関東土木保安協会

関東土木保安協会

Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった名も無き戦士達の魂 ~
関東土木保安協会は、鉄とコンクリートの美学と保全活動を追求します。

 

関東土木保安協会です。

昭和の零細工場が点在するような雰囲気を持つ東京都は足立区の新田。
荒川放水路と隅田川に挟まれた島のような中洲の地に、鹿浜変電所があります。
鹿浜変電所から出ている送電線が、志茂町線になります。
この子も跨ぎ君だったので、結界を拝みに行かせていただきました。
どうでもいいですが、今回から跨ぎ鉄塔はマタギな一基として銘打とうと思います。
 
 
環七は鹿浜橋で荒川を渡り、鹿浜変電所が見えたら路地を左に入ると、小道を跨いだ鉄塔があります。
志茂町線No.4鉄塔です。
 
▲志茂町線No.4(1961/9,28.3m)
 
車も通れないような細い道を跨いでいます。
上写真でマンホールが見えますが、舗装が路地で分かれている辺り、暗渠でもあるのでしょうか。
昔の航空写真を見ても、この路地ははっきりとは確認できないのですが、地図で見ると路地は環七を渡り反対側までもまっすぐ伸びています。
恐らくですが、その昔は堀でもあって、暗渠化して埋め立て小道となったのではないかと推測できるような、そんな立地です。
 
▲小道上に立つ志茂町線No.4
 
高崎駅の近くにも高崎線という1960年代の4回線対応の矩形鉄塔があります。
あちらも用地の都合なのか、4回線鉄塔とした時に収まりがいいためか矩形鉄塔を何基か採用しています。
この志茂町線もこの次のNo.5も矩形鉄塔で、似た条件で同じ様な設計をされているようです。
 
▲民家があるためか昇塔防止措置は少し高め
 
後付けなのか各水平材のところにメッシュの素材を付けてグレイチングのような見た目になっています。
鳥も営巣しやすそうに見えてしまいますが、何か目的があって付けられているのでしょうか。

▲独特の形状だ
 
結界を拝ませて頂きます。
メッシュ材が張られているためきれいに頂部まで見ることはできませんが、M字状に構築されたアングル材の組み方など面白い画です。
 
▲志茂町線No.4の結界

手前のNo.3は道路に面し目立ちます。
こちらも面白いですね。
下に北清掃工場線を併架します。
碍子連が短く、22kV級でしょうか。
 
▲志茂町線No.3(1961/9,27m)
 
こちらも古めかしいですが、ケーブルヘッド周りの取り回しが独特で、面白いです。 
領家線もですが、66kVの下段にもっと電圧が低い線を収めてる鉄塔がこの辺りはちらほらありますね。
 
▲古参のドラキュラ
 
プレートに「上は」「下は」と親切な説明書きがありました。
初めて見るような気がします。
 
▲併架は北清掃工場線

あまりにも路地に馴染みすぎていて、民家が近く、撮影時も洗濯物を干されている住民の方に申し訳ないなと思いつつの記録でした。
そんな生活感に溢れた跨ぎ鉄塔。
まさに建て替えなくとも環境調和型な、志茂町線No.4でした。


 
〈参考〉
・一般社団法人日本海上起重技術協会 : 感電災害を防ぐために(pdf)
 
 
 
関東土木保安協会です。
さつきロードこと、宇都宮鹿沼道路の料金徴収期間が2026/3/18の0時をもって終了するとのことで、子供のころからお世話になった道路で、思い入れもあるため、記念に走り納めと記録に行ってきました。
 

 
宇都宮鹿沼道路は、1996年3月に供用開始された有料道路で、宇都宮市内の渋滞緩和などを目的に建設されました。
この区間を通過すると、宇都宮環状線の南部から東北自動車道鹿沼インターへのアクセスが非常に容易になるため、国と県が提唱する広域道路計画の一つとして位置づけられています。
道路としては国道121号線になります。
 

 
宇都宮環状線側から有料道路区間に進入してみます。
大きなさつきロードという有料道路の看板が目立ちます。
さつきは鹿沼の特産物で、いたるところにさつきの花が描かれていたりします。
 
料金所前後区間を見ると分かりますが、道路用地は4車線分あるのがわかります。
高架部の歩道と街灯が南側しかないのもこのためです。
 

 
料金所です。
平成初期の開業ですので、昭和の有料道路のように古めかしいことはありません。
保守作業と繁忙期を意識してか、5レーンもあります。
中央のみ両方向に対応し、残りの2レーンずつは片方向のみの専用となります。
 

 
さつきの花が描かれた立派な屋根です。
一度料金改定があり、普通車150円が160円になりました。
 

 
徴収期間ラストとなる今だけ掲げられている、無料化を案内する掲示。
ここの有料道路が無料化すると、あとは同公社が管理する有料道路は日光宇都宮道路のみとなります。
昔は県北に多くあったものですが、ほとんど徴収期間満了となりました。
 

 
これがさつきロードの管理舎で、栃木県道路公社の宇都宮管理所です。
ピンク色の現代的な建物でしたが、役目を終えます。
この後は解体されてしまうのでしょうか。
 

 
鹿沼側から見たところです。
この料金所の詰所の前後に、車両衝突から守るためのコンクリートの構造物がありますが、大型車が衝突しているような映像を見ると、重要だなと思います。
 
 

 
鹿沼側でも、幅員は4車線分ありますが、歩道整備は南側のみで、車線も2車線となっています。
この街灯も今となっては古めかしいですね。
 

 
自転車は20円でした。
今まで何十回と通過していますが、通過している人を見たことがありません。
 

 
鹿沼側に進むと、墓地があり工業団地へと進みます。
すぐに鹿沼インターが見えてきます。
10年ほど前でしょうか、コストコが壬生にできる前に栃木県内でも建設地の候補が複数上がっていたようですが、地元の噂でこの付近(流通センター付近)にできる可能性がある、など話を耳にしたことがあります。
結果、壬生に完成し、鹿沼のコストコの話は無くなりました。
ここにできていれば有料道路の通過車数にも影響したことでしょう。
 

 
最後に、お気をつけての看板があり、有料区間が終了します。
この少し西(写真奥)に、歩道の縁石がない区間がありますが、ちょうどその辺りに道路建設計画があり、流通センターに途中まで建設されている4車線道路が延伸する予定となっています。
まだ建設されていませんが、完成すれば流通センターから宇都宮環状線方面への利便性は高まりそうです。
 

 
完成から早30年、料金徴収お疲れさまでした。
料金所が無くなった頃にまた来たいと思います。
 
 
<参考>
・栃木県道路公社 : さつきロード
 
 
 
