一向宗(どうする家康7)

 

(わしの家)

永禄6(1563)年、三河・岡崎。

織田信長が、元康の元は縁起が悪いか

ら名前を替えといわれる。瀬名の言葉

で、三河はひとつの「家」だから、「

家康」とつけ、以後松平家康と名乗る。

 

 

 

岡崎城の竹千代・家康像

 

同年永禄6年7月木下藤吉郎が使者と

して岡崎城にやってきた。鷹狩の誘い

で、そこは家康の領土で、信長は武装

し、小軍勢で、とったという獲物は、

三河の名だたる武将らの侍たち。

信長はこれから美濃の平定にとりかかり、

お前は三河を平定せよと言われる。

家康は直ちに謀反者らを鎮圧する。

 

家康は八方塞がりだった。この3年、戦

さ続きで、城の蔵も空っぽだ。領民の暮

らしは苦しく、これ以上民から取り立て

るわけにいかなかった。

 

ある日、瀬名が一向宗の寺に行きたいと

言い出す。酒井忠次(左衛門尉)の妻・

登与たちから賑やかで楽しいところと

聞く。

 

家康は、ふと思う。一向宗の寺が豊かな

のは、家康の父が与えた不入の権を盾に

年貢を納めず、全部自分たちのものにし

てしまうから、一向宗の寺から年貢を取

り立てばよいとした。

 

しかし、左衛門尉や石川数正たちは反対

した。寺の中は武士の力の及ばぬ場所で、

寺々がそれぞれひとつの国と考えた方が

いいという。

家康は不服に思い、百姓のふりをし、一

向宗の寺に潜りこむ。榊原小平太と本多

忠勝を供にやってきたのは本證寺だった。

 

周囲に堀をめぐらし、土塁を築き、寺と

いうより城下町のようであり、岡崎の城

下より賑わっている。一向宗徒で案内役

の下級武士・土屋長吉重治が言う。

侍、百姓、罪人だろうが、遊び女だろう

が、ここではみな同じ。

人々が一斉にお堂に集まる。

僧侶が現れる。本證寺の住職。蓮如上人

の曾孫の空誓だった。

 

 

 

(空誓の説法)

昨晩、竹藪で小便していた。気持ちよか

った。(笑い)幼子がじっと見ている(

笑い)その幼子、その場を離れようとし

ない。尋ねてわかった。その子の母が待

っておくようにと、かわいそうに寒さで

震えていた。その子を知り合いの寺で預

ってもらったが、母親に罪がない。

一生懸命働いても、おまんまが喰えん。

戦さをするアホどもがいる。仏様は悲し

んでいる。皆、誰もが罪を犯す。現世の

罪は現世かぎりだ。阿弥陀様は極楽浄土

に連れてくれる。手を合わせ、南無阿弥

陀仏、南無阿弥陀仏を唱えよ。

 

空誓の説法に人々は涙し、「南無阿弥陀

仏」、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、

競うように銭や米を差しだす。

お堂では、老若男女が熱に浮かされたよ

うに踊っている。

 

 

<家康と空誓>

千代という名の踊っていた女を介して、

家康は空誓に、一向宗は、なぜ国が困っ

ているのに、米を拠出しないのか。と尋

ねると、「アホに銭は、死に金じゃ」

と言う。次いで「国は民を守るために、

命がけで戦さをしてはならないのか?」

に「知らん!」と、「与える側と救う

側では、生きている世界が違う」と断言。

 

 

(わしの家)

千代に押し出された家康。女たちとぶつ

かる、瀬名、登与と於大までが。

家康は、ふしだらな女だと激怒し、城に

連れて帰った。

数日後、家康は左衛門尉や石川数正に内

緒で、すべての寺から年貢を取りたてた。

瀬名は「道理に反する」と眉をひそめた

が、家康は「何が悪い」、今まで寺の連

中を甘やかしすぎたという。

その一か月後、甘かったのは自分だと家

康は知る。

 

三河の一向一揆の平定は、第7・第8・第

9回と3回つづく。

 

ー家康と三河一揆ー

家康は今川氏と断交し、織田信長と同盟を

結ぶ。信長との同盟で、家康は外交的には

安定した。

だが、三河国内では、永禄6(1563)年9

月大規模な一向一揆が勃発。

 

<三河一揆「本願寺派(三河三か寺)>

この一揆は、一向宗と呼ばれた浄土真宗派

の門徒による一揆であった。その頃三河で

は、上宮寺・本證寺・勝鬘寺という本願寺

派寺院が三河三か寺と呼ばれ、教線を拡大

させていた。

家康は上宮寺からの兵糧米の徴収をし、

このことに端を発して一揆が起こる。

 


 

<一揆蜂起「領主・家臣」>

一揆には東条城主吉良義昭や上野城主酒井

忠尚ら家康と対立する領主層も支援してい

た。しかも、本多正信や松平家次らのよう

に門徒となっていた家臣が一揆側に立って

戦うなどがあり、家康は追い込まれる。

 

 

一揆側は、連帯して戦う術がなく、しだい

に家康が反攻に転じ、翌年永禄7年2月には

三河一向一揆を鎮定する。

これにより吉良義昭は上方に逃亡し、酒井

忠尚は、今川氏真を頼って駿河に出奔した。

家康は門徒であった本多正信や松平家次ら

をどうするかと迫られる。

 

家康は本多正信や松平家次の帰参を許した。

家康自身も浄土宗に帰依していたから一揆に

ついて事情を理解していたが、国内の本願寺

派の寺院・道場はすべて破却している。

 

ー三河平定ー

家康が三河一向一揆を鎮定したあと、今川

方であった二蓮木城主戸田重貞、牛久保城

主牧野成定といった東三河の諸将が帰順し

た。さらには、今川方につく吉田城主大原

資良(小原鎮実)や田原城主朝比奈元智を

攻めて城を奪う。こうして家康は、三河一

揆を鎮定し、わずか4ヶ月で三河を平定する

ことになる。

 

 

どうする家康(メモ)

松平家康     :松本 潤

瀬名(築山殿)  :有村架純

於大の方(家康の母):松島菜々子

瀬名の父・関口氏純:渡部篤郎

瀬名の母・巴   :真矢ミキ

 

今川氏真     :溝端淳平

鵜殿長照     :野間口 徹

田鶴(長照の妹) :関水渚

 

織田信長     :岡田准一

お市(信長の妹) :北川景子

柴田勝家     :吉原光夫

木下藤吉郎    :ムロツヨシ

 

武田信玄     :阿部 寛

 

石川数馬               :松重 豊

酒井忠次     :大森南朋

大久保忠勝(平八郎) :山田祐樹

鳥居忠吉    :イッセー尾形

大久保 忠世  :小手伸也

 

服部半蔵    :山田孝之

本多正信    :松山ケンイチ

千代      :古川 琴音

空誓      :市川右團次

 

 

 

岡崎城(愛知県岡崎市)

 

2023.1.9

家康「戦(黄金兜)」桶狭間(1)―男と女の物語(313)

2023.1.16

家康「兎と狼(欣求浄土)2」ー男と女の物語(320)

2023.1.20

家康(三河平定「覇者と家臣」3)ー男と女の物語(326)

2023.1.30

どうする家康4(瀬名と今川氏真)ー男と女の物語(335)

2023.2.5

大阪夏の陣「樫井合戦(家康)」ー男と女の物語(341)

2023.2.6

家康(服部半蔵・本多正信)「瀬名奪還6」ー男と女の物語(342)