香 椎 宮

                   主神

                       仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

                       神功皇后(じんぐうこうごう)

                   配祀

                       応神天皇(おうじんてんのう)

                       住吉大神(すみよしおおかみ)

 

 

仲哀天皇は九州の熊襲の反乱を鎮めるため、神功皇后と共にこの地におこしになり、橿日宮(かしひのみや=仮の皇居)を造営された。 そして時が経ち、神亀元年(724年)、橿日宮跡地に仲哀天皇と神功皇后の御霊を祀る香椎廟が建てられた。 これが「香椎宮」の起源となる。 

 

お二人の神霊が祭られたことから、戦前の社格制度においては、最高位の官幣大社に位置づけられた。 また、皇室との関係が深いことから、全国に十六社ある「勅祭社(ちょくさいしゃ)」の一つで、現在も十年に一度、天皇から勅使の参向を受けている。

 

現在は、応神天皇(仲哀天皇と神功皇后の皇子)と海の神である住吉大神が配祀されている。

 

神功皇后は聖母神、応神天皇は八幡神と称され、特に安産育児・成功勝利・開運のご利益は大きい。 また、境内には健康長寿の武内神、商売繁盛の弁財天・稲荷神、交通安全の猿田彦神、航海安全の住吉大神、子供発育の鶏石神らが祀られていて、多くの御神徳の導きがある。

 

                     香 椎 宮 (音楽:喜多郎)  You-Tube  編集:香椎うっちゃん

 

うっちゃんのブログ​​​​​香椎浪漫」は「香椎宮」と「神功皇后」を主たるテーマに投稿して来ました。 「香椎宮」については、このページから、香椎宮の各テーマごとのブログに案内できるようリンクを張って案内してます。  (次のタイトルをクリックして下さい)

 

  神功皇后伝説  クリック

 日本書紀古事記筑前国続風土記八幡愚童訓を研究された歴史学者・研究者の著書を参考にし、それに福岡県内に残る皇后伝承を加えて、長編「神功ワールド」を書いてみました。

 

  香椎宮のご神木・綾杉   クリック

 神功皇后が朝鮮半島から凱旋した時、ここに剣・鉾・杖を埋めたのです。 その土の上に、鎧の袖に付けていた杉の枝を植えたのが成長した、と伝えられている。  海松(海藻の一種)の房のように、葉が交互に交わって、綾の紋のように見えるので「綾杉」と呼ばれている。

 

  香椎造り(香椎宮建築様式)  クリック

 香椎宮は神亀元年(724年)、奈良朝廷の意向を受けて創建された。 仲哀天皇・神功皇后の霊を祀る国営の「(びょう)」として、建てられたため、その本殿は他の神社と異なった「香椎造り」と呼ばれる日本唯一無二の建築様式を伝えている。 本殿は何度か焼失したが・・・現在の本殿は享和元年(1801年)、福岡藩10代藩主・黒田斉清(くろだなりきよ)によって再建された。

 

  香椎の弁財天社としょうぶ池  クリック

 参道の「二の鳥居」から太鼓橋を渡ると、左側に「しょうぶ池」があり、池の真ん中に「弁財天社」が鎮座している。 七福神の中で唯一の女神で、祠を覗くと琵琶を持った美しい弁財天さまが座っている。

 

  香椎宮の楼門  クリック

 とても美しい建築物で、香椎宮の中でも本殿・綾杉と同様にシンボル的な存在。  神仏習合時の仏教の山門が起源で、神域への最後の結界として建っている。 節分祭の時は、ここに「お多福面」が置かれ、皆がその口をくぐり抜けて通る。

 

  香椎宮の鳥居  クリック

 「鳥居」の由来について、天照大神を天岩戸から出すために、鶏を大きな声で鳴かせた時の「止まり木」を意味する「鳥居」だとする説・・・また、参道を人が「通り入る(とおりいる)」が転じたと言う説など・・・確かなことは分っていない。

 

  香椎宮の狛犬  クリック

 神社の狛犬も起源は色々の説がある。 仏教の守護獣として渡来したのであれば、インドのライオンがルーツになる。 仏の両脇を守る守護獣としてライオン像が置かれていた。 仏教が中国に渡るが、中国にはライオンがいない・・・そこで、空想のライオンとして獅子が生み出された。 

 

  香椎宮の参拝標石  クリック

 香椎宮(廟)に天皇の勅使が最初に参向されたのは、天平9年(737年)だった。 平成27年(2015年)の勅使参向は、この最初から139回目だった。 全国16の勅祭社の中で香椎宮のみに存在する、「勅祭」に関する文化遺産が5基の「参拝標石」だ。

 

  香椎宮の俳句碑  クリック

 俳句とは、5・7・5の文節単位からなる日本の定形詩で、世界で最も短い文学と言われている。 うっちゃんは香椎宮境内で、俳句を三つ探し出している。  綾杉の説明板に書かれている夏目漱石の句。 しょうぶ池の近くに、小原 青々子(おばらせいせいし)と阿波野 青畝(あわのせいほ)の俳句碑がある。

 

