自分の恋心を伝えている。

 

 

元良親王の百人一首の歌(第20番)

 

『北斎百人一首ーうばがゑとき』

後世のひとが北斎のものをあつめ

たピーター・モースの著(訳・高

階絵里加)『北斎百人一首うばが

ゑとき』(岩波書店)があり、元

良親王の歌をみる。

詫びぬれば今はた同じ

難波なる身をつくしても

逢はむとぞ思ふ

 

 

元良親王の百人一首の歌

 

この歌は、ここまで悩み苦しんだ

からには、今や同じことです。お

逢いしたいのです。たとえ難波の

海に命を捨てることになろうとも。

と、英語でもwill stake his life

で、この命を賭ける掛詞の意味に

なるという。

 

詫びぬれば今はた同じ

難波なる身をつくしても

逢はむとぞ思ふ

 

この歌の北斎の絵

場面は大阪湾の岸辺。

中央に海の澪標の一種の杭があり、

傘に顔を隠すふたりは、高貴な女

性と供の者で、牛に乗せられた束

の下には、鞍の一部が見え、人目

を忍び逢いに来た男かなどと想像

させる絵になっている。

 

 

『北斎百人一首うばがゑとき』(元良親王の百人一首の歌)

 

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『北斎百人一首うばがゑとき』(陽成院の百人一首の歌)

 

 

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