膀胱炎は 「肝」?
<はじめに 虚弱体質>
長らくよく来られる患者さんが、急に膀胱炎のような症状となって、少し苦労した経験です。
この患者さんは、それなりに休息をとって、まともな生活をしておれば、本来の体質は、胃腸が弱めで、「肝・胆」に熱が多くなる「肝実証」という状態です。
漢方処方なら、「小柴胡湯」のような処方にアレンジして対処できます。
黄精=ナルコユリの花
しかしこの方は、たいがいは仕事が忙しすぎて、睡眠時間を削って長時間労働。
また、持って生まれた性格なのか、あちこちから相談事を持ち込まれ、余計なストレスを増やしてしまう。
子どものころの話をうかがうと、小学校まではひどい虚弱児で、風邪を引いても、お腹を壊しても、下痢が続いて、そのうち血便が出て、入院して絶食、点滴することになっていたそうです。
その虚弱体質のせいで、今でも仕事が忙しい時には、すぐに下痢してぐったり、食べられなくなります。
そんな時には、胃腸を温めて元気にする「人参湯」に、全身を強く温める「附子」を加えたものが必要になります。
だから普段は、両方の状況に対応すべく、「小柴胡湯」と「人参湯+附子」を3日分ずつ持って帰っています。
さらに難しいのは、この人は元来お腹が弱いので、使える漢方薬が限られることです。
「小柴胡湯」でも、腸の熱を取る「黄芩」は除けて、お腹を温める「乾姜」を入れないと下痢します。
何が使えるか、慎重に薬を選ばないといけません。
<膀胱炎の始まり>
それがある時、仕事のイヤなゴタゴタが続いたことがあって、普段とは違う症状が出てきました。
きっかけは風邪を引いたらしく、咽喉の奥が痛くなるところから始まりました。
これも、この方にはよくある事なので、咽喉の痛みに効く「桔梗」を小分けして渡しました。
キキョウの花
「桔梗」は、咽喉の痛いときに、「人参湯」にも「小柴胡湯」にも加えて、無難に使える生薬です。
「桔梗」を足したことで、当面の咽喉の痛みは収まりましたが、次の日の夜、寝ていたら、胸の奥がキューっと痛くなりました。
胸の奥が痛いなんて、イヤなものですが、大したことないないと自分を納得させて、そのまま眠りました。
胸の痛みとどう繋がるのか分かりませんが、次の日の朝、トイレに行くと、局部に劇痛が走って、尿が少しずつしか出せません。
尿を出そうと、下腹に力を入れると、太ももの内側から痛みが駆け上がって、胸から腕の内側に痺れと痛みが走ります。
下腹部に痛みがするたびに、少しずつ、尿漏れもします。
すぐに近所の泌尿器科に行って、尿検査をすると、確かにバイ菌が繁殖して膀胱炎になっていると。
もらった抗生剤を飲んで、強い排尿痛は減りましたが、もともとお腹が弱いので、抗生剤も続けられません。
<診察 問診から>
その時点でうちに来られました。
いくつかお尋ねしたことは、まず尿検査で尿の色はどうでしたか?
ひどく色が濃いとか、濁ってるとか、普段と変わったことはない。
次に、お口は乾きますか? いいえ。
この二つの質問で、膀胱炎の症状は派手だけど、内部には、そんなにキツイ熱がこもっては、無さそうだと見当がつきます。
<腹診から>
下腹の不快感をさかんに訴えるので、お腹を押さえてみると、
左右の鼠径部の上部を横断して、下腹部ぜんたいが、軽く押さえても身を捩るほどの圧痛があります。
また、臍の左下にも圧痛。
小川新先生の腹証の本から、もっとも近そうな図を選ぶと、これでしょう。
この鼠径部の圧痛は、何を意味しているか?