関東土木保安協会です。
西武池袋線の保谷駅の北東に、面白い鉄塔がありましたので行ってきました。
 
 
保谷駅から歩いて10分ほど。
大泉第六小学校のそばの練馬区立南大泉まんさく児童遊園に鉄塔はありました。
彼は吉武線No.8-1。
66kVの2回線です。
ハイフン付きの所謂「のいち」鉄塔で、見ての通り引き下ろし鉄塔の新設で割り入れたのでしょう。
吉武はよしたけ?何の地名?と思ったのですが、ルートが吉祥寺~武蔵野と変電所を結ぶため、そんな捻りはなく「きちむ」線というようです。
 
▲モノポールの下に蔵風の建屋がある
 
吉武線の上には北多摩線があります。
塔間に割り入れた鉄塔は、下段の送電線のみ支持すると架空地線が不要となるため、頭を切られたような面白い形状になります。
この吉武線No.8-1も、最上段の腕金より先端が無い、面白い形状をしています。
 
▲吉武線No.8-1(1996/5,31m)
 
この反対側を覗いてみると、立派な点検床が設置されており、違う顔つきになっていました。
これもまた面白いですね。
 
欲を言うと、後で触れますがその蔵風の建屋と装いを合わせるならクリームでなくて白ではないか?と思いますが、昨今の環境調和型は白に塗り替えられていたり白で竣工しているイメージがありますので、これも次回の塗装時に塗り替えられてしまうかもしれません。
 
▲若番側に点検床のデッキを張り出す
 
引きで見てみると架空地線無しのその異形ぶりがよくわかりますね。
モノポールということもあり、塔間に申し訳なさそうにスーッと入ってきた塔のような、そんな印象すらあります。
80年代くらいの航空写真を見ると、元々この地は空き地だったようで、住宅地が造成された際にこの鉄塔も建設されたようです。
 
▲北多摩線No.119(1987/4,52m)
 
さて、引き下ろし鉄塔ですから何かあるでしょう、と思ってこの子の足元を見ると、先ほどの蔵風の建屋があります。
まんさく児童遊園の敷地内の一角に、建屋と共に集められています。
 
▲公園の一角に蔵とモノポールがコンパクトに収まる
 
入口には「西大泉変電所」とあり、なるほど変電所のカモフラージュ施設だったのですね。
いつもの東電様式の変電所プレートが光っていました。
そういえば、引き下ろした送電線の名称が読み取れてません。
通常ですと「西大泉線」なのでしょうが、どうでしょうか。
 
▲蔵型の建物は西大泉変電所だった
 
それにしても、所謂環境調和型ということで、鉄塔から建屋から毒々しい無機質感を消すのに必死ですが、この建屋は外構の舗装も升状の目地が切ってあるような意匠ですし、屋根は瓦風、下半分は菱模様で蔵風ですし、本当にお金をかけて立派に作られています。
バブルがはじけたものの、まだ平成に入って凝った環境調和があちこちで作られていた時代のものだなあと感じます。
今後も大事にされるといいな、と思ったりします。
 
▲保守用車両の駐車区画まで綺麗に整備
 
ところで、蔵風の建物は変電所だったんですね、で終わるわけが無いんですね。
なんせ、これだけが変電所ですってのは無理な話で、どうやったって現代のGISをもってしても、66kVを引き込んで変圧器まで収めるなど、このハコだけでは到底無理だというのは明らかです。
 
▲蔵風の建屋の茶色部分はルーバーだ
 
そこで引きで公園敷地をもう一度見てみます。
写真左側の公園の対角に、同じ意匠の建屋があるではないですか。
そして隅には東電杭。
ひょっとして変電所はこの公園の地下に収まっているのではないでしょうか?
 
▲公園を俯瞰すると、写真左側にも似たような蔵が
 
地下変電所というと、ビルの下や、変わったところでは寺院の下などにあり、一部では都市伝説のように奇怪な物として騒がれています。とはいっても結構あるものです。
ここも例外ではないようで、公園の敷地が丁度配電用変電所の敷地分くらいはありそうな点と、鉄塔脇の建屋に入口があるほか、もう一か所ルーバー付きの建屋があるため、この2か所が出入口と外気送風機、排気送風機などの通気口となっているのではないかと思われます。
地下でも換気設備は必要なので、その地上部分になるのかなと思います。
恐らく、需要増加などで変電所を新設することになったものの、適当な候補地がなく、送電線直下の宅地分譲する一角について、地上部を公園、地下部を変電所として周辺住民に配慮する形で建設したものではないかと推測します。
そのため、カモフラージュも丁寧で、蔵風の建屋でお洒落なイメージを持たせ、鉄塔は場所の狭隘さからモノポールの環境調和鉄塔としたのでしょう。
 
▲こちらも同様の変電所付随施設であった
 
ここまで書いたものの、気になるのがその設備をどうやって入れて、どうやって更新時するのか?という話です。
大抵の地下施設は搬入口としてドライエリアなどを有していますが、ここはそれがありません。
つまり、都市部などである、竣工時に完全に搬入口が塞がれてしまった場所なのではないかと考えられます。
蔵風の建物はどちらも扉がない、あっても小さく、とても変圧器などを搬入出できる存在ではありません。
特高設備の設備更新は30年周期程度なので、恐らく竣工後30年などでこの公園を一度休園させ、その地下を掘り起こして設備を取り換えるような運用を想定しているのではないか?と思いますが、実際のところどうでしょうか。
何せ、鉄塔のプレートからそろそろ30年で変電所設備に大きなメスが入っても良さそうですが、もし工事がされるとすれば、この後この地は囲われたりするはずです。
どなたか、真実を知っている方はきっと、それは違う、だいたい合っている、など答えを持たれているかと思いますが笑。
 
 
都市の隠れたインフラ構造物は、その内側がどうなっているかわからないものの、それを想像する楽しみがあります。
吉武線No.8-1鉄塔とその周辺。
彼らはその存在そのものだよな、と思うのでした。
これだからインフラ設備はやめられません。
 
 
 
〈参考〉
 
 

関東土木保安協会です。

前回は小山駅南方の間々田-小山線の鉄塔跡について触れましたが、その少し南方では怪しい鉄塔が確認できました。
この記事を見られている変態な方々なら、一目でわかるであろうその怪しい鉄塔。
こちら、その間々田-小山線の併架痕跡を残す鉄塔です。


彼の名は国際電々小山線No.3。
小山市の希望ヶ丘公園内に立地しています。
国際電電は国際電信電話、すなわちKDDです。今はKDDIですね。
名前が需要家そのもの、かつその旧称で残っている貴重な送電線です。(実際の正式名称は更新されているのかもしれませんが)
謎に首長のその外観。
嵩上げ?いやそうではありません。

▲国際電々小山線No.3(1982.7,42m)

