関東土木保安協会

関東土木保安協会

Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった名も無き戦士達の魂 ~
関東土木保安協会は、鉄とコンクリートの美学と保全活動を追求します。


前回の続きです。
北浦和駅入口の交差点を北から南へ渡ります。
ちょうどこの交差点の下を武蔵野線が走っているようです。
何気なく通っていた中山道も、こうしてよく見てみると、背の高いビルが避けているようなラインが見えてきます。
中央に見える白い外壁の2階建ては、北浦和四丁目の自治会館でした。
なんとなく、線路上らしい借地使用なのかな?とも思います。
 
▲北浦和駅入口交差点付近

この撮影場所の背中側が北浦和公園になります。
武蔵野線は北浦和公園の東側を南へ抜け、ややカーブしながら常盤小学校の校庭の下を通過していきます。
 
▲北浦和公園。この下を武蔵野線が通過している

校庭の南側の住宅地でなにかがないかと探してみると、境界杭がありました。
 
▲常盤小学校の南側路地

何の変哲もない住宅街ですが、探してみるとしっかりとあるものです。
街並みとしては線路に区切られたような痕跡はないのにも関わらず、境界杭だけがその埋設物を語るというのが面白いです。
 
▲探してみるとしっかり杭があった

さらに南に向かうと、それらしい痕跡がありました。
大きなマンションが二棟建っていますが、碁盤の目に抗うかのように棟の間に斜めの空間があります。
 
▲マンションの棟間にも空間がある
 
ここは浦和常盤ザ・レジデンスというマンションで、東西でそれぞれ棟があり、イースト、ウエストと名付けられているようです。
建物は、イーストの方はL字型に、ウエストは斜めに建てられ、まるで斜めに埋まっている何かを避けるような立地です。
武蔵野線が埋まっているため、制約があるのでしょう。

▲敷地に対して不自然に斜めの建物

元々は工場のようなものが建っているようが確認できましたが、当時から埋設物を意識したような建ち方でした。
14階ほどあるようですが、これだけ高い建物だとくっきりとその空間が浮かび上がります。
 
▲このマンションも武蔵野線を避けるように建っていた

そしてマンションを過ぎると、今度は高齢者居住用の建物が現れます。
こちらもしっかりと斜めにラインが入ったような立地でした。
複線トンネルが浮かんでくるようです。
 
▲マンションの先にあるこちらも不自然な空間

もしやと思い探してみると、敷地西側の塀のブロックの間に境界杭が何本か埋まっていました。

▲さらに先に進んだところ。左には境界杭が

そのうち見えるものがあったので覗いてみると、しっかりと「工」マークが。
国鉄境界杭でした。
 
▲しっかりと国鉄境界杭だった

もうすぐトンネルが地上に出てきてしまうのですが、最後に面白い物が待っていました。
歩道橋なのですが、十字路に対して対角線に建っています。
これも今までの流れを見ればもう明らかで、ちょうど武蔵野線のトンネルを跨いで建設されているためにこんな設計なのだと思われます。
 
▲不自然に斜めに道路を跨ぐ、仲町小前歩道橋

反対から見るとこの様子で、このすぐ南側で、歩道橋間の延長線上にトンネルが這い出てきます。
学校があるので歩道橋は作りたいが、敷地もなく埋設物の制限がある、その為に螺旋階段を設けて、十字路の対角線上を結ぶような歩道橋を建設したようです。
 
▲どうやらこれも武蔵野線不干渉の産物らしい

プレートがありました。
建造は1973年2月で、武蔵野線開業の2ヶ月前でした。
これを見ていると本当に埋設物への干渉しない努力というのは大変ですね。
 
▲武蔵野線開業直前の竣工

せっかくですので歩道橋を渡ってみました。
歩道橋中央から北東を見ると、手前の幼稚園の奥にはマンションにかけて直線的な空間があるのがわかります。
よく見れば、地図でも地上でも、武蔵野線が埋設されているのが確認できました。
 
▲歩道橋の上から北東を見ると、うっすらと線路ルートが浮かぶ

歩道橋からすぐ南にあるトンネルです。
ここは騒音問題もあるためか、地上区間ですがコンクリートの躯体に線路が覆われています。
それほど深いトンネルではないというのがわかります。
 
▲歩道橋からまもなくしてすぐにトンネルは地上区間に出てくる
 
以上に、武蔵野線の北浦和付近の地上の様子でした。
地上に地下の存在が反映されて、見えないものが見えてくるというのは面白いですね。



 
関東土木保安協会です。
貨物列車に始まり、ベッドタウンの旅客輸送においても重責を担うJR武蔵野線。
武蔵野線は与野駅の南方で地下に潜り、中浦和駅の北側で地面から出てくる地下区間があるのですが、この地上部分が地図でみて面白かったので、現地に行ってきました。
 
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与野駅から東北本線の線路沿いを南方へ進むと、一番西側の複線の中央部分が地下に潜っていきます。
東北貨物線の間から武蔵野線が地下に進んでいくところです。
乗ってると気付きませんでしたが、ここは地下に入る武蔵野線の都合からか、写真一番手前の東北貨物線が少し盛られて高低差がついているんですね。
 
