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世界の映画祭へ挑戦 世界中で劇場公開を目指して

(・ω・)ノこのブログはカメラ片手にバックパックを背負い世界4カ国へ渡航し完成させた長編映画とそれにまつわる日々を綴っています。世界中のあらゆる国際映画祭に参加し劇場公開を目指す、勝つか負けるか?生きるか死ぬか?崖っぷち日記です。

脚本も大分、あら探しを徹底的にしてきたので大分すっきりしてた来た。ほとんど人間で言う骨格や筋肉・内蔵が組み立て終わり、後は皮膚だったり顔だったり服を着せたりして着飾るだけ。これは所謂演出になるのかな?

夕食の食材を近所のスーパーで買い、滞在先に帰って来た直後、よし君から携帯に電話がかかって来た。今日、The Boomのボーカル、宮沢さんがサンパウロでライブをやるから一緒に行かないか?と誘ってくれたのだ。しかしその時僕は正直、明日大事なミーティングを控え、色々書類などを整理しないといけなかった...迷った...でも行って来ちゃいました。今まで散々準備した来たので大丈夫だろうと思って。よし君の家に集合し皆で夕飯をご馳走になる。久しぶりの日本食。よしくんはいつも救世主のような存在だ、と思う。

キッチンで肉を焼くよしくんに、「ベアトリスと連絡が取れ明日会います」と告げると、よし君に感慨深く「片岡さん...よくそんなに長い間待てましたね...」と言われ、僕の事情を良く知っている彼は同情してくれた。褒め言葉として受け取っている自分もいた。なんか嬉しい言葉と感じたし、要するにやっと連絡が取れて有頂天になっていたからだろう。

夕食後、5人がよし君の愛車フォルクスワーゲンビートルに乗り込み、窓ガラスは熱気で曇っていた。明らかにサスは潰れていた。ライブ会場につくと、席は満席。宮沢さんがステージに登場すると歓声が上がった。彼が島唄を2回熱唱すると大変盛り上がった。島唄は本当に良い歌だ。心の琴線に響く?魂の歌声だ、と沖縄出身でもないのに郷愁にも似た物を感じた。

さ、明日はいよいよ、ブラジルロケ、プロダクションが始動する。がんばらないと。
朝起きてマックを付けっぱなしで寝た事に気がついた。昨夜は、今後、どのように過ごすか?日本に帰った後どうするか?などジトジト考えているうちに寝てしまった。ロケを中止(といっても俺一人だけのスケジュール)しても、帰国のための往復航空券の日付は11月28日。否応無しにその日まではSPにいなければならない。バイーア州まで旅でもするかとか色々考えたが気持ちは真っ暗だった、昨夜は。

水のペットボトルを手に取りマックの前に座り画面を見る。立ち上がっていたメーラーの受信トレイにプロデューサーからのメールが...思わず水を落とした。10秒間身動きが取れなかった。吠えた。吠えまくった。窓が全開だったので近所のブラジル人達はきっとびっくりしたに違いない。吠えまくった。怒濤のように返事を出した。実は、彼女と僕の間での連絡方法の不可抗力があったのだ。遺憾だが仕方ない。

でも、今、「一時はどうなるかと思った」と言う言葉を吐けてプロデューサーと連絡がとれた。とにかく胸を撫で下ろした。一時はどうなるかと思った事は多々あった。しかしもしその言葉が吐けなければ、ジ・エンドなのだ。どん底から這い上がれた気がした。他人から見れば大した話では無いし、大袈裟な言い方をしているが、一ヶ月、音信不通な人を待ち続け、またどでかいプレッシャーを抱え続けるには長かった。

でも、もうそんな事はどうでも良い。なんとかSPロケが続行出来るだけでもありがたかった。

TATU FILMESのノエルという人が返事をくれた。僕が待っていたプロデューサーは、すでにパリから帰って来ている事。先週の金曜日に会った事。彼女が元気でいる事などが書かれていた。絶望した。どんなフィルムメーカーでも40分近い映画を撮る場合、すくなくても3ヶ月は必要だ。慌ててやればクオリティーが落ちるどころか間に合う確率は非常に低い。やってみなければ分からないが、右も左も分からない海外ロケで2ヶ月では...予想が全くつかない。ましてやプロなら可能な事。撮影の件まで剛君に迷惑はかけられない。

今日、サンパウロロケの中止をやむなく・・・。


断腸の思いだ。


でも、諦めたくない。

今日いよいよ、完全にやる気が失なわれ、筆を置いてしまった。自分の中で何かが壊れてしまった。

朝起きて、顔も洗わずプロデューサーからメールが来てないかチェックする。9月16日以降、毎朝毎晩メールが来るのでは来るのではと欠かさずチェックしていた。しかし今朝も来ていない。毎度のように落胆する。でも今日の落胆はひどかった。

