源氏の姓を名乗る子孫が多い。

なかでも関東での源頼朝を担いだ

源氏(多田氏)の子孫に源(多田)

満仲がいる。

 

多田満仲の子の源頼光、その頼光

家臣の四天王にまつわるたくさん

の逸話が後世に多くあり、なかに

は今も形をかえ受け継がれてきて

いるものもある。

絵は月岡芳年「頼光四天王大江山

鬼神退治之図」による。

 

 

月岡芳年「頼光四天王大江山鬼神退治之図」

 

源頼光と四天王

源頼光(948-1021)の父は源満仲、

母は嵯峨源氏の源俊の娘。

源頼光は、源満仲の長子で、清和源氏

の3代目になる。

源頼光の家臣には、四天王と呼ばれた

強者家臣の渡辺綱、酒田公時、碓井貞

光、卜部季武がおり、古典『保元物語』

などで、同時代の藤原保昌と併称され

両大将が描かれている

 

源頼光四天王と鬼退治

大江山に棲む酒呑童子(しゅてん

どうじ)は、昼間は童形の人間の

姿で、夜になると、角が生えて鬼

の正体を現したという。

源頼光と臣下の四天王たちは、山

伏に化けて酒を呑み、酒呑童子の

館に入り込み、酔って寝た酒呑童

子の首をはね、捕らわれていた都

の姫を救い出す。

 

 

 

源頼光と四天王(酒田公時、碓井貞光、卜部季武、渡辺綱)

 

源満仲(摂津国・多田)

源満仲(912-997)の父は源経基

で、満仲は清和源氏の2代目になる。

清和天皇ー貞純親王ー①源経基ー

②源満仲(多田満仲)ー③源頼光

源満仲(53歳)は、安和の変(96

9)で円融(皇太子)謀反ありと密

告の事件の端緒をつくり、この事

件で源高明が失脚する。もともと

源高明の一派であるが、密告の恩

賞により正五位下に昇進する。

満仲は二度国司を務めた摂津に土

着することになる。摂津住吉郡の

住吉大社に参詣したとき、多田盆

地(現兵庫県川西市多田)に入り、

所領として開拓し、郎党を養い武

家の棟梁として治める。

 

 

源満仲こと多田満仲

 

源満仲と花山天皇退位事件

寛和元(986)年に起きた花山天皇

退位事件で、天皇を宮中から連れ出

した藤原道兼を警護した「なにがし

といふ源氏といふいみじき源氏の若

者たち」(「大鏡」)は、満仲一族

をいい、この後満仲と主従関係にあ

った藤原兼家は一条天皇の摂政に就

任する。

 

多田満仲

月岡芳年は「大日本名将艦」(1877-

1882)に多田満仲(ただのまんじゅ

う)を描く。

多田満仲こと源満仲は、武をもって宮

廷に貴族で、左大臣源高明一派が失脚

した安和の変(969年)で活躍する。

のち多田荘に勢力を張り、世に多田満

仲と呼ばれる。多田荘に移り住んだの

は、住吉明神の神託によるが、絵の詞

書にあるように、神託により大蛇を射

止めたという説が『多田五代記』など

に伝えられている。

 

 

多田満仲(大日本名将艦・月岡芳年作)

 

源頼光と関白兼家・道長

源頼光は20歳頃宮廷に出仕し、父と

同じく藤原氏に臣従。関白藤原兼家

の葬儀に際して、藤原道長の振舞に

感心し、正暦元(990)年道長の側

近として臣従する。

源頼光は但馬国、伊予国、摂津国の

受領を歴任、蓄えた財で一条邸をも

ち、道長に多大な進物をする一方で

武門の名将「朝家の守護」と呼ばれ

るようになり、弟・頼信とともに清

和源氏の興隆の礎を築く。

 

 

 

摂州朝臣源頼光  瀧口内舎人渡邉道綱

 

 

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