▲手前2線が東北貨物線。線路間の地下に武蔵野線がある
 
ここから南西へ向かって武蔵野線が進んでいきます。
線路沿いの道路から分かれて、すぐにコンクリートの構造物が地面にあるので、それとわかります。
 
▲上写真から南方部分。武蔵野線地下区間の開始だ
 
周囲をよく見ると、国鉄杭が打たれていました。
ちゃんと地下区間を地上でも区切っているのが分かります。
 
▲よく見ると境界杭が至るところにある
 
その地上部分はどうしているか?というと、このように自転車置場になっていました。
この区間はまだ浅く、トンネルの重量制限なども関係しているのでしょう。
 
▲地下区間の上部は駐輪場になっていた

その先はというと、時間貸しの駐車場になっていました。
ここからは車両も駐車できるようです。
 
▲自転車置場の南方は時間貸駐車場になっている
 
もしやと思い看板を見ると、緑のJRマークがありました。
パーキングインというJR東日本系列の駐車場なんですね。

▲駐輪場の南側はJR系列の時間貸し駐車場だ
 
この反対側は一般の住宅になり、国鉄の痕跡は一度消えたかのように見えます。
しかし、直線上でおおよそのルートを追っていくと、地下区間が街並みに浮かびあがってくるのが分かります。
下写真はここから南方の北浦和駅周辺なのですが、明らかに写真中央の部分で周囲より低い建築物のゾーンがあるのが分かるかと思います。
もっと進んでみます。
 
▲ビルの谷間がしっかりとできているのがわかる
 
低層建築の開けた空間は、時間貸駐車場とマンションの駐車場になっていました。
明らかにここだけビルがありません。
なるほど、基礎杭が埋設物と干渉してしまうからなんでしょう、しっかり建てられるものが分かれてしまってるのですね。
 
▲中央の低層建築物になっている個所が武蔵野線通過部分
 
恐らくライン取り的にこの建物が地下埋設区間との境界かな、という建物の敷地をよく見ると、ありましたありました、国鉄境界杭です。
 
▲建築物の土地の末端を見てみると…
 
意識しないと分からないものですが、そういう目線で周囲を見ると、なんでこんな斜めに切られたような建物と土地なんだろう?というのも疑問でしたが、そういうことだったんですね。
 
▲あった!国鉄境界杭だ!
 
振り返ってその北側を見ると、同じく境界杭がありました。
何気ない街並みが、しっかりと地下構造物で切られているのがわかります。
 
▲反対側にもあった!
 
ここは境界杭の通り、土地の所有者はJR東日本で、地上部を借地として運用しているようです。
武蔵野線の所有者はJR東日本なので、 上に載せた時間貸駐車場もそうですが、地上部の占有者も同じとなるのでしょう。
 
▲時間貸駐車場にはしっかりとJR東日本の財産票が
 
下写真は、国道17号から先程の駐車場方面を見たところです。
建物が不自然に斜めに切れていたりしますが、これも線路の埋設部分で土地が区切られるためでした。
こちらも線路上に建っている建物には高い建築物はありません。
基礎杭などの干渉があり建築できないのでしょう。
 
▲不自然に斜めに切られた区割りがあちこちに隠されている
 
 上写真から振り返ると、ちょうど国道17号線の北浦和駅入口交差点になります。
ここは何度も通っていますが、確かに交差点を斜めに通過するように複線分くらいの空間があります。
線路を追うと、ここに武蔵野線が埋まっているのだとわかります。
 
▲北浦和駅入口交差点。写真左手前から右奥へ、建物がない部分を武蔵野線が通過する
 
この箇所にも痕跡はないかなとあちこち見てみると、すぐに境界杭が見つかりました。
写真左下です。
 
▲その交差点もよく見てみると…
 
これが旧国鉄の杭だとは知る人しか知らず、そして何でこんなところに打ってあるのかも地図を見ないと分からない。
地中埋設物を追いかけるのは、当たり前の光景の中に隠された秘密のような、宝物を見つけるような面白さがあります。
 
▲国鉄境界杭だ!
 
 この先の区間にはもっと明らかな埋設の痕跡がありそうなのですが、それは次回にしたいと思います。

 
 
東武伊勢崎線の車窓から、変わった形の鉄塔が2基見えます。
前から気になっていたので、行ってみました。
北越谷駅の北東です。
彼等の名は山西線です。度々ブログ記事でも取り上げている送電線で、バンザイ鉄塔で知られる鬼怒川線が生まれ変わった電線路です。
山西線2回線、下段に大袋線2回線を支持します。
 
▲山西線No.188(1993/6,4?m)
 
ここは日光街道で知られる足立越谷線をパスする区間になります。
どういうわけか、No.188はラーメン基礎で建っています。
前から気になっていましたが、やっぱり面白いじゃないですか。
コンクリートの上部にはガイドレールが全周に張られていて、この辺りも外観の魅力です。
 
▲何故にこの設計なのだろう
 
越谷市など、この辺りは東武伊勢崎線沿線でベッドタウンとして栄えています。
昭和50年代頃から宅地開発も進み、恐らくバンザイ鉄塔君たちも早期に建て替えが進んだのではないか?と思っていますが、建て替えに際して敷地は増やせなかったのでしょう。
この辺りの鉄塔達も頑張って狭い敷地内で4回線鉄塔に建て替えたような子たちが多い印象です。
 