彼女は僕がサンパウロにすでにいる事を知っているはずだ。知っているはずなのに連絡が来ない。音沙汰ない。SPに来て一ヶ月が過ぎた。一ヶ月以上待ったのだ。という事は...と邪推が邪推を呼び、僕はいよいよしびれを切らして、我慢して我慢して我慢していたが何かがプツンと切れた。どうしようもない押さえきれない怒りがこみ上げて来た。

思わず、去年と今年のロサンゼルスの日々を思い出した。

去年の5月にフィルムスクールを終えてから、毎日毎日月ようから土曜日まで、朝5時から午後2時まで弁当配達のバイトをし、火、水、木は、午後5時から午前1時までセキュリティーのバイトをしていた。特に弁当配達は、弁当詰めから配送まで肉体的にも精神的にも過酷だった。カートが使えないところは弁当がぎっしり詰まった箱を何度も何度も車から往復して運んだ。エレベーター無しの三階建てが一番きつかった。お客さんから弁当にクレームが頻繁にあり、作ってない自分が怒鳴りつけられやじられる。「今日はじまった事ではないから」とバイト仲間達は笑いながら言う。そんな雰囲気で作っている弁当にお客さんから文句が出て来ないはずがない。「カレーにチン○が入っていた」「ごはんの中に髪の毛が入っていた」「サンドイッチのツナが腐っていた」「あんたのとこの弁当食べたら下痢した」「シャケが生焼けだった」「異臭がする」などなど顔に弁当を投げつけられても頭を下げる、そんな毎日だった。

セキュリティーのバイトは割が良かっただけに、危険と隣り合わせだった。黒いジャケットを来て拳銃を携帯。ダウンタウンのレッドゾーンの地域に指定されている倉庫の門前に立ち、トラックが荷物を搬入しにやって来る度に門を開けしめしたり、ホームレスをおっぱらっわざるをえなかったり、時には黒人街のラルフスのセキュリティーなどをしていた。おかしな連中ばかりの地域だったのでひやひやする事も多かった。

それらのバイトの合間を縫って、映画の字幕付けやらテレビCMの監督やら編集やらとこなして、今年の3月まで休日というものは存在しなかった。月から日曜まで働いた。元旦だけは堀江さんや二瓶さんと楽しく過ごせたけど、実際、生活費を稼ぎながら制作費も稼ぎ貯金するのは苦痛だった。一ヶ月で稼げるお金なんてたかがしれていた。去年は、ロサンゼルスとサンパウロ、両方のロケの費用を一気に稼がないといけなかったので尚更しんどかった。友達と飲みにもいかず、弁当屋で売れ残った弁当を三食食べ、生活に必要なものも満足に買えず、生活はボロボロだった。惨めなそんな生活でも、希望だけがあった。「長編映画を完成させる」それだけがモチベーションだった。

そんな思いをしてやって来たサンパウロだった。すでにロサンゼルスロケで貯金を半分以上使い果たし、サンパウロに来るために航空券代をUS$2000近く使ってしまっている。もし仮に、今回だめで日本に一度引き返してしまったら、また半年もしくは一年かけてサンパロロケのための制作費を稼ぎ、再び24時間のフライトを乗り越えサンパウロに帰って来ないといけない。しかし帰って来て、果たしてプロデューサーは再度、撮影に参加してくれるのか?それは考えにくい。

自分が作っている映画は、他人からみたら仕事では無く、単なる趣味や遊びに思えるだろう。そんな周囲の眼に対して、「気にしない」なんて言っていられる年齢はもうとっくに超えている。僕にはもう時間も気力もお金も残っていない事を自分自身で分かっている。もし今回のロケが中止になれば、僕は今作っている長編を途中放棄しなければならない。

仕方ない...と独り言を言った瞬間、ある事を思い出した。プロデューサーが半年前に送ってくれたメールに彼女が働いていたプロダクションの名前が書かれていたのを思い出した。すぐそのプロダクションの名前をグーグルしてなんとかウェブサイトを発見した。とりあえず、そのプロダクションのメールアドレスに自分の置かれている状況、プロデュサーと連絡が取れない事を書き送った。全くどうなるか分からない。何もする事はないのでメールだけだした。
苛々がつのる。朝起きてプロデューサーからメールが来てないかチェックする。携帯も肌身離さないで、連絡をひたすら待つ。しかし連絡なし。今日は脚本でいくつか新しいアイディアが出たので、それに伴い色々シーンなどをいじりたおしていた。なんだか自分がしている事は無駄になるのではないかと、ネガティブ思考君がちらほら顔を見せる。自分でなんとか出来る事なら、ぐちぐち言わないが、ただ待つしか無い。待つしか。。。気が狂いそうになる。
本修正、コンテ執筆、アイディア創出...で一日が終わる。SPプロデューサーからの連絡無し。焦りを隠せなくなって来た。どうしたら良いのか・・・彼女の携帯に朝、昼、晩と電話する。相変わらず留守番電話になるまでの発信音はまちまち。明らかに携帯は電源が入っているときとそうでないときと別れている。電話に出てくれない。メールも三日置きに出している、が、返事無し。