よく見ると3組の腕金を取り外した跡が確認できます。
2回線にしては少し高さが足りないこの空間。
その点も1回線の支持だったであろう痕跡です。

▲2回線とベンド点の間に不自然な間がある

向かって左上に1相、下段に2相。
1回線送電線のあの姿が浮かび上がってきます。
そういえば前に行った小北線No.80もそんな鉄塔でした。


あちらは腕金が残っていました。
併架時代はそのNo.80のようなイメージで腕金がついていたのでしょう。

▲1回線分の腕金跡が確認できる

この少し南に、広大な敷地を有するKDDIの小山ネットワークセンターがあります。
これが、旧KDDが設置した小山国際通信センターで、元々は国際通信や船舶との短波通信を行う施設として運用されていたようです。
建設した日総建のサイトによると1984年6月に竣工したとあります(文末リンク)。
送電線のプレートも2年違いくらいで記録があるため、小山国際通信センターの開設に合わせて運開となった送電線のようです。

▲公園から老番方を望む。送電先施設の電波塔が見える

凄いですよね。「国際電々小山線」。
国際電信電話なんて最早存在しないのですが、送電線にはその名が残り続けてるようです。
そういえば同じくKDD→KDDIの八俣送信所もそうでした。
あそこも国際電々八俣線だった気がします。

▲プレート

鉄塔は東電の鉄塔として建設されたようで、フェンスは緑色のお馴染みのもの、掲示物は今はオウム君の注意喚起が設置され、東電鉄塔としか思えません。
昔は国鉄/JRプレートもあったのでしょうか。

▲鉄塔下部の様子

それにしても、公園内には野球グラウンドがあるせいか、フェンス内には野球のボールが何個も落ちていました。
拾うにせよ電力会社へ連絡して日時を合わせて拾得となるので、それは誰も連絡もせず放置、となるのもよくわかります。

▲ボールがいっぱいだ!

鉄塔によっては、主材の線路名の記載箇所辺りに「国鉄」とかあるものもあったりするのですが、この鉄塔は痕跡は何もありませんでした。

▲1回線の併架があまり無いので目立つ

よく見ると腕金撤去箇所のアングル材はカーブしていますが、間々田-小山線のルート跡的にはこの鉄塔に対して斜めに交差していたようで、下写真で言うと左手前方向から右奥方向へ流れていたようです。

▲国鉄プレートなどは無いようだ

送電線のルート跡を追うと、交差跡の箇所でお互いに苦労したであろう痕跡を見ることができ面白いですが、このように同一支持物であると片側が撤去されると不自然な形状になったりします。
また、その鉄塔自体がそれほど古くなく問題もない場合はそのまま建ち続けることになります。
小北線No.80といい、この鉄塔といい、ロマンがあっていいですね。
このまま残り続けてほしいものです。


〈参考〉






関東土木保安協会です。

旧国鉄送電線の遺構ですが、前に触れた間々田-小山線の区間を少し北上すると、まだまだ痕跡が残っていましたので、現地を記録してきました。


栃木県小山市の西城南町。駅の南側にある住宅地です。
旧国鉄自社線も東電化して30年は経つであろうに、街路を整備してしまうと簡単にはその痕跡を消せないようです。


ファッションセンターしまむら城南店の近傍にあるこちらの空間。
見る人が見たらまさにそれとわかる、鉄塔跡になります。
例に漏れずゴミステーションが設置されています。

▲鉄塔跡。道路が一方通行となる

この送電線は1950年代後期に竣工したので、住宅地はその後からこの地に整備されています。
他の同じような場所と同様に、鉄塔と電線高が低いため、その線下は分譲地にできないため道路とし、鉄塔の設置箇所では敷地を挟み込むように道路を設けています。
道路は幅員を狭くするも、鉄塔の両側を道路として各々一方通行にしたため、車両はすれ違いできます。

▲鉄塔跡の先には、道路とその奥にもう1基の鉄塔跡が続く

この送電線の他の鉄塔と比較し、十分根開きは大きいように見えるため、この宅地開発に際して同時に建て替え・ルート変更も行われていたのかもしれません。

▲中央はここ数年で花壇になったようだ

基礎の4脚の跡とおぼしき箇所の防草シートには切り欠きのようなものがあり、以前は切断部分が露出していたようです。

▲基礎とおぼしき埋設地点は、四角形の切り欠きが確認できた

ここから2スパン分、きれいな直線を描いて北に送電線が向かっていたようです。
まっすぐに延びる道路を追うと、また鉄塔跡の空間が現れます。

▲第2の地点全景

こちらも両側が1台分の幅員の道路になっていました。
基礎のブロックが露出し、鉄塔跡らしい佇まいです。

▲こちらは基礎がむき出しになっている

敷地の脇には例に漏れずにゴミステーションが置いてありました。
ゴミステーション。
普通に道路に置こうにも、道幅を狭めますし、かといって分譲時にそれを見越した切り欠きがある区割りで販売してしまうのも、売れ残りを見るとその区画だったりと、避けられる存在です。
鉄塔直下のデッドスペースを住民で共用するスペースにするというのは、そこまでの距離の差異があれど、対象がゴミステーションなどという避けられるものであれば公平で平等であり、改めて最適解になるのだろうな、と思うところです。

▲お約束のゴミステーション

こちらは境界杭も元気に残っていました。
もちろん国鉄マーク入りです。
主材はコンクリートのところでほぼ残らずきれいに切断されています。

▲国鉄境界杭も健在だ

第3の地点です。
こちらは送電線方向とは90度ずれた方向に長い空地を持つ鉄塔跡です。
丁字路なのでこうなったのでしょう。
やはり道路方向には標識を掲示し分離帯のようになっていることをアピールしています。

▲第3の地点全景

ここまで来るとお約束よりかは様式美とすら映る、ゴミステーションです。
もちろん設置されていました。

▲様式美にすら映るゴミステーション

こちらもしっかりと境界杭が残っており、国鉄線の鉄塔跡らしさが残っています。
鉄塔は基礎手前で溶断されています。

▲境界杭も元気だ

いたずらされたのか、境界杭1本は抜かれてしまっていました。

▲抜かれた境界杭

さて、道路にしっかりと残る鉄塔跡はこの3ヵ所くらいなのですが、第3の地点の北方でちょうど国道50号線を越えた先に、もう1ヵ所鉄塔の痕跡が残っている場所があったので、ご紹介します。
へトイザらス/ベビーザらス小山店のとなりにある食事屋さんの駐車場になります。

▲第4の地点全景

こちらにはしっかりと敷地に斜めに鉄塔跡があるのが確認できました。
鉄塔敷地だけ、コンクリート仕上げとなっており、色が違います。
また基礎の4脚も、周囲のフェンスの跡も確認できました。
普通に駐車線が引かれているため、言われなければ普通の人は気付かないかもしれないですね。

▲フェンスの金物と主柱基礎とが切断されたまま残る

この区間は90年代前半~中頃には東電化していたはずですので、撤去後30年くらいは経過していると思います。
四半世紀経過してもまだまだ残る痕跡。
鉄塔ファンの探索心をこれからもくすぐってくれるでしょう。






関東土木保安協会です。
懐かしの外観を保つチェーン店舗の記録、今回はケンタッキーフライドチキンの店舗です。
立派な大屋根を持つ貴重なオールドケンタッキーの店舗、それでは見ていきましょう。


