なぜ主人公達は日本に集まるの? | 世界の映画祭へ挑戦 世界中で劇場公開を目指して

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(・ω・)ノこのブログはカメラ片手にバックパックを背負い世界4カ国へ渡航し完成させた長編映画とそれにまつわる日々を綴っています。世界中のあらゆる国際映画祭に参加し劇場公開を目指す、勝つか負けるか?生きるか死ぬか?崖っぷち日記です。


窓

一日中、脚本をいじり倒す。どこか観光したい・・・

「なぜラストシーンで主人公達が日本に集まるの?」と友人から聞かれる。脚本を書いていた時、実は大した根拠は無かった。ラストシーンで一番救われない登場人物が日本人の女の子で、彼女を励ますために他の主人公達が集まる...とだけ考えていた。後は小泉首相が「YOKOSO!日本」と海外から観光客を誘致?するために広告塔になっている姿を良く成田空港で見てたからかな?

でもなぜそんなラストシーンになったのか?考えてみる。日本は、Paris、LA、そしてSPと比較すると移民を受け入た数ではダントツで低い国となる。重箱の隅を突けば、太平洋戦時下でユダヤ人達の子供達を一時受け入れたとか、在日中韓国人(移民ではないけど)とか色々あるが、数で言うと少ない。国際色豊かな国か?と言われれば、そうではない。

そんな日本だけど、日本はそもそも外国との交流あって強くなった国だ。鎖国時代から続いたポルトガルやオランダとの付き合い。明治維新以後、海外からありとあらゆる技術者を招き、紡績、造船、建築や鉄道や様々なものを海外から取り入れた。外国にどんどん研修員を送り出して世界に負けない国にしようとした。

現在でも、倒れかけた日産をゴーン社長を招き再建してもらったり、サッカーであれば、ジーコ監督をブラジルから読んで、世界の強豪達に立ち向かっている。中田はイタリアに渡り、サッカーだけじゃなくプロ野球でも沢山の日本選手達が海外で修行を積んでいる。それはまるで、悟空やベジータがスーパーサイヤ人になるため重力部屋?で修行を積んだのと似ている。

話が逸れた。結局、自分が作ったラストシーンの裏コンセプトは、国際社会での日本の姿を比喩している...と書くとなんだか大袈裟なんだけど、もっと単純に言えば、小泉首相の言う「YOKOSO!日本」という気持ちを投影したものなのかもしれない。

いや、話がそれだじゃなくて脚本修正しなきゃ...