※今回の記事ではクローンウォーズ・シーズンファイナルの第12話「勝利と死」の内容に関する記述があります。

初見の感動と興奮を損ねないためにも、ぜひ本編の視聴後にご覧ください。

 

 

 

 

かつて、これほどまでに悲しいオーダー66があっただろうか。

 

 

 

犠牲――。

 

 

クローンウォーズ・シーズンファイナル最終話のテーマを一つ挙げるとしたら、それだ。

 

 

 

 

[アソーカ・タノとキャプテン・レックスはオーダー66を生き延びた]

不幸な倒錯によって、私たちはすでにその結末を知っている。

 

だが、そのために彼らがどのような犠牲を払ったのかについては、知る由もなかった。――今までは。

 

 

 

シーズンファイナルが公開される前、内容についてあれこれ想像を巡らせていた頃、

クローンウォーズで描かれるオーダー66は心躍る冒険譚だと思っていた。

手に汗握る目まぐるしい展開の連続。

 

“オーダー66が執行される直前に、レックスはバイオチップの謎に辿り着く。

 間一髪、なんとか正気を保った状態でアソーカと協力し、兄弟たちを出し抜いて

 無事にオーダー66を生き延びる――”

 

思い描いていたのは、そんなシナリオだ。

 

 

だが、オーダー66は悲劇以外のものになりようがなかった。

 

「シスの復讐」は速やかに行われた。

それは、何の前触れもなく実行され、絆を、友情を、敬意を、唐突に破壊した。

犠牲となった者の屍だけを残して。

 

 

 

勝利と死。

 

 

シーズンファイナル最終話のタイトルにあるこの言葉から連想されるものは何だろう。

 

華々しい勝利と、そのための栄光に満ちた死だろうか。

あるいは、華々しい勝利によってもたらされた敵の死だろうか。

 

答えは、そのどちらでもない。

 

 

華々しい勝利など、どこにもなかったのだ。クローン戦争においては。

 

 

 

一面的なものの見方をすれば、アソーカとレックスは「生き残る」ことでこの戦いに見事勝利し、彼らの敵に死をもたらしたと言える。

 

だが実際のところ、彼らは生き残るために多くの望まない死を生み出し、傷つき、自責の念に襲われ、そしてそれほどの犠牲を払ってなお、ようやく「生き残る」ことしかできなかった。

――邪悪な意志に完膚なきまでに敗れてしまったのだ。

 

 

勝利と死――。

それは、彼らが掴みとった結末ではなく、生き延びるために払った代償――犠牲なのである。

 

 

 

 

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最後の場面。

 

 

アソーカがあの場にライトセーバーを置いたのは、自らの死を偽装するためではなく、

自責の念に耐えきれなかったからだと思う。

 

 

あまりに多くの命――それも自分を敬い、慕い、信じてくれた仲間の命――を、救うこともできず、むざむざ死なせてしまった。

自分にはもう、ジェダイを名乗る資格はない――。

 

 

力なく立ち尽くす彼女の後ろ姿からは、そんな思いが滲み出ているように感じられた。

 

 

 

「もうジェダイじゃないわ」

クローンウォーズ・シーズンファイナルで発せられたその言葉は、単に所属する組織を意味するものだった。

 

「もうジェダイじゃないわ」

「反乱者たち」で二度目に発せられたその言葉には、我々の想像以上に壮絶な、彼女の後悔や絶望、そしてそれらを乗り越えた覚悟が込められていたのかもしれない。

 

 

 

 

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ジェシーの死が、思っていた以上に堪えた。

 

 

シーズンファイナルでの彼の役回りは、レックスにやむを得ず撃ち殺される、いわば非常にわかりやすい形での“犠牲”か、

あるいはエピソードⅢにおけるコーディのような役回りだとばかり思っていた。

 

まさかその死の瞬間も、亡骸すらも映し出されることなく、ただ「死んだ」という動かしがたい事実だけを突きつけられるとは、思ってもみなかった。

 

 

 

正直、他の501部隊のメンバーに比べると、ジェシーは印象が薄い方だ。

 

だが、場合によってはファイブスやエコーが彼の役回りを演じたことになっていたかもしれない。

そう考えるだけで、頭がおかしくなりそうになる。

 

 

いや、それどころか、本来はジェシーだってその二人と同じ存在なのだ。

 

独立した人格を持ち、多くの戦いを生き残ってきた。

とくにアンバラでは、クレルの命令に疑問を抱き、実際に命令違反までしてアンバラ軍のファイターで出撃した。

その咎によってあわや処刑されかかったところを生き延び、クレルの裏切りが発覚すると仲間とともに裏切り者の将軍を捕らえた。

 

