焦燥感に駆られて伝えたくなる
なんだか無性に言った方がいい気がする…





「この感覚は、なんだろう」
と、思った。


なんでわたしは
そんなことを言いたくなったのか。
とはいえ、
そのままそう言うのも何か違うようで
けれどじゃあ、何を感じていたのか。


何かを、感じていたのだ。



リアルさがウリのブログだが

奴に関しては!!!リアル名は書かないぞ( ^∀^)




Aさんも奴wも

神の使い手なら??

わたしに何を教えてくれている❓❓❓



そして。



すべて喜びなら。
わたしはそれを言いたいのか?

どうしたいのか。


それを言っても喜び。
言わなくても、喜びなら。

言う/言わない ですらなく
どう転んでもなんであれすべて✴︎喜びなら。


どうしたい?

そしてリフレインするヨナちゃんの言葉…
神に問う前に、自分に問うことが あるはずよ…!





ここにきて思い出したことがあった。

いや本当は、いつもわたしの胸の中にあった。
いつも、疑問だったことがあった。




わたしはそういう
焦燥感に駆られることがある。
今回のように「〇〇」と言いたい‼️と。

また別に、焦燥感でもなく
とにかく(≧∀≦)きゃ〜♡となって
「〇〇❣️」と伝えることもある。
言いたくなることがある。

聞かれたからには幾らでも答えよう‼️
という使命感みたいに燃える時もある。

ただの事実を別の言葉で
ただ思いついたから言い換えてみた🌟
こんな日本語にしてみたよ^^
みたいな時も、ある。



いろんなパターンがある。




そして
わたし、ではなくて。


特に、焦燥感や心配のような
今回のAさんと奴を見た時に
わたしがその気に駆られたように


「なんか、どうしても‼️
 言った方がいい気がして…!」

「どうしても💦
 言わないと収まりがつかなくて!」


みたいなことを、その中身を

わたしは、逆に、人に言われたことがあった。
(言われたというか、相手の様子に
 わたしがとりあえず言って、と言ったんだけど)
似たような状況を、わたしは体験していた。
それを、思い出した。



↑のカテゴリにまとめてある
サヨナラしたわたしの以前の心友
ももちゃんの時だ。





例えば。



trick(ドラマ)見ない方がいいよ‼︎

みんみ(←わたしのこと)はこう言われるの嫌かもしれないけど、ごめんなんだけど

わかるんだけど、私にも💦どうしてそう言いたいのかわからないんだけど…😭

でも、

何だかザワザワしてどうしても言いたくて




みたいな。

(他にもあったはずなんだけど、トリック鑑賞への意見として印象的過ぎて「ほーう、でも見たいしな〜」となって、この話を1番覚えてる🤣)







その時は、

わたしが嫌がるかも💦と躊躇う彼女が

それでも言いたそうだったので

聞いてから判断しようと

みんな聞いてみたのだった。



当時の彼女のブログを引用した、わたしの記事wより。



↑で彼女(ももちゃん)がその時1番

わたしにしたかったこと、言いたかったこと

(けれど上手く伝えられず、彼女自身が、多少違和感を感じていたようだったtrick等に関するわたしに対する内容が、微妙に出てきた感じ)



その後「このことか⁉️」と

明らかになった(と思った)ことがあった。



↑の記事の最後のあたりに書いているのだが



要は



    

我が家(関谷家・わたしは関谷美映)の危機を

救う為に、彼女は無性に何かに駆られていた



のでは❓ポーンという出来事があったのだ。

この時は「だからか〜!💡」と納得した。


言葉より、無意識領域のアプローチに

切り替えたももちゃんによって

救われたらしい⁉️流れ星そのようだ‼️

ありがとう〜!!!