▲フェンスは茶色だ
 
それにしても、基礎だけでなく変角度鉄塔でまた不思議な鉄塔です。
きれいに約45度くらい線路方向からずれていますが、この方が電線の引張強度に対して耐えうる構造なのでしょうか。
実はこの区間の前後にも何基か変角度鉄塔があるのですが、それは宅地の区割りなどが線路方向とは大きくずれてしまっていて、それに合わせているようにも見えます。
ここはというと、建設当時の航空写真を見ると、当時から周囲は駐車場で、建て替えに際して線路方向に鉄塔用地を契約しなおせばいいだけでは?と素人目では思うところです。
 
▲変角度で違和感がある
 
軟弱地盤や地下構造物の関係なのか、変角度鉄塔の強度的な問題なのか、なんだか経緯がよくわからない謎の鉄塔です。
根開きを大きく取りたくないのか、いやそれなら他の鉄塔で同じ変角度設計の鉄塔で、ラーメン基礎でない鉄塔も何基もあるんですね。
設計された方や工事された方に経緯を伺ってみたいものです。
 
▲側面から見ると変則設計がわかる
 
さてお隣北側のNo.187も変な子でした。
こちらも見てみます。
片寄せの引き下ろし鉄塔。
矩形鉄塔のようですが、基礎は正方形で四角鉄塔になりますでしょうか。
 
▲山西線No.187(1993/6,56m)
 
正面から見るとこの顔。
アンバランス感がたまりません。
架空地線用腕金も片寄のために片側しかありません。
 
▲矩形鉄塔で片寄せ支持をしている
 
元々建て替え前の鉄塔がどうだったかを知りたくなる鉄塔です。
塔体の中心で支持してしまうと前後方向の線下敷地の干渉が問題になってしまうのでしょうか。
極力道路側へ張り出した位置で電線を支持しています。
 
▲さらには下2回線で引き下ろしまでしている
 
ケーブルヘッドのステージ分のため横長にしたかったのか、水平材の長さを変えて矩形鉄塔のような形状になっています。
また重量も増えるためか鋼管材を使用し、強度も高めています。
 
▲鷺高変電所への地中引き込みだ
 
2回線は鷺高変電所への引き込み線でした。
鉄塔はNo.188と同期生なので、フェンスなど外構意匠も同じです。
 
▲ここからケーブルは国道4号線を進む
 
どちらの鉄塔も、幹線道路脇で環境調和のモノポールとして建っていてもおかしくなさそうですが、やはりコストが全然かかってしまうのでしょう。
2基とも鉄塔で建設されています。
 
 
鉄塔のなぜなぜは開示されない分、謎が謎のまま埋もれ続けることがほとんどです。
なぜこの形なのか。なぜこの高さなのか。なぜ他と同じでないのか。
なぜが多いから、魅力が多いんですね。
 
 
 
 
 

関東土木保安協会です。
埼玉県は浦和区。前回載せた新浦和橋の近くに、大きな鉄塔があります。
NTT東日本常盤ビルです。
非常に大きな電話局です。その勇姿を拝みに行ってみましょう。


常盤ビルは日本電信電話公社時代に建てられた巨大な電話局で、1970年代中頃にできたようです。
NTT東日本が所有する電話局では、埼玉県内で一番大きいのではないでしょうか。
今ではすっかり他のマンションなども建ってきましたが、それでもその巨大な鉄塔と下部の建屋は目立つ存在で、建物の役割や重要性をその姿で表しているようです。

▲高層住宅も多くなってきた浦和駅周辺

あまり近くに行っても、巨大なためによく見えなさそうです。
少し離れたところから、ちょうどよく拝めました。

▲NTT常盤ビル遠景

常盤ビルの鉄塔は、プラットホーム5段で、正六角形のパイプラーメン構造です。
斜材が無いすっきりとしたデザインで、建設当時鉄塔にもこだわって設計されたのがうかがえます。
聞いた話では、鉄塔は60m超とのことで、7フロアはあるであろうその建屋の上に建つことで目立っています。
しかも電話局の一階分の階高は一般的なビルよりも高いため、数字以上の高さとなります。

▲鉄塔は6本の主柱からなるパイプラーメン型だ

昔は大型のパラボラアンテナが山のように搭載されていたであろう鉄塔も、今は寂しくドコモの基地局向け小型アンテナを搭載する程度になってしまいました。
お約束のアンテナ衰退の姿です。数年前までは小型のアンテナももう少し載っていました。

▲プラットホームは5段あり大きい

それでも、小さなアンテナはまだ搭載されており、電波塔の役割は終えていないようで、嬉しくなります。
一番最上段には複数が同じ方向を向いて設置された小型アンテナが確認できました。
30年前ならホーンリフレクタアンテナが載ってたことでしょう。

▲プラットホーム最上段にはアンテナが並ぶ

プラットホームから下側の塔体下半分には、基地局用のアンテナや送受信機器が設置されていました。
ここは螺旋階段と鉄骨しかないと思ったら、グレイチングになっているようで、機器が設置できるんですね。