数多くの戦場をともにしたキャプテン・レックスには絶対の信頼を置き、彼の指示を蔑ろにしようとしたバッド・バッチの面々には正面から食ってかかった。

 

サルーカマイ、アンバラ、そしてシーズンファイナルと、回を追うごとに彼のアーマーも進化を重ねていき、最終的にはARCトルーパーまで昇進した。

 

 

劇中の描写ではファイブスやエコーに軍配が上がるものの、もしクローンウォーズが打ち切られることなく続いていれば、

ジェシーも視聴者にとって絶対に失われて欲しくない存在になっていたかもしれないのだ。

 

 

 

そう、彼らクローンには一人一人に物語がある。

 

同じような見てくれの、何の変哲もないアーマーをまとった兵士たちにさえ、一人一人の物語があるのだ。

 

私たちはそれを知っている。

クローンウォーズで見てきた、多くの戦場を通してそれを学んでいる。

 

アソーカも、そしてもちろんレックスもそれを知っている。

彼らにとって、CT-0292という数字の羅列は、332中隊のキャプテン・ヴォーンだ。

取り立てて特徴のない見た目の兵士にさえ、スターリングという名前がある。

 

 

彼らは皆、アソーカを愛していた。

その敬愛の証に、彼らのアーマーを染めていた。

そして、彼らの絶対的な指揮官、キャプテン・レックスを尊敬していた。

 

 

そんな彼らが、クルーザーの墜落によって、一人残らず死んでしまった。

 

クリストフシスを、テスを、ジオノーシスを、激戦のアンバラを生き延びてきた部隊の半数が壊滅してしまった。

 

アナキンやアソーカ、レックスにとっての良き友、良き部下たちの大勢が一瞬で。

 

 

 

その最期の瞬間は、決して描かれることはない。

 

彼らが最後に何を思い、どのように行動したのかを知るすべはない。

 

 

残されたのは、彼らが死んだという事実だけ。

そして、アソーカとレックスがその亡骸を葬ったという事実だけだ。

 

その事実が、何よりも重い。

 

どんな言葉よりも描写よりも重く、胸にのしかかる。

 

 

その重さこそ、2人の払った犠牲の重さ。

我々が感じ取れるのは、そのほんの一部だ。

 

そして、これほどの犠牲を払ってなお、生き残ることしかできなかったという事実に、ただただ無力さを噛みしめることしかできない。

 

ここに至って我々は、彼らと同じ想いを共有することになる。

――“あぁ、おれたちはクローン戦争に負けたのだ――”と。

 

 

 

 

そして物語は終幕を迎える。

 

かつてないほどの大戦が幕を下ろし、全てが完全に終わった戦場に、クローン戦争の真の勝者が姿を見せる。

 

 

――銀河帝国だ。

 

 

 

白いアーマーをまとった兵士たちの中で、一層際立つ漆黒の装甲。

 

後に銀河中に恐怖と憎悪を振りまき、恐れられる存在となる彼も、今はまだ悲しみが重く両肩にのしかかっているように見える。

 

彼すらもまた、クローン戦争の敗者に過ぎないのだ。

 

 

新たなる希望が生まれるまでは――。

 

 

 

 

 

Clone Wars ended.

 

 

 

 

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マンダロア封鎖戦からオーダー66までを描いた四部作、とても重厚でした。

 

上にも書いた通り、見る前はもっと心躍る展開になるかと思っていましたが、見事に予想を裏切られました。

 

11話と12話は、しばらく見返すのが辛い話となりそうです。

 

 

安直な冒険譚にしないという選択、そしてクローンたちの死を直接描かないという選択を下したデイブ・フィローニ監督の英断に敬意を。

 

 

時間にして二時間にも満たない映像とは思えないほど、素晴らしい作品でした。

 

 

 

第9話「忘れがたき旧友」の冒頭に出た「A LUCASFILM LIMITED Production」の字幕。

 

あれは単に、限定公開作品ということだけを意味しているものかもしれません。

 

しかし私は、それ以上の意味をそこに感じました。

 

 

他のエピソード冒頭にはない上記の字幕、そしてファンファーレとともに鳴り響くスターウォーズのテーマ。

 

「実写でもなければ劇場公開作品でもないけれど、確かにこれは“作品”なのだ」

という作り手たちの強い想いと意気込みを感じたのです。

 

 

そして同時に、いまはまだ“LIMITED”の文字がついているけれど、いつかその言葉が外れる未来がくるのかもしれない、

そんな可能性に希望を感じることができました。

 

 

今回のクローンウォーズ・シーズンファイナルは、アニメ作品として今までになく力の入った作品です。

 

ひょっとすると、後から振り返ったとき「あれが最後のスターウォーズだったな」と思うときが来るかもしれません。

 