実際、彼女とは一年前からメールを交換したいた。それらのメールから受け取る彼女のイメージからはどしてもいい加減な人間を想像出来ない。もしかしたら、彼女は病気か何かか?もしくは、突然連絡をくれるのではないか?いや、もう連絡する気はないのかもしれない、と言った事を何度も何度も繰り返しネガティブになってはポジティブになって精神的に余計疲れる。やる気もだんだん維持出来なくなっているが、逆境に耐えるつもりで作業だけは続けよう...
不安を隠せないまま、いつもの通りコンテなどを書く。プロデューサーから連絡無し。あまりひっきりなしに連絡しても仕方ないので今日はただ連絡を待った。今まで自分をごまかし励ましてきたが、さすがにごまかしきれなくなった。おかしい。たとえ仕事が忙しいとかなんらかの事情で撮影を助けてもらえなくて、せめて連絡くらいくれてもいいはずだ。連絡くらいくれても。病気なのか事故にでもあったのかそれすら分からない。それとも...邪推する自分を押さえる。

この国では自分が出来る事はものすごく限られている。もし英語が通じるならば何かしら出来るかもしれないが、ポルトガル語圏のこの国で自分は無力だ。情けないが、待つしか無い。待つしか。
訳が出来上がったにも関わらず、まだまだ荒いシーン、なんだかぱっとしないシーン、無駄じゃないけど必要性が感じられないシーン。キャラクター設定、小物の使い方...まだまだ後から後からいじれるところが山積み。とりあえず、翻訳してもらったのでその好意を無駄にしないように脚本を更に発展させて行く。これが厄介。更に絵コンテもいじらないといけない箇所をいくつもいくつもいくつも発見...でもなんとかなって行く。気がついたら夜中の2時。今日も14時間くらいぶっ続けでマックに向う。疲れて寝る。今日もプロデューサーからの連絡は無し・・・もう22日なのに・・・待つのは苦痛・・・


脚本

朝起きてeメールをチェックする。やっぱりSPロケのプロデューサーからの連絡は無い。ちょっと落胆するがアレシャンドレさんからポルトガル語に翻訳された脚本が送られて来ていた。早速、ファイルを開いてみると、おお!かっちょいい!自分が書いた脚本をポルトガル語にするとこうなるのか...としばらくしみじみと見ていた。ニヤニヤしながら。折角翻訳が済んだのに、しかし見せるべき相手からの連絡がまだないのが残念。辛抱強く待とう。

しかし、実は、切羽詰まって急いで翻訳作業に入ったため、自分の脚本に腑に落ちないシーンやショットがいくつかあり、物語の全体のストーリーの流れは変わらないんだけれど、直したい箇所がいくつもある。再度、アレシャンドレさんに翻訳を頼まねば...ごめんなさい...

今日も、絵コンテ、脚本いじり。変わりない一日。朝から夜中まで。

映画監督は、その場その場で最終決定を迫られる。おいらはいつもいつも決定後「それで良かったのか...」と髪の毛をなで回して意味なく悩む。間違っていれば全ての責任を背負う事になる。自主では後戻り出来ないな時が多い。プロもきっとそう?

映画監督の人達って、どうやって気持ちを整理しているんだろう。いっつもいっつも決定する時は緊張する。「お母さん~」と泣いている迷子の子供の気持ちが良く分かる。だから、迷子を発見すると怪しい人と思われても必ず助ける。

僕はあまり映画監督という職業に才能というものを重視していない。自分は自分に才能があるという自覚は全くない。断言出来る。いつもいつも悩みうだうだ考え遠回りしてこねくり回して作品を作る。ある部分での決断は即決するが、大抵の部分は決断力が非常に乏しい。もちろんアイディアがでればウハウハして高揚して、ワクワク楽しい。けど、自分で面白いと思ったアイディアもすぐ映画館の観客さん達がどう思うか?を考えて採用するかしないか決める。そういう時の決断は早い。しかし、衣装だとかロケーションだとかシーンの削除だとかは、決断が非常に遅い。

ただ、優しいエジソンが、僕みたいな段取りの悪い人のために残した勇気の出る言葉「天才とは1%のひらめきと99%の努力」を信じたい。そうありたい。だから努力だけは惜しまない。でも天才映画監督は「99%ひらめきと1%の努力」なんじゃないかと思う。