▲塔体下部には基地局のアンテナが多い

建物の直下に来ました。
誇らしく輝くNTTロゴ。ダイナミックループ。
電電公社時代の写真を見てみたいものです。
非常用発電機の排気管が見えます。
大きい電話局にはやはり太い管がついており、発電機の大きさを物語ります。
そして窓がない無機質な姿。
まるで要塞や秘密基地のような雰囲気すらあります。

▲威圧感がある巨大な建屋だ

常盤ビルの入口です。
消されている部分はハイフン埼玉とでも入っていたんでしょうか。

▲表札

こちらは外構にあった近隣住民向けの看板です。
NTT埼玉支店というのが99年に分社してNTT東日本になる前のものと思われ、時代を感じさせます。
NTT埼玉支店のビルだったんですね。

▲NTT分社化前は埼玉支店だったのだろう

建物は非常に大きく、長方形の無駄の無い形状で、側面はブロンズ系の色味で、窓も横一列以外はほとんど無く、電話局らしい無機質な雰囲気です。
横長の建物に横一列のガラスが並んで、ワイド感が強調され、電話局の重々しい雰囲気を増させているようです。

▲電話局らしい無機質なファサード

モノクロ画像にするとよりその精悍さ、均一な表面からなる威厳が増すようで、こういう画もかっこいいですね。

▲モノクロにするとよりその威圧感が増す

建物東側を見てみると、車庫がありました。
お馴染みのNTT東日本の移動無線車や非常用電源車の車両群が並んでいました。
これだけ並んでいるのも珍しいかと思います。
災害時のインフラの維持をなんとしても繋げようとする、そんな社会的使命を担う電話局らしい一角です。こちらもかっこいいですね。
一番右の大型車は、停電時に電話局の非常用発電機が運転しますが、その故障の際に駆けつける非常用電源車で、荷台部分に発電機を搭載しています。
このサイズだと相当大型で、1000kVA以上はありそうです。

▲敷地内車庫の頼もしい緊急車両群

中央の車両は衛星通信移動無線車という車両で、車内にばパラボラアンテナを搭載し、通信経路が途絶された地域や公衆電話を臨時開設したい場所などにおいて、電話回線を衛星経由で確保することができる車両です。
この車はハイエースがベースですが、赤色灯などトヨタのハイメディックに似てるなと思ったら、2022年から導入された救急車ベースの車両とのことです。(文末リンク参照)
昔の同型車といえば、背の高いトラックで後ろからアンテナを出し入れしていた記憶がありますが、運用や免許の制約もあるため、車両更新に際して小型化を図ったとのことです。
機動力や居住性が良さそうですね。

▲万が一に備える、巨大要塞のビークル達だ!

SNSなどで、停電があった時に「普通に使えるのって実は凄い」と話をされたりしているのを目にしますが、停電時も蓄電池や発電機により通信設備が止まることなく動き続いているからこそ、SNSでの情報交換ができるのです。
その通信は、事業者各社が莫大な費用をかけて整備している、こういった特殊建造物の産物です。

▲今日も埼玉を見守る六角形の巨塔

止めてはならないものがある。
沈まぬ船がここにある。
日本電信電話公社こと電電公社。
国営通信事業が築いたその巨体は、半世紀の時を経てもなお変わらぬ存在感を放ち、通信網の縁の下を担ぎ続けています。


〈参考〉






関東土木保安協会です。

浦和駅と北浦和駅の間に新浦和橋という橋があります。
国道463号線越谷浦和バイパスが東北本線を跨ぐ橋です。
この橋が昔有料道路だったというので行ってきました。

▲新浦和橋西側交差点

新浦和橋は1993年6月に開通した33年前の橋です。
通行量が計画値を下回り、償却予定の30年を待たずに僅か10年で無料化されました。
当時は有料であったため、料金所がありました。
この痕跡が残っているのが面白いので、どんなものか見に来ました。

▲以前は有料道路だった

西側から橋を見ると、ちょうど一番高いところにブース跡のようなコンクリート台座が見えます。
これが料金所の跡です。

▲料金所の跡が写真中央に残る

歩道を上がり料金所の跡地付近に来てみました。
ここと向かいの歩道から見た様子が、よくネット上にアップされている痕跡写真です。

▲料金所跡地付近

33年前のものなのでいい感じにくたびれています。
ブース前後はコンクリートのブロックが設置されています。
この中央分離帯に1ヵ所、両脇に1ヵ所ずつの計3ヵ所あったようです。
車道部分の2箇所は撤去されています。

▲ブース跡

橋の上の写真はよくアップされていますが、橋の下には何か無いのかということで、歩道から桁下を覗いたところ、管理所跡らしき建屋とブースへの連絡階段跡を発見しました。
うーん萌えますね。

▲料金所直下の高架下空間には事務所が

線路沿いの道に事務所跡の入口がありました。
表札は外されています。
当時は「埼玉県道路公社」の新浦和橋事務所だったのでしょう。

▲表札は外されていた

駐車区画が3台分設けられていました。
タイル張りの入口を見ると、不採算有料道路にしては立派な造りだなと思ってしまいます。
こんなところで施工費を浮かしたとて、爪の先程度の節約にしかならないでしょうが、やはり90年前半製は豪華ですね。

▲地味にタイル張りと凝っている

ここからは料金所行きの連絡階段がよく見えました。
ここを通り管理所と料金所ブースとを行き来していたのでしょう。
中央分離帯のこの階段の出口は塞がれていることでしょう。
トマソン建築です。