それには、前回のブログでふれた「経脈」というもので、説明しないといけません。
<下腹部と肝経・胆経>
足の厥陰肝経
この図では、体表面にある「ツボ」をつないだ線だけが描いてありますが、漢方の理論では、「経脈」は体表上の線だけでなく、体内の各種の臓器・器官、また他の「経脈」とも繋がって、生理的な機能を営んでいます。
「厥陰肝経」は、その名のとおり、最後は体内の「肝」に繋がりますが、大腿の内側から腹部に上がるときに、「血の道」と関係の深い、子宮や生殖器・泌尿器・肛門とも繋がります。
足の少陽胆経
こちらは、「肝」とペアの「胆」の経脈の図
「少陽胆経」は、足の外側を上がって、腰の外側に線が描いてありますが、鼠径部の上部で、「肝経」と「胆経」は連絡しあって生殖器などと繋がっています。
「肝経」と「胆経」は、お腹の側だけでなく、背中側、仙骨部でも交差連絡しています。
「肝経」「胆経」は、腰の周りで、お腹側と仙骨側で交差・連絡して、「血の道系」の生殖器・泌尿器を働かせています。
手の厥陰心包経
すこし漢方の理屈で寄り道しますが、上が「厥陰心包経」の流れです。胸の中から起こって、腕の内側を通って中指に達します。
経脈は、手と足に6本ずつ。各6本は、陰・陽3本ずつに分かれ、
陽の経は、太陽・少陽・陽明。陰の経は、少陰・太陰・厥陰となります。
その中で、足の厥陰経が「肝」、手の厥陰経が「心包」に繋がります。
「心包」とは何かというと、心臓を包んでいる膜のような、漢方独自の仮想の臓器です。
今回、この患者さんが膀胱炎になる前に、強い胸の痛みがあったことと、膀胱炎の下腹の痛みが、胸から腕の内側に走ったことは、同じ「厥陰経」の反応だとみると、「経脈」の理論も、何か実証的な意味があるのかも知れません。
<脈診から>
次に脈を診てみます。
この人の普段の脈は、「小柴胡湯」のあう体調のとき、つまり「肝」に熱が詰まっているときは、左手の中部が強く打ちます。
それが疲れ切って、胃が冷えて下痢するときは、全体に細く弱く打っているので、区別しています。
それが今回は、左手の「肝」の部の脈が、弱くなっています。
それに反して、左手の下、「腎」部がすこし強くなっているように感じました。
これは、「肝」にストックされている「血」が、足りなくなって、
「血」の不足で出た熱気が、「腎」というか、膀胱や尿道に停滞していることを示しています。
漢方薬を出す前に、鍼灸治療を行います。
<鍼灸治療>
軽く押しても痛みの強い、下腹部や鼠径上部に、ごく細い針を浅く刺してしばらく置いてから、そこに温灸をします。
温灸は粗製のもぐさを丸めて作ります。
これの先端に火をつけ、患者さんが熱く感じたらサッと取ります。
全部焼いたら火傷になりますから。
温灸は、その場所に痛みや腫れ、熱感があるとき、皮膚の表面を温めて、毛穴を開いて、内部の熱気を外に発散させて熱を取ります。
熱を冷ます手段としては、いちばん穏やかで、無難な方法です。
この患者さんは、皮膚の「陽気」の巡りが悪くなりやすいので、温灸で皮膚を温めて、「陽気」を発散させると、気分がサッパリすると、この治療を好んでいます。
鼠径部の圧痛から、いまの体調が「肝経」と深く関わることが分かったので、足の「肝経」のツボを押さえてみると、大腿の内側でも、下腿でも、普段はほとんど無いような、強い圧痛があります。
そこにも温灸をしました。
この温灸療法で、下腹部の痛み・不快感が、しばらく軽くなりました。
次に、背中側では、仙骨部の圧痛の強いツボに、灸頭鍼をしました。
仙骨部は、体表を巡る「肝経」「胆経」が、交差して、下腹部の子宮や泌尿器に繋がっている場所ですから、そこに灸頭鍼をして、停滞している「血」を巡らせて、下腹部の熱気を取ります。
この針灸治療で、下腹部の不快感と痛みが、我慢できるくらいには、軽くなりました。
<漢方薬は?>
今回の膀胱炎のような症状は、仕事のストレスで悩まされて始まりました。
ストレスで神経をすり減らすと、漢方的には、「肝の血」を浪費することになります。
血が不足して、「厥陰肝経」を弱らせたことが、膀胱炎を起こす原因になったので、治療には「肝の血」を補う「当帰」が必要です。
当帰
「当帰」の入った膀胱炎・尿道炎の処方といえば、すぐに思いつくのは「当帰貝母苦参丸」です。
「当帰」で「肝の血」を補い、「貝母」「苦参」「滑石」で、厥陰肝経の熱気を冷まします。
冷え性の方の膀胱炎・尿道炎・下腹の不快感に、幅広く使える便利な処方です。
貝母=アミガサユリの花
苦参=クララの花
しかし何故か、世間の認知度は低く、ツムラの粉もなく、以前にあった既製品の丸薬も、10年前に製造中止に。
仕方なく、自分で丸薬を作っていました。
しかしこの方は、いたってお腹が弱くて、「当帰」は大丈夫でも、「苦参」がひどくイヤらしい苦味がするし、「滑石」もお腹に応えて下痢しそうです。
そこで、ふだん飲んでいる「人参湯」の煎じ薬をベースに、胃腸を温めて守りつつ、そこに少量の「当帰貝母苦参丸」を乗っけて飲んでもらうことにしました。
本来なら「当帰貝母苦参丸」は、1回に3~4グラム、1日3回、飲みますが、まず1.5グラムずつ試しに飲んでもらうと、下腹が温かくなって、緊張感が薄らいできた感じ。
それから、1日に3回ずつ、7日分を、「人参湯」と一緒に続けて飲んでいって、膀胱炎は治りました。