関東土木保安協会です。
道路跨ぎ鉄塔にラウンドアバウト鉄塔。
様々な特殊建設条件下の鉄塔を取り上げていますが、今回は道路に挟まれてしまった鉄塔達の紹介です。
ラウンドアバウト鉄塔は道路に囲まれているのですが、道路に挟まれたとはどういうことでしょうか。
見ていきましょう。
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群馬県館林市高根地区。
ここに今回の鉄塔達がいます。
奥にもう1基が道路の中央に建っているのが見えたので行ってみましょう。
多々良川線29号。28号と同じくして建て替えられたようです。
その設置環境は殆ど28号と同じですね。
あっちは懸垂型でしたがこちらは耐張型です。
30号が少し道路の直線方向からずれているようです。
▲多々良川線29号(2011/1,38m)
鉄塔の基礎も28号と似ています。
車路に面する鉄塔はガードレールやコンクリートブロックで足元を保護していますが、この鉄塔達もガードレールを用いています。
手前の反射板が立っている縁石がいいアクセントですよね。
注意喚起的にも丁寧だと思います。
道路自体はそれほど新しくありません。
歩道を見ればわかりますが、人一人歩いたらもう埋まってしまい、縁石は途切れている間隔も非常に長い、バリアフリーなどとはかけ離れた古い設計です。
となると、鉄塔は前からここにあり、道路も前からここにあると。
鉄塔に合わせた形で道路ができてきたということになります。
▲こちらも同じような構築環境だ
こんなくねくねした道路は、運転者も歩行者も誰も望まないのですが、私のような鉄塔ファンからすれば非常に萌えな存在です。
しかし鉄塔ファンのためにこんな設計にしたわけではないですよね。
少し過去を追ってみます。
▲この区間は歩道が設置されている
市役所や電力会社で資料を拝見することはできないので、毎度おなじみ国土地理院航空写真を参照させて頂きます。
左上に写っているのが多々良川線旧30号鉄塔です。
中央左側と右下のほうに写っている鉄塔が、旧29,28号鉄塔のようです。
この時点では周辺に人家はありますが、現在の区割りとは全く違います。
▲1974の高根地区(国土地理院航空写真より)
次は、12年後の1986年の地図を見てみます。
この地図では、上写真とほぼ同じ位置に鉄塔が、そしてその鉄塔を挟むように道路ができているのがわかります。
館林市の土地区画整理事業を調べてみると、1976年~1983年の間で高根地区の事業が行われています。
敷地面積は43haと広大で、この街区がその整備対象だったとみられます。
恐らく、土地区画整理事業を行うに際して、鉄塔の設計が古く、線下に人家を建設することが難しかったのと、開発・分譲に際して線下補償の整理が発生してしまうため、電線路の下を道路として、鉄塔の部分は道路で囲ってしまう計画で進めたのではないでしょうか。
▲1986年の高根地区(国土地理院航空写真より)
当時の鉄塔はその影でも低いのがわかりますが、それを裏付けるのが28,29号鉄塔間に位置する道路との交差箇所です。
上写真で街路樹が並んでいる道路が左下から右上にかけて通っています。
この道路上で送電線と交差する箇所で高圧配電線は一旦地中に潜っています。
なぜこんなことをするのかと言えば、それは特高送電線との離隔問題をクリアするため以外に考えられません。
配電線の電柱から、建柱が1980年頃、高圧配電線の架設が1989年頃と伺えました。
電柱は区画整理に際して新設され、後に周辺の発展に伴い高圧線を引いたとすれば合点がいきます。
その際にも、高圧線の設置高さでは離隔が確保できないくらいに多々良川線の電線路が低かったのだと考えられます。
▲止まれ標識の部分で街路樹のある道路と交差する
これらから、
・当時は背の低い鉄塔が並んでいた区間であった
・その後、土地区画整理事業が行われた
・事業に際しては鉄塔の建替や移設をせず、鉄塔周辺と電線下を道路とするようにデザインされた
・鉄塔が道路に挟み込まれるような街路が形成された
・後に鉄塔が建て替えられた
という経緯が推察できます。
当時でも、美化柱に建替やルートの変更なども十分あったのだと思いますが、どういう折衝が行われたのか、鉄塔は高さも低いままで位置もそのままとなるよう事業が行われたようです。
送電線が先にあるのと、土地の整備が先にあるのとでは全然条件が違い非常に面白いですね。
ここら辺はラウンドアバウト鉄塔でも似たような経緯の鉄塔を多数見ることができるかと思います。
鉄塔を道路で囲むか、挟むか。
はたまた鉄塔が道路を跨ぐか。
鉄塔が建て替わって小さくなるか。
なんでこんなところに?という土木構造物の面白さ、存分に楽しませて頂きました。
<参考>
・館林市 : 土地区画整理事業施行状況一覧