箱崎の「明石元二郎 顕彰碑」を訪ねる

明石元二郎 ① 日露戦争を勝利に導いた男

明石元二郎 ② 黒田藩明石家の系図」   

明石元二郎 ③ 大名小学校から東京へ」 

明石元二郎 ④ 明治を突っ走った福岡の同胞」 

明石元二郎 ⑤ 欧州での諜報工作活動」   

明石元二郎 ⑥ 台湾総督と陸軍大将」   の続きです。

 

 

天神大名町の鼻たれ小僧から台湾総督・陸軍大将まで上り詰めた明石元二郎は、公務で台湾から日本へ帰国中の船上で病に倒れ、大正8年(1919年)10月24日、生まれ故郷の福岡でその生涯を閉じた。

台湾総督・陸軍大将 明石元二郎

 

最後の死の床での遺言「余の体は台湾に埋葬せよ。 実行方針の中途で倒れるは千載の恨事なり。 余は死んでも護国の鬼となり、台湾の民を鎮護する」に従い、元二郎の遺体は船内のお棺に氷を詰めた状態で台湾に移送された。 基隆港からは特別列車が仕立てられ台北に着いた。 

 

葬儀の日には10万を超える台湾の人々が、沿道から元二郎を偲び棺を見送った。 元二郎は台北市の三板橋の墓地に埋葬された。 後にこの墓地は森林公園に整備されるが、墓の前にあった鳥居は現在でも残っている。

森林公園 元二郎の墓があった場所に残る鳥居 (Wikipediaより)

↓ 元二郎の遺骨は、多くの有志によって三板橋の墓地から新北市三芝区の福音山基督教墓地に改葬された。

福音山基督教墓地の元二郎の墓 (nippon.comより)

 

↓ 生誕地に近い天神四丁目の日銀横に勝立寺(しょうりゅうじ)がある。 

    印=生誕地(現アクロス)  印=勝立寺

   印=終焉の地(現西鉄グランドホテル) 印=明石家本家 印=次男分家
   印=福岡市役所   印=中央区役所

 

↓ 勝立寺は黒田藩明石家・本家分家の墓所で元二郎の墓もあるのだが、ご遺体は台湾で埋葬されているので、勝立寺の墓には彼の髪の毛と手の爪だけが納められている。

勝立寺 明石家墓所

 

 

 明石元二郎 顕彰碑

大正8年(1919年)、明石元二郎が台湾の地で人々の尊敬と感謝を受けながら埋葬されて、今年で105年が過ぎる。 しかしながら、日本で今日の日台関係の礎を築いた元二郎の功績が語られることは少ない。 元々、体裁を気にしない性格の元二郎だから、墓の中からは「そんな事はどうでも良い。 余は台湾の人々の近くで、彼らを見守っているだけで幸せだ」と、彼の声が聞こえて来そうである。

 

しかし我々福岡の人間としては、明石元二郎のことをもっと多くの人々に自慢したいし、子や孫にも語り伝えて行かねばならない。 そんな中の令和4年(2022年)、有志によって「第七代台湾総督・明石元二郎の顕彰碑」が筥崎宮の浜近くの境内に建立された。 場所は国道三号線に近い筥崎宮参道で石灯篭の隣にある。

 

↓ 令和4年(2022年)4月23日、多くの著名人が集まり、除幕式が執り行われた。

「第七代台湾総督・陸軍大将 明石元二郎 顕彰碑」の除幕式  (台湾新聞より)

 

 

↓ 顕彰碑の右に、碑の解説文が刻まれた石板、左には中華民国第4代総統となった李 登輝(1923~2020年7月30日没)のメッセージが刻まれた石板が建っている。

中華民国第4代元総統 李登輝のメッセージ碑

李登輝元総統

↑ 戦後、台湾が経済的に大きく飛躍したのは、明石総督が尽力した台湾電力日月潭水力発電所などの社会建設があったからこそ』、と感謝と尊敬の念を述べておられる。

 

台湾新聞には、除幕式の際、安倍晋三元首相からの祝電が読み上げられたことも載っていた。

↓ 安倍晋三元首相からの祝電

明石元二郎元総督は、日露戦争では卓絶した働きをされ、日本の勝利に大きな貢献をされた。また、台湾総督時代には今日なお台湾の人々に感謝される事業を成し、56歳の若さで亡くなった。それは、あたかも命を削るごとくの働きであったのではと感じざるを得ない。その功績が日本においてはあまり知られることなく、一方台湾では没後100年を経てなお、日台友好の原点を作られた方として尊敬されている。その功績を日本でも忘れてはいけない。次代に残したいという強い気持ちを原動力に、本日 顕彰碑の除幕式を迎えられました。改めて福岡県郷友連盟をはじめとする関係各位の皆様に敬意を表します

 

安倍晋三元首相は、除幕式の祝電を送った日から約2ヶ月半後の7月8日、奈良市の大和西大寺駅前での応援演説中に銃撃され亡くなった。

 

安倍晋三元首相が言っているように、台湾では今でも尊敬されている明石元二郎が日本においてあまり知られていないのは何故か?  元二郎の生涯を記した幾つかの書物を読むと、本人の性格と陸軍内部の雰囲気からもその原因が考えられる。 しかしながら、明石元二郎は福岡藩・福岡県出身の偉大な人物である。 地元福岡に住む我々は、も少し元二郎の功績を語り合い自慢しても良いのではないだろうか。 

 

 大名小学校時代の元二郎は「どうでもいい」と、無頓着な可愛い顔をしているが・・・

 

 

明石 元二郎(あかし もとじろう) ⑧」に続く。 シリーズのラストになりますが、まだ執筆前です。 昭和期まで香椎宮参道(鹿児島本線踏切近く)にあった豪華な洋館「明石邸」は明石家の誰が建てたのか・・・明らかにします。

 

■ 参考資料 「情報将軍 明石元二郎」 著者:豊田穣 光人社 発行

                    「明石元二郎 上・下巻」 著者:小森徳治 台湾日日新報社 発行

 

 

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