▲ブースへの通路が残っている

そういえば、この建屋の隣には洞道の入口がありました。
東電の旧ロゴが残っています。
橋と時を同じくしてできたのでしょう。



有料道路の痕跡がうっすらと残る、新浦和橋。
料金所も管理所も解体されることが多いと思いますので、建屋が残っているのは珍しいかと思います。
面白いですね。




 

関東土木保安協会です。

昭和の零細工場が点在するような雰囲気を持つ東京都は足立区の新田。
荒川放水路と隅田川に挟まれた島のような中洲の地に、鹿浜変電所があります。
鹿浜変電所から出ている送電線が、志茂町線になります。
この子も跨ぎ君だったので、結界を拝みに行かせていただきました。
どうでもいいですが、今回から跨ぎ鉄塔はマタギな一基として銘打とうと思います。
 
 
環七は鹿浜橋で荒川を渡り、鹿浜変電所が見えたら路地を左に入ると、小道を跨いだ鉄塔があります。
志茂町線No.4鉄塔です。
 
▲志茂町線No.4(1961/9,28.3m)
 
車も通れないような細い道を跨いでいます。
上写真でマンホールが見えますが、舗装が路地で分かれている辺り、暗渠でもあるのでしょうか。
昔の航空写真を見ても、この路地ははっきりとは確認できないのですが、地図で見ると路地は環七を渡り反対側までもまっすぐ伸びています。
恐らくですが、その昔は堀でもあって、暗渠化して埋め立て小道となったのではないかと推測できるような、そんな立地です。
 
▲小道上に立つ志茂町線No.4
 
高崎駅の近くにも高崎線という1960年代の4回線対応の矩形鉄塔があります。
あちらも用地の都合なのか、4回線鉄塔とした時に収まりがいいためか矩形鉄塔を何基か採用しています。
この志茂町線もこの次のNo.5も矩形鉄塔で、似た条件で同じ様な設計をされているようです。
 
▲民家があるためか昇塔防止措置は少し高め
 
後付けなのか各水平材のところにメッシュの素材を付けてグレイチングのような見た目になっています。
鳥も営巣しやすそうに見えてしまいますが、何か目的があって付けられているのでしょうか。

▲独特の形状だ
 
結界を拝ませて頂きます。
メッシュ材が張られているためきれいに頂部まで見ることはできませんが、M字状に構築されたアングル材の組み方など面白い画です。
 
▲志茂町線No.4の結界

手前のNo.3は道路に面し目立ちます。
こちらも面白いですね。
下に北清掃工場線を併架します。
碍子連が短く、22kV級でしょうか。
 
▲志茂町線No.3(1961/9,27m)
 
こちらも古めかしいですが、ケーブルヘッド周りの取り回しが独特で、面白いです。 
領家線もですが、66kVの下段にもっと電圧が低い線を収めてる鉄塔がこの辺りはちらほらありますね。
 
▲古参のドラキュラ
 
プレートに「上は」「下は」と親切な説明書きがありました。
初めて見るような気がします。
 
▲併架は北清掃工場線

あまりにも路地に馴染みすぎていて、民家が近く、撮影時も洗濯物を干されている住民の方に申し訳ないなと思いつつの記録でした。
そんな生活感に溢れた跨ぎ鉄塔。
まさに建て替えなくとも環境調和型な、志茂町線No.4でした。


 
〈参考〉
・一般社団法人日本海上起重技術協会 : 感電災害を防ぐために(pdf)
 
 
 
関東土木保安協会です。
さつきロードこと、宇都宮鹿沼道路の料金徴収期間が2026/3/18の0時をもって終了するとのことで、子供のころからお世話になった道路で、思い入れもあるため、記念に走り納めと記録に行ってきました。
 

 
宇都宮鹿沼道路は、1996年3月に供用開始された有料道路で、宇都宮市内の渋滞緩和などを目的に建設されました。
この区間を通過すると、宇都宮環状線の南部から東北自動車道鹿沼インターへのアクセスが非常に容易になるため、国と県が提唱する広域道路計画の一つとして位置づけられています。
道路としては国道121号線になります。
 

 
宇都宮環状線側から有料道路区間に進入してみます。
大きなさつきロードという有料道路の看板が目立ちます。
さつきは鹿沼の特産物で、いたるところにさつきの花が描かれていたりします。
 
料金所前後区間を見ると分かりますが、道路用地は4車線分あるのがわかります。
高架部の歩道と街灯が南側しかないのもこのためです。
 

 
料金所です。
平成初期の開業ですので、昭和の有料道路のように古めかしいことはありません。
保守作業と繁忙期を意識してか、5レーンもあります。
中央のみ両方向に対応し、残りの2レーンずつは片方向のみの専用となります。
 

 
さつきの花が描かれた立派な屋根です。
一度料金改定があり、普通車150円が160円になりました。
 

 
徴収期間ラストとなる今だけ掲げられている、無料化を案内する掲示。
ここの有料道路が無料化すると、あとは同公社が管理する有料道路は日光宇都宮道路のみとなります。
昔は県北に多くあったものですが、ほとんど徴収期間満了となりました。
 