群馬県伊勢崎市。
市役所の近くにあるのがケンタッキーフライドチキン伊勢崎店です。
交差点の角にある三角の大屋根。目立ちますね。
この赤白のゼブラ模様がケンタッキーのアイコンです。
世界各国のケンタッキーでも似たような店舗が建設されていた、そんな様式です。
マックもそうですが流行りのコンテナハウスみたいなへ平屋根の店舗じゃない、これがケンタッキーなんです!とか思います。
ミスタードーナツのように○○号店舗など決まっているのでしょうか。

▲ケンタッキーフライドチキン伊勢崎店外観

ここもいつくらいにできたのでしょうか。
ドライブスルーも併設で立派な構えです。
80年代後期くらいなのでしょうか。
写真のように、車がすこしレーンに並ぶと車列が車道にはみ出ます。
旧態的なドライブスルーです。

▲今泉町二丁目交差点の角に位置する

開店当時からあるであろう大きな針葉樹。
店舗に覆い被さるように育っています。
こういう樹木を植える辺りも、今はファストフードの店舗なんて適当に芝生なんかで緑化して終わりなんだろうなと思うところで、やはりお金がかかってる当時の店舗そのもので、良いですね。
剪定費用だってかかるので維持費に乗っかってくるのでしょうから。

▲建設当時からあるであろう樹木が大きく育っている

大通り側から正面を見ます。
ケンタッキーのロゴなどは新しくなり、現代的な装いにはなりましたが、大きい紅白の三角屋根、ドライブスルーの立派な庇、レンガ敷きのドライブスルーレーンなど、往年の立派なファストフード店舗のその物が随所に感じられ、風格ある佇まいです。

▲紅白の縞模様の大屋根が健在だ!

大屋根から続くドライブスルーの受渡口。
車寄せのように屋根続きのデザインです。
それにしても柱がついてピロティー形式とはまた立派な作りです。
庇を張り出して終わり、とかそういう次元じゃないんですよ。
車が2列になれるくらい広いんです。
今じゃ絶対建てないでしょうし、いや建てられない店舗です。かっこいい。

▲ドライブスルーの受渡口まで張り出した庇

屋根上の風見鶏。
キューポラの上に設置されており、また一つ二つ捻りが入ってて、凝ってるんですよね。
ちゃんと塗装までされて、維持されています。
見れば見るほど、これぞザ・ケンタッキー!と言いたくなるような店舗です。

▲キューポラと風見鶏

ところでこんな立派な屋根上の装飾は、他にもリンガーハットやすき家でありますね。
あちらも新型店舗は簡略化してあったりと減少傾向のはずで、記録せねば、と思います。

▲塗り分けもしっかりとされ、飾りにも抜かりがない

それでは店内に入りましょう。
食べて行ける時間がないのでテイクアウトをオーダーします。
そして待ち時間に店内を観察してみましょう。
テーブルと椅子類は新しいものに置き換わっているようですが、往年の雰囲気を漂わせる、落ち着いた内装です。

▲店内。テーブルと椅子は新しいようだ

これですよこれ。
六角形の天井の切り抜きにカーネルサンダースのバーレルのシャンデリア。
昔の店舗では多かったのでしょうか。私の記憶では初めて見ました。
むちゃくちゃかっこいいですね。
本当に外装であれだけ惚れ惚れしたあとにこんなのがあるから、感動が止まりません。

▲旧ロゴのシャンデリアだ!

店内はタイル張りなんですね。
石っぽくて冷たい感じなのかと思えますが、その重厚な雰囲気で優しく包んでくれます。
お金、かかってます((涙))

▲今の店舗にはない重厚感だ

トイレも利用しましたが、またタイル張りで立派なものでした。
今のプレハブな店舗の方が、トイレだって新しいしいいものが入ってますし、モバイルの充電もできますし、綺麗で便利なものなんですが、こういう古い贅沢な店舗に入ってしまうと、その全てがどうでもよくなってしまいます。

▲タイル張りの豪華な内装が一気にタイムスリップさせてくれる

お正月に伺ったので、店内には可愛らしい時節の装飾がされていましたよ。



マクドナルドと並び、ケンタッキーも今は四角い箱状の店舗が主流となりましたが、まだまだこのような三角屋根の店舗が残っていて、しかもリニューアルはしたにせよ当時の雰囲気が残っているのは嬉しい限りです。
いつかこの写真が過去のものとなる日が来るのか、そんな日がこないでほしいと思ってしまう、そんなケンタッキー伊勢崎店です。

なお群馬県内はこのような店舗が比較的残っているようで、この伊勢崎店の近くで高前バイパス店、高崎小鳥店と2店舗もあるようです。
往年の雰囲気を楽しみたい方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。


 
2026年もよろしくお願いします。
関東土木保安協会です。
 
埼玉県は久喜市菖蒲町。国道122号線の近くに、とても高いアンテナが2基立っています。NHKの菖蒲久喜ラジオ放送所です。
その姿は遠くからも見ることができ、先端についている白色航空障害灯のフラッシュを目にされた方も多いかと思います。
2025年は日本のラジオ放送開始100周年という記念すべき年でもありますが、菖蒲久喜ラジオ放送所がある久喜市では、郷土資料館にて「第15回特別展 昭和100年・放送100年記念 昭和ラジオテレビ物語~「鉄塔」のあるまち久喜~」を開催しています。
今回はこの企画展の展示などを元に、ゆっくりと外周をお散歩してみようと思います。
 
 
NHK菖蒲久喜ラジオ放送所。
建設当時は久喜市と菖蒲町、2つの市町を跨ぐ敷地でした。
双方の地の名をとって菖蒲久喜なんですね。今は菖蒲町も久喜市に合併しています。
当時から知名度と市町規模でも久喜が勝ってたはずなのですが、名前では先に菖蒲が来ますね。
菖蒲町の方が多く敷地面積を占めていたので、久喜菖蒲放送所とはならなかったのでしょう。
 
ここの役割は大きく分けて3つあり、ラジオの送信所、地上デジタル放送の中継局、衛星放送の地上局です。
最も目立つのが背の高い2本の鉄塔で、これがラジオ送信所用の鉄塔です。
この鉄塔らがこの放送所ができる起源となるのですが、まずこの放送所ができるまでの歴史を簡単に振り返ってみます。
 