  武内宿禰像  クリック

 景行天皇成務天皇仲哀天皇応神天皇仁徳天皇の五代に仕え、300歳の長生だったと「日本書紀」に登場する謎の人物。 仲哀天皇亡き後、神功皇后に仕え、朝鮮半島出征を成功させる。 神功皇后と同様に、多くの言い伝えが福岡に残っている。

● うっちゃんのブログ「香椎宮と武内宿禰の末裔

 

  香椎宮 古宮跡  クリック

 「古宮」とは日本書紀で「橿日宮(かしひのみや)」と表された「行宮(あんぐう)」・・・仲哀天皇の仮の皇居です。 仲哀天皇ご崩御の際、神功皇后はお棺を宮内の「椎の木」に立掛けた。 香ばしい香りが漂ったことが「香椎」の地名の由来となっている。 玉垣の中に「神木・香椎」が見える。

 

  不老水  クリック

 大臣の武内宿禰橿日の宮の北に自身の屋敷を建て、井戸を掘った。 湧き出る水で仲哀天皇と神功皇后の御飯を炊いたので、「御飯の水=おいの水=老いの水」とも呼ばれた。 武内大臣も、この水を飲んで長生きしたので「不老水」と伝えられるようになった。

 

  香椎宮 勅祭 斎行  クリック

 香椎宮は全国に十六社ある「勅祭社」の一つで、10年に一度、天皇から勅使の参向を受ける。 「勅祭」とは、勅使が幣帛(へいはく:天皇から神に奉献する供物)を奏するお祭りです。 平成27年(2015年)10月9日、勅祭が斎行された時のブログです。

 

  香椎宮 とんど焼きと綾杉太鼓  クリック

 香椎宮では1月の小正月に「焼納とんど祭」が斎行されます。  広場の中央に地区の人々が納めた古神札・注連飾りなどの正月飾りが山のように重ねられ、お祓いの後、火が点けられます。 大きな炎のなかでの「綾杉太鼓」の演奏は幻想的です。 炎と煙に乗って、正月の神が天に帰る。

 

  香椎宮 節分祭   クリック

 節分祭の時は楼門に大きな「お多福面」が設置されます。 お多福の口をくぐり抜けると家内安全・商売繁盛の御利益があります。  香椎宮では午後の二回、幣殿前で「豆まき」が行われます。 

鬼滅の刃」のヒット後は、「福は内!も内!」となる。

 

  香椎宮 春季氏子大祭 神幸式  クリック

 春季氏子大祭はご祭神の神功皇后の命日である4月17日に近い日曜日に斎行されます。 但しご神幸式は筥崎宮と交代の隔年になっており、香椎宮は偶数年に執り行われる。 その場合は、土・日の二日間となり、神輿に乗った御祭神が香椎宮本殿から外出され、鹿児島本線近くの頓宮で一泊される。

 

  軍艦 香椎 慰霊祭  クリック

 「軍艦香椎」は昭和16年、練習巡洋艦として建造されたが、進水とともに太平洋戦争の実践に投入された。 香椎宮祭神のご分霊が艦の守護神となっている。 昭和20年1月ベトナム沖を10隻のタンカー・貨物船を護衛中、敵機の攻撃を受けて沈没した。

● うっちゃんのブログ「軍艦香椎が護衛した輸送船団

 

  御島神社(みしまじんじゃ)  クリック

 香椎潟の海の中に鎮座する香椎宮の境外末社。  神功皇后が朝鮮半島出征の際、御島に渡り、髪を洗って「みずら」と言う男髪に結った・・・そんな言い伝えがこの島に残っている。 以前は、香椎宮の神官が、毎朝船で御島に渡り、お参りしていたという。

 

  香椎宮 年越しの大祓式  クリック

 全国の神社で執り行われている「大祓い式」は、香椎宮に起源があるようです。 仲哀天皇が崩御された時、神功皇后は自ら「国の大祓い」をされたそうだ。 そのことが、701年の「大宝律令」で宮中の年中行事として定められた。

 

  香椎宮 扇まつり  クリック

 神功皇后が朝鮮半島に出征中、蝙蝠(こうもり)の羽を見て、その形状から扇を作って香椎に持ち帰った。 それが日本舞踏に使われるようになったことから、神功皇后は「舞芸の神」としても親しまれている。 

 

  香椎宮 しょうぶ祭り  クリック

 6月になると池のしょうぶの花が人々を楽しませてくれる。 「扇まつり」と同時に執り行われえる「しょうぶ祭り」には、縁日の屋台が出店し、演芸舞台では地元の人々による演奏や日本舞踏・フラダンスで盛り上がる。 

 

  迦陵頻伽(かりょうびんが)  クリック

 迦陵頻伽とは、上半身が人間、下半身が鳥の姿をした仏教における空想上の生物。 極楽浄土に住んでいて、卵の殻の中にいる時から、美しい声で鳴くと言われている。  香椎宮では、童舞(わらべまい)として、お祭りの行事の中で披露されます。

 

  香椎宮 秋季大祭  クリック

 実りの秋の「五穀豊穣」を喜び合い、ご神徳に感謝を捧げるのが秋季大祭です。 勅祭社である香椎宮では、「秋季氏子大祭」として古くから伝わり、神功皇后の月命日である17日に近い10月の日曜日に執り行われる。 流鏑馬(やぶさめ)神事は迫力ある。

 

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香椎浪漫

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