 
これがさつきロードの管理舎で、栃木県道路公社の宇都宮管理所です。
ピンク色の現代的な建物でしたが、役目を終えます。
この後は解体されてしまうのでしょうか。
 

 
鹿沼側から見たところです。
この料金所の詰所の前後に、車両衝突から守るためのコンクリートの構造物がありますが、大型車が衝突しているような映像を見ると、重要だなと思います。
 
 

 
鹿沼側でも、幅員は4車線分ありますが、歩道整備は南側のみで、車線も2車線となっています。
この街灯も今となっては古めかしいですね。
 

 
自転車は20円でした。
今まで何十回と通過していますが、通過している人を見たことがありません。
 

 
鹿沼側に進むと、墓地があり工業団地へと進みます。
すぐに鹿沼インターが見えてきます。
10年ほど前でしょうか、コストコが壬生にできる前に栃木県内でも建設地の候補が複数上がっていたようですが、地元の噂でこの付近(流通センター付近)にできる可能性がある、など話を耳にしたことがあります。
結果、壬生に完成し、鹿沼のコストコの話は無くなりました。
ここにできていれば有料道路の通過車数にも影響したことでしょう。
 

 
最後に、お気をつけての看板があり、有料区間が終了します。
この少し西(写真奥)に、歩道の縁石がない区間がありますが、ちょうどその辺りに道路建設計画があり、流通センターに途中まで建設されている4車線道路が延伸する予定となっています。
まだ建設されていませんが、完成すれば流通センターから宇都宮環状線方面への利便性は高まりそうです。
 

 
完成から早30年、料金徴収お疲れさまでした。
料金所が無くなった頃にまた来たいと思います。
 
 
<参考>
・栃木県道路公社 : さつきロード
 
 
 
関東土木保安協会です。
西武池袋線の保谷駅の北東に、面白い鉄塔がありましたので行ってきました。
 
 
保谷駅から歩いて10分ほど。
大泉第六小学校のそばの練馬区立南大泉まんさく児童遊園に鉄塔はありました。
彼は吉武線No.8-1。
66kVの2回線です。
ハイフン付きの所謂「のいち」鉄塔で、見ての通り引き下ろし鉄塔の新設で割り入れたのでしょう。
吉武はよしたけ?何の地名?と思ったのですが、ルートが吉祥寺~武蔵野と変電所を結ぶため、そんな捻りはなく「きちむ」線というようです。
 
▲モノポールの下に蔵風の建屋がある
 
吉武線の上には北多摩線があります。
塔間に割り入れた鉄塔は、下段の送電線のみ支持すると架空地線が不要となるため、頭を切られたような面白い形状になります。
この吉武線No.8-1も、最上段の腕金より先端が無い、面白い形状をしています。
 
▲吉武線No.8-1(1996/5,31m)
 
この反対側を覗いてみると、立派な点検床が設置されており、違う顔つきになっていました。
これもまた面白いですね。
 
欲を言うと、後で触れますがその蔵風の建屋と装いを合わせるならクリームでなくて白ではないか?と思いますが、昨今の環境調和型は白に塗り替えられていたり白で竣工しているイメージがありますので、これも次回の塗装時に塗り替えられてしまうかもしれません。
 
▲若番側に点検床のデッキを張り出す
 
引きで見てみると架空地線無しのその異形ぶりがよくわかりますね。
モノポールということもあり、塔間に申し訳なさそうにスーッと入ってきた塔のような、そんな印象すらあります。
80年代くらいの航空写真を見ると、元々この地は空き地だったようで、住宅地が造成された際にこの鉄塔も建設されたようです。
 
▲北多摩線No.119(1987/4,52m)
 
さて、引き下ろし鉄塔ですから何かあるでしょう、と思ってこの子の足元を見ると、先ほどの蔵風の建屋があります。
まんさく児童遊園の敷地内の一角に、建屋と共に集められています。
 
▲公園の一角に蔵とモノポールがコンパクトに収まる
 
入口には「西大泉変電所」とあり、なるほど変電所のカモフラージュ施設だったのですね。
いつもの東電様式の変電所プレートが光っていました。
そういえば、引き下ろした送電線の名称が読み取れてません。
通常ですと「西大泉線」なのでしょうが、どうでしょうか。
 
▲蔵型の建物は西大泉変電所だった
 
それにしても、所謂環境調和型ということで、鉄塔から建屋から毒々しい無機質感を消すのに必死ですが、この建屋は外構の舗装も升状の目地が切ってあるような意匠ですし、屋根は瓦風、下半分は菱模様で蔵風ですし、本当にお金をかけて立派に作られています。
バブルがはじけたものの、まだ平成に入って凝った環境調和があちこちで作られていた時代のものだなあと感じます。
今後も大事にされるといいな、と思ったりします。
 
▲保守用車両の駐車区画まで綺麗に整備
 
ところで、蔵風の建物は変電所だったんですね、で終わるわけが無いんですね。
なんせ、これだけが変電所ですってのは無理な話で、どうやったって現代のGISをもってしても、66kVを引き込んで変圧器まで収めるなど、このハコだけでは到底無理だというのは明らかです。
 
▲蔵風の建屋の茶色部分はルーバーだ
 
そこで引きで公園敷地をもう一度見てみます。
写真左側の公園の対角に、同じ意匠の建屋があるではないですか。
そして隅には東電杭。
ひょっとして変電所はこの公園の地下に収まっているのではないでしょうか?
 