▲NHK菖蒲久喜ラジオ放送所全景
 
20世紀に入ると、世界各地でラジオ放送の普及が始まります。
その波に乗る日本も、1925年に東京都の芝浦にて国内初のラジオ放送を800kHzで開始します。
芝浦は仮放送所であったため、すぐに現在のNHK放送博物館がある愛宕山からの放送に切り替えられました。このときの出力は1kWでした。
僅か3年後には受信エリアを広げるため放送所を川口市新郷へ移転させ870kHz、10kWの送信に増強、既存の愛宕山では800kHzで第2放送も開始しました。
1938年には、これら第1第2の2放送について放送所が移転し、埼玉県の川口市の上青木と芝川を挟んで対岸の鳩ケ谷市の里に移ることになりました。
これらは川口放送所と鳩ヶ谷放送所と呼ばれ、出力は川口のNHK第1が300kW、鳩ケ谷の第2が100kWとなり、川口の方は当時日本一となる高さ310mの鉄塔を有しました。
NHKはこれら鉄塔で関東一円へラジオを放送することになりました。
場所ですが、川口が現在のSKIPシティ、鳩ケ谷が鳩ヶ谷高校の場所にありました。双方とも区割りや残る遊休地などに今もうっすらとその痕跡が伺えます。
 
▲NHKラジオ第1放送所鉄塔(300kW,245m)。奧の鉄塔は第2放送所だ。
 
戦後、ラジオの世界的な発展と普及は混信などの問題を引き起こし、1975年には各国が加盟する国際電気通信連合が解決策として各国の周波数・送信出力の再割り当てについて協議し、国際的な合意が図られました。
これを受け、NHK中波ラジオ放送は周波数と送信出力の変更を行うこととなります。
送信出力は増強の方向となるのですが、川口、鳩ヶ谷の両放送所とも、周辺での市街化が進み、増強のための敷地の拡大は不可能で、NHKは代替地を探すこととなります。
このなかで候補地となったのが久喜市と菖蒲町で、1978年以降放送所移転の調整が県とともに進められ、建設に至りました。
1982年にはNHKラジオ第1放送が、1983年にはNHKラジオ第2放送が放送を開始して今に至ります。
 
▲第1送信所建屋。放送機が収容されている
 
ところで、現地を見ていると、何故この地が候補地として選ばれたか?という疑問が生まれます。
この件も今回の久喜市立郷土資料館の企画展で説明がされていました。
1979年にNHKが当時の郵政省に出した資料によると、以下4点のす選定理由を挙げていたようです。
 
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①首都圏を含む関東一円の電波サービス向上のため、関東地方の中心部に近く、かつ首都圏中心地より40~50kmの範囲にあること。
②国際協定で定められた登録地点より協定で許容された移動可能範囲(東経139°25'、北緯36°05'の地点を中心に半径20kmの円内)にあること。
③電波管理委員会規則の「放送局の開設の根本基準」に適合すること。
 「放送局の開設の根本基準」によれば、放送局のブランケットエリア内の世帯数はサービスエリア内世帯数の0.1%以下であり、かつ空中線鉄塔等が航空の安全、その他生命財産の安全に支障を与えない場所でなければならない。
④効率的に電波を発射するための地形、地勢、地質および敷地面積であること。
 効率よく電波を発射するためには、放送所の設置場所は平野部にあり、かつ周辺部も含めて土地の誘電率が高いことが必要となる。従って山岳地、岩地などは好ましくない。
 なお、第1、第2空中線の相互干渉、効率低下を防ぐために、両空中線の間隔は500mを必要とする。
 また、効率的に電波を発射するためのアース用地は第1放送用約12ha、第2放送用約19haである。
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②について、この緯度経度を入力すると熊谷市の東松山寄りの地点が合致するのですが、ちょうど現放送所はそこから19km弱の距離なので、ぎりぎり範囲内といったところのようです。
①でエリアはだいたい絞られますが、④では丘陵地などもNGでしょうから、それこそ熊谷の辺りでも良さそうに思えますが、水害リスクなどを考慮すると、利根川・荒川の中間くらいの菖蒲がちょうどよかったのかとも思えます。
ちなみに、菖蒲という地名の名の通り、この一帯は沼や水田が多かったようで、今でも放送所周辺では大雨が降ると湿地帯のような景色があちこちで広がります。山岳地や岩地などとはまるで対照的な土地なんですね。
 
▲鉄塔基礎付近。大地と絶縁されている
 
ラジオ送信は、アンテナから電波を発射して送信します。
この紅白の高い鉄塔自身がアンテナとなります。
理科や物理の話で、電線などに電流を流すとその周囲に磁界ができます。
「右ねじの法則」など、物理で履修した単語が頭に残っているかと思います。
この右ねじ(右手)をアンテナ、親指の先をアンテナの頭頂部と例えるとして、アンテナに電流を流すと、磁界が鉄塔を反時計回りで囲むのがわかります。
この磁界からまた同様に水平方向に電界が広がり、その電界が水平方向に磁界を生み・・・と水平方向に伝搬していくのが電波です。
このイメージで鉄塔を見てみると、アンテナ(鉄塔)以外からも電流が流れると、電波が乱れてしまうのが想像できるかと思います。
鉄塔とその鉄塔を支える支線のケーブルも何本もありますが、これらはしっかりと大地と絶縁されて、アンテナからだけ電波が飛ぶように設計されています。
 
▲NHKラジオ第2放送所鉄塔(500kW,215m)
 
鉄塔の高さについても理由があります。
この理由となるのが電波の周波数と波長の関係とのことで、電波には波長×周波数=光速(≒約3億)という法則が成り立っています。
ラジオには周波数がありますが、この法則を使うと例えば1000kHzの周波数のラジオ放送局があったとしたら、その電波の波長は300,000,000/1,000,000となり、およそ300mになります。
この波長をNHKのラジオ第1放送と第2放送とで出してみます。
ラジオ第1放送:594kHz → 505m
ラジオ第2放送:693kHz → 433m
となります。
その上で、電波を飛ばすアンテナの効率から、アンテナ長は半波長の長さが適しているということを考慮し、この長さを半分にします。
ラジオ第1放送:505/2=253m(第1放送所鉄塔高245m)
ラジオ第2放送:433/2=217m(第2放送所鉄塔高215m)
だいたい鉄塔の高さに近い値になることがわかります。
鉄塔の高さも、それに伴う送信所の敷地も、こういう理由により設計されているのがわかります。
基地局などの鉄塔ならまだ容易に建てられますが、放送所はこれだけの設備を構築するわけですから、ラジオの周波数なども容易に決めていいわけがありません。
混信などの悪影響が国際的に生じてしまうため、国家を跨いだ協議が求められるという事情がよく分かります。
ところで、この頭頂部に円形状の鉄構がありますが、これは頂部容量冠というようです。
等価的に長さを調節できる働きがあるとのことで、このようなラジオ用の鉄塔に設置されています。
 
▲鉄塔先端の頂部容量冠
 
このラジオ放送所だけで、全世帯数の40%をカバーするというのだから驚きです。
福島県から愛知県まで、2100万世帯がサービスエリアとなるとのことで、そのカバー率の大きさを知ることができます。
電波というと何か誤動作やトラブルなど、目に見えないところで影響がありそうな印象を持たれる方もいるかもしれません。
これだけ大きい放送所ですから、やはり竣工時はクレームもあったようで、近隣住民のビデオデッキに混信してしまったり、針金の金属部の接触点からラジオの音が聞こえる、電車のドアの開閉がうまくいかない、など現地の技術者らが対応し苦労したという話があるようです。
ちなみに、工事着工に関しては大きな反対運動などはなく、もともと工業用地で整備しようとした土地のため、住民らの理解を得て大きなトラブルなく工事が進んだようです。
 
