映画監督は決断する職業 | 世界の映画祭へ挑戦 世界中で劇場公開を目指して

世界の映画祭へ挑戦 世界中で劇場公開を目指して

(・ω・)ノこのブログはカメラ片手にバックパックを背負い世界4カ国へ渡航し完成させた長編映画とそれにまつわる日々を綴っています。世界中のあらゆる国際映画祭に参加し劇場公開を目指す、勝つか負けるか?生きるか死ぬか?崖っぷち日記です。

今日も、絵コンテ、脚本いじり。変わりない一日。朝から夜中まで。

映画監督は、その場その場で最終決定を迫られる。おいらはいつもいつも決定後「それで良かったのか...」と髪の毛をなで回して意味なく悩む。間違っていれば全ての責任を背負う事になる。自主では後戻り出来ないな時が多い。プロもきっとそう?

映画監督の人達って、どうやって気持ちを整理しているんだろう。いっつもいっつも決定する時は緊張する。「お母さん~」と泣いている迷子の子供の気持ちが良く分かる。だから、迷子を発見すると怪しい人と思われても必ず助ける。

僕はあまり映画監督という職業に才能というものを重視していない。自分は自分に才能があるという自覚は全くない。断言出来る。いつもいつも悩みうだうだ考え遠回りしてこねくり回して作品を作る。ある部分での決断は即決するが、大抵の部分は決断力が非常に乏しい。もちろんアイディアがでればウハウハして高揚して、ワクワク楽しい。けど、自分で面白いと思ったアイディアもすぐ映画館の観客さん達がどう思うか?を考えて採用するかしないか決める。そういう時の決断は早い。しかし、衣装だとかロケーションだとかシーンの削除だとかは、決断が非常に遅い。

ただ、優しいエジソンが、僕みたいな段取りの悪い人のために残した勇気の出る言葉「天才とは1%のひらめきと99%の努力」を信じたい。そうありたい。だから努力だけは惜しまない。でも天才映画監督は「99%ひらめきと1%の努力」なんじゃないかと思う。