▲公園を俯瞰すると、写真左側にも似たような蔵が
 
地下変電所というと、ビルの下や、変わったところでは寺院の下などにあり、一部では都市伝説のように奇怪な物として騒がれています。とはいっても結構あるものです。
ここも例外ではないようで、公園の敷地が丁度配電用変電所の敷地分くらいはありそうな点と、鉄塔脇の建屋に入口があるほか、もう一か所ルーバー付きの建屋があるため、この2か所が出入口と外気送風機、排気送風機などの通気口となっているのではないかと思われます。
地下でも換気設備は必要なので、その地上部分になるのかなと思います。
恐らく、需要増加などで変電所を新設することになったものの、適当な候補地がなく、送電線直下の宅地分譲する一角について、地上部を公園、地下部を変電所として周辺住民に配慮する形で建設したものではないかと推測します。
そのため、カモフラージュも丁寧で、蔵風の建屋でお洒落なイメージを持たせ、鉄塔は場所の狭隘さからモノポールの環境調和鉄塔としたのでしょう。
 
▲こちらも同様の変電所付随施設であった
 
ここまで書いたものの、気になるのがその設備をどうやって入れて、どうやって更新時するのか?という話です。
大抵の地下施設は搬入口としてドライエリアなどを有していますが、ここはそれがありません。
つまり、都市部などである、竣工時に完全に搬入口が塞がれてしまった場所なのではないかと考えられます。
蔵風の建物はどちらも扉がない、あっても小さく、とても変圧器などを搬入出できる存在ではありません。
特高設備の設備更新は30年周期程度なので、恐らく竣工後30年などでこの公園を一度休園させ、その地下を掘り起こして設備を取り換えるような運用を想定しているのではないか?と思いますが、実際のところどうでしょうか。
何せ、鉄塔のプレートからそろそろ30年で変電所設備に大きなメスが入っても良さそうですが、もし工事がされるとすれば、この後この地は囲われたりするはずです。
どなたか、真実を知っている方はきっと、それは違う、だいたい合っている、など答えを持たれているかと思いますが笑。
 
 
都市の隠れたインフラ構造物は、その内側がどうなっているかわからないものの、それを想像する楽しみがあります。
吉武線No.8-1鉄塔とその周辺。
彼らはその存在そのものだよな、と思うのでした。
これだからインフラ設備はやめられません。
 
 
 
〈参考〉
 
 

関東土木保安協会です。

前回は小山駅南方の間々田-小山線の鉄塔跡について触れましたが、その少し南方では怪しい鉄塔が確認できました。
この記事を見られている変態な方々なら、一目でわかるであろうその怪しい鉄塔。
こちら、その間々田-小山線の併架痕跡を残す鉄塔です。


彼の名は国際電々小山線No.3。
小山市の希望ヶ丘公園内に立地しています。
国際電電は国際電信電話、すなわちKDDです。今はKDDIですね。
名前が需要家そのもの、かつその旧称で残っている貴重な送電線です。(実際の正式名称は更新されているのかもしれませんが)
謎に首長のその外観。
嵩上げ?いやそうではありません。

▲国際電々小山線No.3(1982.7,42m)

よく見ると3組の腕金を取り外した跡が確認できます。
2回線にしては少し高さが足りないこの空間。
その点も1回線の支持だったであろう痕跡です。

▲2回線とベンド点の間に不自然な間がある

向かって左上に1相、下段に2相。
1回線送電線のあの姿が浮かび上がってきます。
そういえば前に行った小北線No.80もそんな鉄塔でした。


あちらは腕金が残っていました。
併架時代はそのNo.80のようなイメージで腕金がついていたのでしょう。

▲1回線分の腕金跡が確認できる

この少し南に、広大な敷地を有するKDDIの小山ネットワークセンターがあります。
これが、旧KDDが設置した小山国際通信センターで、元々は国際通信や船舶との短波通信を行う施設として運用されていたようです。
建設した日総建のサイトによると1984年6月に竣工したとあります(文末リンク)。
送電線のプレートも2年違いくらいで記録があるため、小山国際通信センターの開設に合わせて運開となった送電線のようです。

▲公園から老番方を望む。送電先施設の電波塔が見える

凄いですよね。「国際電々小山線」。
国際電信電話なんて最早存在しないのですが、送電線にはその名が残り続けてるようです。
そういえば同じくKDD→KDDIの八俣送信所もそうでした。
あそこも国際電々八俣線だった気がします。

▲プレート

鉄塔は東電の鉄塔として建設されたようで、フェンスは緑色のお馴染みのもの、掲示物は今はオウム君の注意喚起が設置され、東電鉄塔としか思えません。
昔は国鉄/JRプレートもあったのでしょうか。

▲鉄塔下部の様子

それにしても、公園内には野球グラウンドがあるせいか、フェンス内には野球のボールが何個も落ちていました。
拾うにせよ電力会社へ連絡して日時を合わせて拾得となるので、それは誰も連絡もせず放置、となるのもよくわかります。

▲ボールがいっぱいだ!