▲鉄塔の支線。こちらも全て大地と絶縁されている
 
第1放送所、第2放送所とも、放送機は冗長化されており、万が一故障があった場合は予備系統に自動で切り替わり、電波の停波がないような設計がされています。
うち、第2放送所については、送信機の一部が第1放送の周波数にて運用できるため、第1放送所の放送機の夜間のメンテナンス時などはこちらを使って第1放送を流すようです。
また、これら第1,第2放送所の電波が万が一停止した場合、瞬時にさいたま市桜区の荒川沿いにある新開放送所が予備放送所となっており、ここから遅滞なく電波を送信するという体制になっています。
テレビよりも容易に受信できるラジオ放送は、有時にも重要な情報伝達手段となるため、これでもか!というくらいの盤石の設備設計で備えているのですね。
 
▲電波放射の観点から、敷地内には全面的にラジアルアースという銅線が埋設されている
 
ラジオですが、放送局にて映像が作られますが、この放送所にはもちろんその設備はありません。
そのため、第1、第2放送とも渋谷の放送センターなどから無線回線で受信します。
その無線回線を受信する電波塔も、敷地内に建っています。
マイクロ波のアンテナがものもしいですね。
 
▲第1放送用の受信用鉄塔
 
第2放送も独自の受信用鉄塔を持っているため、敷地内は電波塔もにぎやかです。
電波が同じ埼玉県の堂平山にある堂平山無線中継所のほか、スカイツリーなどからも受信しているとのことです。
 
▲第2放送用の受信用鉄塔
 
菖蒲久喜ラジオ放送所の2つ目の役割が、地上デジタル放送の中継局です。
民放5社と共同で使用するテレビ固定局を敷地北西に有しています。
見た目は同じようなマイクロ波用電波塔ですが、少し小柄です。
茨城県、群馬県、埼玉県向けに中継しているとのことです。
送受信の先がラジオ放送のそれと比べて、それほど高いところではないということなのでしょう。
 
▲地上波テレビ中継用の鉄塔
 
もう一つの役割が衛星放送の地球局設備です。
B-SAT社のアップリンクセンター菖蒲局というバックアップ設備となっています。
衛星放送(BS放送)は衛星から放送電波を受信しますが、この本局が渋谷にあり、渋谷の送信局が荒天などで電波を送信しにくい場合、こちらの菖蒲局に切り替えて送信することで放送衛星への安定した通信を担保しているようです。
ラジオ放送もそうですが、平時から有事まで、バックアップを常に考えられて放送設備が構築されていると感じます。
テレビを付ければ、ラジオのスイッチを入れれば、そこにすぐ放送が流れているわけですが、それを途絶えないようにするために並々ならぬインフラが備わっているんですね。
 
▲衛星放送の地球局となる、B-SAT社のアップリンクセンター菖蒲局設備
 
最後に、送信所南東に来ました。
これだけ重要な設備ですから、その電源の重要性も非常に高くなります。
敷地内には特高線2回線を引き込み、安定した商用電源の確保をしているようです。
名前もNHK菖蒲線、と送電線名でNHKが付いているのは、渋谷の放送局とここくらいではないでしょうか。
渋谷はわかりませんが、恐らく地中線で、規模から特高需要家なのでしょうから。
ところで、鉄塔のプレートが1983年の10月になっています。
この送信所の第1放送の放送開始が1982年ですから、恐らくですがこの送信所の運用開始に送電線が間に合っておらず、当初は高圧受電で運用を開始していたのかもしれませんね。
腕金も特徴的で、左側の腕金は余っていることから、建設当初と変電所の鉄構位置が異なるのかもしれません。
 
▲NHK菖蒲線(1983/10,26m)と特高受変電設備。66kVの2回線受電だ
 
さて、ここまで紹介してきましたが、残念なことにNHKは経営改善の観点からラジオ第1放送と第2放送を統合することを発表しています。
2025年11月28日には総務省がこの申請を受理し、ラジオ第2放送は2026年3月末をもって廃止となることが決定しています。
芝浦で始まってからの放送開始100年の年に、このような大きな転換がされるということが残念でもありますが、メディアの媒体やコンテンツが目まぐるしく移り変わる現代を考えれば、第2放送が開始されて95年も大きく変化がなかった方がむしろ長かったのかもしれません。
ここまで、送信所の立派な設備やその沿革に触れてきましたが、これはインフラ何にも言えますが、裏を返せば設備維持管理コストもとてもかかっているという事でもあります。
ラジオ廃止の名目が経営改善、言わばコスト削減ですから、これらのインフラも転用も残置もされる未来はあまり考えられないでしょう。

▲ラジオ放送の裏方の鉄塔。役割も大きさも大きく異なる
 
日本最大級のラジオ送信所、菖蒲久喜ラジオ送信所。
間もなく訪れる停波という節目は、半世紀近く続いたツインタワーの歴史を変えるのでしょうか。
「鉄塔のあるまち久喜」の風景は、大きく変わるかもしれません。

 
〈参考〉
・NHK菖蒲久喜ラジオ送信所パンフレット
 

 

 
 
 
・アンテナタワー千一夜 (北沢幸浩著・創樹社)
 
 

 

地震があると鉄塔が心配です。

関東土木保安協会です。

 

千葉県野田市。

東武野田線、、ではなかったですね失礼しました、東武アーバンパークラインに乗車中、東側の車窓に変わった鉄塔が見えました。

地図を見ると関東地方整備局江戸川河川事務所の文字。

国交省案件です。これは足を運ばずにはいられません。

さあ行ってみましょう。

 
 
東武アーバンパークラインの愛宕駅。
最近の複線化事業や沿線開発の流れか、綺麗になっている駅が多いように感じるアーバンパークライン。
この愛宕駅も立派な高架駅になっていました。
そのホームから東側を見ると、奥に紅白の立派な鉄塔が見えました。
にぎやかなマイクロ波アンテナ。
うーんジュテーム国交省。
 
▲愛宕駅から東側を見ると紅白の鉄塔が目立つ
 
国土交通省関東地方整備局。
首都東京とその周囲を囲む神奈川・埼玉・千葉の一都三県。
それら関東地方の繁栄に寄与した大きな河川らと共存共栄するため、利根川・荒川をはじめ、この江戸川にも河川事務所が設けられています。
 
▲国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所
 
電波塔を近くで拝んでみます。
アンテナ山盛りの電波塔。
鋼管柱の鉄塔に分類されるでしょうか。
昼間障害標識で7等分された一般的な色合いながら、塔先端が斜めにカットされた形状で、かつ下部には四方に円筒形の構造物が設けられ、塔本体と接続されまるでロケットのようです。
 
