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 8月12日、「一個人」というブログサイトに、大手書店チェーン「ブックファースト」川越店の「遠藤店長の心に残った本」として、「池上彰『伝える力』」というタイトルの短いブログが公開され、これが出版界に波紋を呼んでいる(http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html )。長くはないので、以下、全文を引用する(ただし改行は最小限に留めている)。

「池上彰『伝える力』」の引用全文
 いま書店界で一番話題なのが、いつ「池上バブル」が弾けるかということです。
 最近の書店バブルに「茂木バブル」「勝間バブル」があります。書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やらいたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。
 「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりがスピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、バブルが弾けました。
 「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、結果飽和状態になり、弾けました。
 書店「バブル」になった著者は、自分の持っている知識なり、考え方が他の人の役に立てばとの思いで本を出すのだと思うのですが、そうであるならばなぜ出版点数を重ねる度に、「なんで、こんなにまでして出版すんの?」と悲しくなるような本を出すのでしょう。
 すべて「バブル」という空気のせいだと思います。
 このクラスの人にお金だけで動く人はいないと思います。そうでなくてせっかく時代の流れがきて、要請があるのだから、全力で応えようという気持ちなのだと思います。
 けれどそれが結果、本の出来に影響を与え、つまり質を落とし消費しつくされて、著者本人にまで蝕んでいくことは、悲しくなります。
 著者もそれが分からなくなってしまうほど、「売れる」というのは怖い世界なのかも知れません。

内田樹氏は素直に批判を受容
 名文とはお世辞にも言えないが、素直な書き方から、やっぱり書店の人はそう思っていたのだ、と得心した。
 確かに遠藤晋店長の指摘するように、最初はまともな本を出していた著者も、殺到する執筆依頼に溺れ、最後は全くつまらない、内容スカスカの精神論や印象論だけの本を、しかも執筆ではなく、後述や対談などで安直に仕上げていく。
 この批判に、本文では名指されなかったのに、内田樹氏が最初に反応した。
 ブログ「ウチダバブルの崩壊」http://blog.tatsuru.com/2010/08/13_0928.php . という記事を公開したのだ。内田氏は、この記事の指摘の一部を引用し、「以下に書かれていることは、かなりの程度まで(というか全部)私にも妥当する。」とし、自らを内田バブルと認めた。学者として、バブルを恥じる真摯な態度が見えて、気持ちよかった
 内田氏は、このブログでバブルの発生の背景を次のように解剖して見せた。
 「これだけ大量の企画が同時進行しているのは、編集者たちの『泣き落し』と『コネ圧力』に屈したためである」。
 慢性化した感のある出版不況の中、内田バブルに乗り遅れまい、と次々と大手、中堅出版社が新規企画を持ち込んでくるわけだ(小規模出版社は相手にもされないので、初めから申し込まない)。

名指された茂木が反論、「一冊一冊を誠心誠意作っている」
 内田氏は、「何を措いても『バブル』だけは回避せねばならない。というわけで、この稿の結論はもうご理解いただけたであろうが、『ゲラは編集者のみなさんの手元には、ご期待の期日までには決して届かないであろう』ということである。申し訳ないが、しばらく『塩漬け』にさせていただく」と、自らの価値の維持に努める手を打った。
 これこそが、学者・研究者の良心というものだろう。
 ところがとうに良心を売ってしまったアホは、たかが書店の一店長に何とむきになって反論したのである。
 それが、名指された形の1人、茂木健一郎で、「クオリア日記」http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/ で、こう反論した。
 「客観的な立場から見ると、ある時期、特定の著者の本がたくさん出て、それが潮が引くように消えていくように見えるのかもしれないけれども、著者、編集者の側からすれば、一冊一冊を誠心誠意作っているだけのことである」
 よう言うよ、というドッチラケの「反論」である。茂木の本のどこに「誠心誠意作っている」痕跡があるのか。

相対論の解説本まで出す脱税の茂木
 茂木のインチキ性は、私自身、3年以上前、ブログで指摘したことがある。暇つぶしにと旅行の際に持っていった『天才論 ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』(朝日選書、1,050円、2007年3月刊)のあまりのアンチョコぶりに呆れてしまったことがある。おそらくたった2、3時間の放談を、ライターが聞き書きし、しかも著者校閲もやっつけだったのだろう、事実の間違いや根拠の曖昧な憶測が並んでいた。耳学問であろう天文学の誤りも見られ、それでスカスカのレイアウトで100数十ページの選書をでっち上げたのだ。
 あろうことか、その後も調子に乗って『あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書) 』まで上梓している。まともな物理学者でも理解し尽くせない(したがって解説できない)という相対論をどうやって説明したのか、理解できない。おそらく金に困った若手物理学者にゴーストライトさせたものだろう。
 著作についても前記日記のように読者をバカにしたようなものを出し続けている他、昨年秋には脱税まで行っている(09年11月12日付日記:「クロ鳩、また株と有価証券の記載漏れと『脳科学者』茂木健一郎の脱税など:香山リカ、姜尚中」)。
 脱税という市民として最も恥ずべき犯罪を行っても、平気で居直れる茂木らしい反論だ。我々は、こんな恥知らずの自称「学者」を、いつまで税金で飼っていなければならないのだろうか。

本来価値を上げると人生論を説く勝間本はやはりバブル
 最後に名指されたもう1人のバブル淑女である勝間和代の反論だ。
 「当事者としては、せっかくいただいたチャンス、それをどうやって最大限に生かすか、考えるのみ、です。今も同じ気持ちです。そして、株価と同じく、さまざまなものは常に、本来価値に収束しようとしますので、淡々と、自分の本来価値を上げることにみなさんと協力しながら務める、それに尽きると思います」(書籍バブル論について~私も当事者の感想を入れますhttp://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2010/08/post-f4b3.html )。
 かねてより明言しているように、底の浅い薄っぺらいベストセラー本は読まないと決めているので、勝間の本も1冊も読んでいない。勝間本が本当に本人の言うとおりであれば幸いだが、それならなぜ遠藤店長のような指摘がなされるのか。
 経済用語のフレーズで巧みにくるんでいるけれども、要するに「稼げる時に稼げ」ということなのだろう。そうした姿勢では、行き着いた先が人生論めいたものとなるのもやむをえない。勝間はいつから預言者、説教師になったのだろうか。
 勝間本もバブル崩壊は間近である。
 本日も、写真は裏磐梯。から雄国沼湿原の景観と、は雄国せせらぎ探勝路の終着点、雄国沼湿原の入口にある休憩舎。

昨年の今日の日記:休載