しかし、デイヴ・フィローニと彼の仲間たちがルーカスフィルムに残り続ける限り、そこに希望の火は灯り続けることを、希望は死なないことを信じて、未来に思いを馳せたい、そう思うことができました。

 

 

 

ありがとう、デイヴ・フィローニ。

そしてありがとう、クローンウォーズ。

 

 

 

 

 

 

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いい感じに締めた後にめちゃくちゃ蛇足の駄文なのですが、(今回のシーズンファイナルが素晴らしい出来だったという大前提のうえで)唯一不満が残ったのがラストシーンでした。

 

アソーカのライトセーバーを雪の中から拾い上げるベイダーが、最後にそれを持ち帰るシーン。

 

あそこはできれば、ベイダー卿がコンヴォア(モライ)の飛び去って行く姿を見上げる場面で終わってほしかったな、と思います。

 

 

おそらくは、アソーカのライトセーバーを持ち帰ることで、ベイダーの中に残るアナキン・スカイウォーカーの心を示したかったのでしょう。

ダース・ベイダーにとっては何の意味もない代物であっても、アナキンにとってはかつての幸せな日々と後悔の象徴ですからね。

 

ただ、ベイダーの中にアナキンが残っていることはみんな知っているわけだし、

あの場面では彼がアソーカのライトセーバーをどうしたのかを明確に描かずに、見る人の想像に委ねてもよかったのではないかな、と思うのです。

 

 

 

 

シーズンファイナルの冒頭で、アナキンはアソーカがジェダイ・オーダーを離脱した後、

失われていた彼女のライトセーバーを探し出し、丁寧に手入れをしていたばかりか新しいクリスタルまで用意していたことが明かされています。

 

アソーカの連絡から帰還まではかなり急だったはずですが、その間に艦隊がコルサントに立ち寄っているとは考えづらいため、

おそらくアナキンはアソーカがいつか戻ってくることを期待して、常に彼女のライトセーバーを持ち歩いていたのでしょう。

 

友人に対するアナキンの情の深さと献身ぶりが窺えますね。

 

 

…このエピソード単体で見るとすごくいい話なのですが、このエピソードを見たうえで上記のラストシーンを見てしまうと、

「今度はクリスタルを赤く染めてアソーカとの再会を待つんじゃないかな」

という、ちょっとネタっぽい光景が頭に浮かんでしまいます。(笑)

 

 

 

 

…ちょっと不真面目な話をしてしまいましたが、真面目な話、ベイダーがアソーカのライトセーバーを持ち帰ったことで、

あのライトセーバーのその後の物語を作る余地ができてしまったというのが、非常にもったいないと思うんですよね。

 

蛇足の続編やスピンオフによって補完しなくとも、すでに充分すぎるほど完成度が高く、また単体で完結している作品だと思うだけにもったいない気がするのです。

 

 

そういう続編の可能性に気を散らされることなく、

最後はベイダーの内心に想いを馳せながら、ともに空を見上げるような心地で余韻に浸りたかったというのでしょうか…。

 

とにかくその一点だけ、少し不満が残りました。

 

 

 

 

それ以外は本当に不満の残るポイントのない、完成された作品だったと思います。

 

アナキンとオビ=ワンのいつものやりとりあり、クローンたちの活躍あり、マンダロリアンの見応えある戦闘も素晴らしかったですし、ライトセーバー戦はいわずもがな、さらにはドロイドの活躍というスターウォーズの定番要素まで盛り込まれていました。

 

あれ見たらR7-A7欲しくなっちゃいますよね…。

 

 

本当に、振り返れば振り返るほどその完成度の高さに気づかされるばかりです。

 

 

最後の場面で、共和国の紋章を刻んだジェシーのヘルメットが墓標というのも共和国の滅亡を象徴しているようですし、

同様に、332中隊のヘルメットが墓標となっているのも「友情・忠誠といった価値が重んじられた古き良き時代の終わり」を象徴しているかのようです。

 

 

また、直前のメインハンガーの戦闘では、クローンとジェダイの争いによって結果的にシスが漁夫の利を得る(=争いそのものがシスを利するものと化している)という、プリクエルの縮図とも言える構図が描かれていました。

 

 

 

終幕を迎えるまでには様々な紆余曲折があった中で、よくぞここまで見事な着地点を見つけつつ、

単体の作品としての完成度も両立させたなぁと、ただただ感嘆するばかりです。

 

 

「もう一つのスターウォーズ」というキャッチフレーズで始まったクローンウォーズですが、

今作はさしずめ「もう一つのエピソードⅢ」と名乗ってもいいくらいの内容ではないかな、とさえ思ってしまいます。

 

 

いつか、クローンウォーズの○周年記念などでもし、劇場で公開されることがあったら、迷わず足を運びたいですね。