▲独特な形状の電波塔
 
国交省の2014年頃の無線ルートの資料を見るに、この電波塔も江戸川4方向の幹線ルートの中継局になっているため、そもそもアンテナが多い重要拠点なのですが、さらに江戸川系の各施設などとの連絡用にアンテナを有すのか、賑やかなアンテナ周りの様相です。
このご時世アンテナ山盛りで魅せてくれるのは国交省か防衛省しかありません。
うーんかっこいい。素晴らしい。
 
▲アンテナが盛り沢山
 
導波管は2つの建物から接続されていました。
これだけアンテナがあれば納得します。
 
▲導波管のケーブルラックが二方向から接続されている
 
実は、この鉄塔には何か由来があるのではないかということで、江戸川河川事務所の方に電話でお話を伺ったのですが、「20年位前からあります。珍しい形状なのですが由来はすぐにわかりません」ということで回答をいただき、結局何のルーツでこんな凝った形の特殊な電波塔を建設したかわかりませんでした。
通常でしたら、鋼管トラスの鉄塔を建てて終わっているでしょうから、何かこの鉄塔にした想いや設計者の思想などあると思うんですよね。
ランドマークですから、出さないと勿体ないですよ(笑)。
 
▲丸い窓と四方の筒型の構造物がロケットを連想させる
 
ただ、公式サイトでは「ムラサキに変身する赤い鉄塔」(文末リンク参照)としてこの電波塔の紹介をしていました。
野田市名産の醤油とかけて「ムラサキに変身」などと書かれているあたり洒落も利いていて素敵なエピソードなのですが、どうもこの斜めに切られた円筒とは関連が思い当たらず、ロケットの形状とも結びつかないため、本当の由来についてはよくわかりません。
夜の鉄塔までは拝めてないですが、鉄塔には塔体各所に照明器具が見られ、夜間のライトアップの様子も伺えました。
 
▲照明設備が設けられている
 
ところで「かれこれ20年位前からある」という旨の話を職員さんがされていたのですが、皆さんお察しの通り、実はこの鉄塔建て替えられたものらしいのです。
この鉄塔を建設した鉄塔メーカーのサイトにこの先代の鉄塔らしき紹介がされているのを見たことがあります。
(現在は掲載されているか不明)
それはアングル材を用いた尖った形の凝った鉄塔だったのですが、そのエピソードもこの鉄塔が特殊な形状で建設されている理由の一つの背景ではないか?とも思います。
ただ形が統一されていないので、何かのオマージュというよりかは、所長の趣味で凝ったものを、、といったところなのでしょうか(そんなもので鉄塔の形をがらっと変えることができるものか怪しいところですが)。
 
▲関東平野らしく周囲には何もなく目立っている
 
何だろうなこの形は、と疑問を抱きつつ帰路についていると、愛宕駅から河川事務所までの歩道にある野田中央商店街の街灯下部のデザインが、鉄塔の先端と似ていることに気づきました。
この形、よくよく見ると竹を斜めに割ったような、竹取物語でもイメージしているような形状で、もしやこれは竹を割った形なのだろうか?と思えてきました。
 
▲野田中央商店街の街灯と並ばせてみる
 
ふと道路脇の個人経営をされている店舗にその話をしたところ、「竹取物語などの縁があるかはわからないが、近くの愛宕神社にかぐや姫を描いたような彫刻がある」「昔愛宕神社のお祭りで竹を割ったところにろうそくを灯したものを出していたかもしれない」などといった話を聞くことができました。
真偽はさておき、愛宕神社に行ってみましたが、何も掴めぬまま駅へと戻りました。
わかる人によると社殿裏手の彫刻にそのようなものがあるようですが、神社として、また周辺の地域としてかぐや姫などを崇めたりアピールしている様子は確認できず、結局真相は闇の中となりました。
また、野田中央商店街や関連する組織にこの街灯のモチーフなどを伺ったのですが、由来などは何もわからないとの事でした。
残るは、市の図書館などで資料を漁るしかなさそうです。
 
▲街灯の下部の円筒を斜めに切ったデザインが鉄塔そっくりだが・・・

 

ロケットのような珍しい形状の鉄塔。

そして削ぎ落されたような斜めにカットされたロケットとは似つかぬ先端。

何が由来なのか。

他に類を見ない相当珍しい電波塔かと思います。

しかし、誰もその由来も何も知る人は見つかりませんでした。

 

現代では水防の要として注目されることも多くなった河川事務所ですから、ライトアップだけでなくその形自体をもう少し売り出してもいいのかなと思う鉄塔マニアが、最後大きなおせっかいで締めくくる、そんな記事でした。

どなたか、少しでも由来や理由などをご存じの方はコメントをお待ちしています。

 

 

 

 

<参考>
・国土交通省 関東地方整備局 江戸川河川事務所 : ムラサキに変身する赤い鉄塔

 

 

 

 

 

 

 

 
関東土木保安協会です。
ほぼ現地の写真を載せてるのですが、今回は珍しくスマートフォンの画面だけで1本まとまりました。
 
結構前に、SNSにて「山形空港の南側にある謎の高さ制限標識がある」というのを目にしました。
場所が下図なのですが、ちょうど指定した地点というアイコンがある場所になります。
ここ、最近書いていたブログ記事でふと気になったので追いかけてみたら、こういうことなんじゃないかと思ったので、備忘でまとめたというわけです。
 
以下、主要な画像はGoogleMapsの航空写真とストリートビュー機能から転載します。
 

▲山形空港周辺の航空写真。アイコンが当該箇所だ
 
この箇所の道路を南北から見てみます。
まず下写真が空港南側の道路、県道184号線なのですが、ちょうど滑走路の南を過ぎた辺りで標識が目に入ってきます。
「左折200m先高さ制限2.5m」という内容です。
 
▲山形県道184号線の標識
 
滑走路が見えるこんな草むらに高さ制限なんて、空港敷地を横切るアンダーパスでもあるのかな、とか思いますよね。
 
それでその左折箇所まで走ると、こんな感じです。
左右に並ぶ高さ制限2.5nの標識。多くは左側に1本ある程度ですから、左右に並んでいると結構本気感を受けますよね。
 

▲県道184号線の丁字路。高さ制限標識が並ぶ
 
右の標識にはこの先120mで2.5mの高さ制限と書いてあります。
ちょうど空港外周路のクランクの辺りになります。
といってもストリートビューですら何もないんですよね。
 

▲この先に2.5mの高さ制限があるという
 
少し走ったところがこちら。
右側に標識が1本現れます。
真面目に見てればこれで4本目の標識になります。
何としてもここに2.5mの高さ制限があると認識させたい、そんな道路なのですが、見たところ全く障害物も無いんです。
道路は地下にも高架にもいきません。
 