鉄塔によっては、主材の線路名の記載箇所辺りに「国鉄」とかあるものもあったりするのですが、この鉄塔は痕跡は何もありませんでした。

▲1回線の併架があまり無いので目立つ

よく見ると腕金撤去箇所のアングル材はカーブしていますが、間々田-小山線のルート跡的にはこの鉄塔に対して斜めに交差していたようで、下写真で言うと左手前方向から右奥方向へ流れていたようです。

▲国鉄プレートなどは無いようだ

送電線のルート跡を追うと、交差跡の箇所でお互いに苦労したであろう痕跡を見ることができ面白いですが、このように同一支持物であると片側が撤去されると不自然な形状になったりします。
また、その鉄塔自体がそれほど古くなく問題もない場合はそのまま建ち続けることになります。
小北線No.80といい、この鉄塔といい、ロマンがあっていいですね。
このまま残り続けてほしいものです。


〈参考〉






関東土木保安協会です。

旧国鉄送電線の遺構ですが、前に触れた間々田-小山線の区間を少し北上すると、まだまだ痕跡が残っていましたので、現地を記録してきました。


栃木県小山市の西城南町。駅の南側にある住宅地です。
旧国鉄自社線も東電化して30年は経つであろうに、街路を整備してしまうと簡単にはその痕跡を消せないようです。


ファッションセンターしまむら城南店の近傍にあるこちらの空間。
見る人が見たらまさにそれとわかる、鉄塔跡になります。
例に漏れずゴミステーションが設置されています。

▲鉄塔跡。道路が一方通行となる

この送電線は1950年代後期に竣工したので、住宅地はその後からこの地に整備されています。
他の同じような場所と同様に、鉄塔と電線高が低いため、その線下は分譲地にできないため道路とし、鉄塔の設置箇所では敷地を挟み込むように道路を設けています。
道路は幅員を狭くするも、鉄塔の両側を道路として各々一方通行にしたため、車両はすれ違いできます。

▲鉄塔跡の先には、道路とその奥にもう1基の鉄塔跡が続く

この送電線の他の鉄塔と比較し、十分根開きは大きいように見えるため、この宅地開発に際して同時に建て替え・ルート変更も行われていたのかもしれません。

▲中央はここ数年で花壇になったようだ

基礎の4脚の跡とおぼしき箇所の防草シートには切り欠きのようなものがあり、以前は切断部分が露出していたようです。

▲基礎とおぼしき埋設地点は、四角形の切り欠きが確認できた

ここから2スパン分、きれいな直線を描いて北に送電線が向かっていたようです。
まっすぐに延びる道路を追うと、また鉄塔跡の空間が現れます。

▲第2の地点全景

こちらも両側が1台分の幅員の道路になっていました。
基礎のブロックが露出し、鉄塔跡らしい佇まいです。

▲こちらは基礎がむき出しになっている

敷地の脇には例に漏れずにゴミステーションが置いてありました。
ゴミステーション。
普通に道路に置こうにも、道幅を狭めますし、かといって分譲時にそれを見越した切り欠きがある区割りで販売してしまうのも、売れ残りを見るとその区画だったりと、避けられる存在です。
鉄塔直下のデッドスペースを住民で共用するスペースにするというのは、そこまでの距離の差異があれど、対象がゴミステーションなどという避けられるものであれば公平で平等であり、改めて最適解になるのだろうな、と思うところです。

▲お約束のゴミステーション

こちらは境界杭も元気に残っていました。
もちろん国鉄マーク入りです。
主材はコンクリートのところでほぼ残らずきれいに切断されています。

▲国鉄境界杭も健在だ

第3の地点です。
こちらは送電線方向とは90度ずれた方向に長い空地を持つ鉄塔跡です。
丁字路なのでこうなったのでしょう。
やはり道路方向には標識を掲示し分離帯のようになっていることをアピールしています。

▲第3の地点全景

ここまで来るとお約束よりかは様式美とすら映る、ゴミステーションです。
もちろん設置されていました。

▲様式美にすら映るゴミステーション

こちらもしっかりと境界杭が残っており、国鉄線の鉄塔跡らしさが残っています。
鉄塔は基礎手前で溶断されています。

▲境界杭も元気だ

いたずらされたのか、境界杭1本は抜かれてしまっていました。

▲抜かれた境界杭

さて、道路にしっかりと残る鉄塔跡はこの3ヵ所くらいなのですが、第3の地点の北方でちょうど国道50号線を越えた先に、もう1ヵ所鉄塔の痕跡が残っている場所があったので、ご紹介します。
へトイザらス/ベビーザらス小山店のとなりにある食事屋さんの駐車場になります。

▲第4の地点全景

こちらにはしっかりと敷地に斜めに鉄塔跡があるのが確認できました。
鉄塔敷地だけ、コンクリート仕上げとなっており、色が違います。
また基礎の4脚も、周囲のフェンスの跡も確認できました。
普通に駐車線が引かれているため、言われなければ普通の人は気付かないかもしれないですね。

▲フェンスの金物と主柱基礎とが切断されたまま残る

この区間は90年代前半~中頃には東電化していたはずですので、撤去後30年くらいは経過していると思います。
四半世紀経過してもまだまだ残る痕跡。
鉄塔ファンの探索心をこれからもくすぐってくれるでしょう。