▲とどめの4本目の標識
 
さて何でだろうと思ったところで、今度は同じ空港外周路を北側から見てみます。
国道13号の山形空港前交差点から入る道路です。
こちらにも漏れなく「高さ制限2.5m」の標識がありました。
 

▲先ほどの道路の反対側にも高さ制限の標識がある
 
ここを進むとやはりもう1か所標識があり、クランク手前で「この先80mで規制あり」を主張してきます。
もちろん構造物などはありません。
 

▲空港外周路クランク部前後に何かある
 
これが山形空港南側の外周路に存在する謎の高さ制限なのですが、はじめは構造物もないので何の規制なのか想像もしませんでした。
ところが、先日から自衛隊の入間基地や下総基地の飛行場周辺の送電鉄塔の記事を書いていて、制限表面の話を思い出しました。
まさかと思って国土地理院の地図を見て制限表面を投影してみると、ちょうどクランクの箇所で進入表面(滑走路方向の傾斜がついた規制面)に触れているのが確認できました。
写真中央の十字がクランク部、その右にある直線の左側が進入表面です。
ちょうどクランク部が進入表面にかかっているのがわかります。
 

▲国土地理院地図に制限表面を投影したもの
 
こうなればあとは距離だけです。
およその算出にはなってしまいますが、滑走路端から直線で結んでみると160m程度でした。
これとは別に、上図の斜め線となる進入表面の距離を測定したところ、滑走路端から道路までは約100mでした。
およそ100m~150mですが、進入表面の勾配が1/50なので、50mで1mの高さ、つまり2.5m程度だとおおざっくりですが計算できます。
 

 
なるほど、なぜ何もない広大な空港敷地の周辺で無意味に高さ制限が生じるのか?と思ったら、鉄塔を調べていたので同じ制限表面によるものではないか?と気づいた次第です。
全く繋がらない無関係のようなものが、同じ法律に縛られていたのではないかと思うと、本当に構造物とそれを取り巻く関連法令は面白いなと思う次第です。
全国でもなかなか珍しいであろうこの道路上空の規制、ぜひとも現地で見てみたいものです。
 
 
<参考>
・国土交通省東京航空局:空港周辺における建物等設置の制限(制限表面)
 
 
 
 

こんなところで何を撮ってるんですか。あなたは誰なんですか。
あなたは誰ですかって?そうです、私が関東土木保安協会です。


埼玉県の水野線のドナウ型鉄塔区間を紹介しましたが、この他にも栃木県の栃山線など、全国には様々な制限表面に対応した設計の鉄塔を有する送電線が存在しています。


千葉県の柏市にある海上自衛隊の下総基地。
この近傍を通過する高柳沼南線もその一つです。
私も10年以上前に訪れた送電線でした。

今回、鉄塔カードにも掲載されることとなったので、その記念も兼ねて、また鉄塔カード鉄塔をそもそも記録していなかったので、再訪してきました。

高柳沼南線は高柳開閉所から新京葉変電所を結ぶ送電線で、66kVの4回線です。
両施設を直線的に結ぶと、ちょうど下総基地の真上を横切るようになってしまうため、基地北側を迂回するようなルートが選定されています。
この迂回箇所が特殊鉄塔が並ぶ区間になります。

▲半身紅白の高柳沼南線が滑走路近傍を進む

No.8までの鉄塔は、上部が紅白の障害標識仕様の四角鉄塔です。
No.9鉄塔では、同じ仕様なのですが航空障害灯が設置され、これまた顔つきが少し変わります。
どちらも飛行場周辺ならではの独特の仕様ですね。

▲滑走路西側の通常配列最終となるNo.9

そしてNo.10からの6基が、これぞ高柳沼南線というべき水平配列2回線の2段構成となり、横長で平べったい優雅な顔つきな特殊な鉄塔になります。
制限表面範囲内ではありますが、No.10はまだ進入表面にはかかっていないため、この先の鉄塔に備えて配列を変え高さも下げる準備をしています。

▲沼南高柳線No.10(1983/6,28m)

そしてNo.11から14まで続く4基は、進入表面上に位置しています。
これらが高さが最も低く、特徴的な鉄塔となります。
このうち、No.14については、2回線を周辺需要家向け分岐する引き下ろし鉄塔となっており、その特殊性を極めた一番の目玉といえるでしょう。

▲高柳沼南線No.14(1983/6,24m)

単に水平配列で2回線2段、それを高さ制限により24mの低さで設計している時点で十分特殊なのですが、ここに分岐を求めてしまったことで、手の届きそうなところに大きな架台が設置されてしまい、ワイドアンドローな重厚感ある仕上がりとなっています。

▲No.14だけは引き下ろし対応で重厚感が違う

わざわざこんな低い鉄塔に分岐をさせなくても良いと思ってしまうところ、このNo.14は目の前が道路で、地中線埋設に苦労しない立地であることが建設の理由なのでしょう。
今の状態でも2回線の2分岐ができそうですが、追加してもう1分岐を増やせそうにも見えます。
今は1つの需要家向けに分岐するのみですが、昔は最も多く分岐していたのでしょうか。

▲大きなステージで複数分岐ができる設計だ

この鉄塔は直下に獣道のような小道があり、周囲を歩くことができます。
手が届きそうなくらいの低さです。
ケーブルヘッドのステージはちょうど鉄塔敷地上に納まるかはみ出すかくらいの大きさです。

▲手が届きそうな低さだ

ここで、国土地理院地図に規制表面の投影と送電線のマッピングを行った図を見てみます。
黒線の囲まれた空間が規制表面で、赤い線が送電線、黄色い星が特殊設計の鉄塔6基です。
黒線のうち台形状に広がる斜め線が進入表面になりますが、両端の10,15はちょうどその外にあるのがわかります。
法の規制通りその区間で高さを守るように厳密な設計がされているのがよくわかります。

▲国土地理院地図に規制表面をマッピングしたもの

最後の老番側となるNo.15も、配列は同じながら少し高い鉄塔になっています。
何故この鉄塔だけは同じ形なのに高いのか。
何にもしっかり理由があるのだと改めて思います。

▲高柳沼南線No.15(1983/6,33m)

鉄塔の少し離れたところに東電の境界杭がありました。
どうやら杭と杭の間に挟まれた土地が東電の土地らしいです。
何でこんなところに?と思いますが、保守点検用の巡視路でも設けてあるのでしょうか。
接道の要件、それにしては少し短いような気がします。
よくわかりません。

▲道路で見つかった東電杭

ところで、前の記事のタイトルが「オラオラ飛び立つオライオン様のために」なんて名前でしたが、由来となった下総基地配備のP-3C哨戒機は当時から後継機の話がでていました。
今この空を飛ぶのは、新型のP-1哨戒機です。
この日も何機か飛んでいるのが見えました。


飛行機などの機械は移り替わっても、インフラは変わらないという、何回も見てきた光景をここでも見ることができました。



<参考>
・防衛省海上自衛隊 : 哨戒機「P-3C」