と、


とてもスピリチュアル(目に見えない領域)

展開に、着地した。



けれども、その後

わたしは彼女の言葉が鼻につくという言い方をしたいのだけど言葉なので…耳に付くようになり、実はそれ以前から違和感があったりしていて






究極彼女が嫌いなわけでもなく

言葉にするのは彼女の自由だし

わたしはわたしの判断で

言葉を受け取るかどうかを

決めればいいだけなのに。

言われたから、離れたいような…


でも

言われなくても、離れたいような




そんな感覚を自覚した。



これってなんだ❓キョロキョロと、感じ探りつつ

関係性を見直すようになっていった。



リアルタイムに探っていた記事。

【聖女とのティータイム】には

丸々色々当時のリアルタイムで書いてあるぞ★




そして…



最初は言葉からの違和感が

気になったものの、究極彼女の存在は

別に言葉に左右されるものではなく





結局は言葉とか以上に

わたしはこれからは彼女とは関わらない。

サヨナラしよう。

と、なったのだった。






あの時は↑の記事に

感じたことを書けるだけ纏めたんだけど

でも、わたしはずっと気になっていた。



なんでだ?

と。まだ究極辿り着いてないな、と。

言葉にならなくても感じたナニカがあって

その答えは出すことにしていた。





究極、言葉のせいで

彼女とサヨナラしたわけじゃない。




けれど確かに




みんみは〇〇なんだよ

と、鼻についた言葉があった。


でも、


みんみなら出来るよ

と、背を押された、救われた言葉も

たくさんだったのに。


鋭い視点に感動したり

ボケにウケたりもしたのに。




まるでスピリチュアルな存在のようだった

彼女から湧く言葉…

お告げみたいなポロリやドバドバ。

見えない感覚での理解。

(↑わたし視点←重要。またここについても書く)


そして見えない感覚だけでなくて

物理的にも沢山超関わった。

手料理は最高だった←強調








焦りとか心配からの言葉ですらなくて



戯れに聞き流すようなノリの言葉すら

何故か本気で鼻につくところもあり


けれど、本当に戯れだったはずなのに。




わたしは、なんだかんだで

物理的に近くにいたり、

また時々会話したりするような…

そんな風に彼女と接して関わるのを

やめよう


となったのだよね。



わたしは「彼女と離れる」として、

究極彼女ではなく別の、わたし自身の何かを

辞めることにしたような。その判断を付けたような。






↑で、わたしが駆られて言いたくなったのって

ももちゃんの時に

疑問に思ったナニカに通じるもの

あるような気がした。




ももちゃんの時も

彼女が本気で突き動かされるように

言っているようなところを

わたしは感じていた。





とはいえ、突き動かされる感覚であっても



吟味して、最終的に

どうするのかは本人の判断だ。

そこに生きる姿勢が表れる。

と、わたしは思っている‼️



ママンと採りたてキュウリ🥒半分にして食べたよ♡





そんな風に

ももちゃんとのことを思い出しつつ…


(追記)彼女の場合のその、「突き動かされる感覚」に関してはまた、そこに対してわたしが感じたことを回収して書く予定。


今回の話は

わたしの「突き動かされる感覚」を探っていて

彼女のことを思い出したに過ぎない。




そう、究極、相手のことなんてわからない。




そしてもちろん

すべてにおいて、どうするかは、本人の判断。

わたしは勝手に彼女のことを思い出して


わたしがその時何を感じたのか

参考にした。まだ味わう途中・言葉にする前の蛹だったとしても♡




そう。今回のことも、そう。

わたしには、

振り返る余地があるのだ。






わたしは確かに何かを感じたが。

それはそうなんだが、わたしは、どうしたい?

すべて喜びなら…?コレってなに?


自分の感覚を探っていると

さらに「ハッ」とした。






焦燥感に駆られて、心配になっている時

本気で心配な感じなのに


わたしはどこかで楽しんでいたのだ。




そんな状況を

どこかで楽しんでいた。


どこかで…?

いや、寧ろ思いっきり!爆





人の不幸と判断して見做して

そこに喜ぶ…というより、その状況に対して





わたしに出来ることが

今あるかも⁉️


わたし今必要とされてるかも⁉️

これ知ってるのわたしだけじゃない⁉️


今なら

わたしにも、何か出来るかも⁉️




何かした方がいいんじゃない❓

伝えた方が、いいんじゃない⁉️




ハラハラして

これヤバくない⁉️と興奮して


わたしに何か出来るかも⁉️

みたいな状況を

まるで好んでいるみたいだった。




本気で相手のためとか

思っていたりしたのに。

本当に心配だったはずなのに。


こうしたら相手は救われるかなとか

喜ぶかなとか


相手考える以前に、相手はどうであれ←

一人心配になって、ハラハラして

わたしは、喜んでいたのだ。






でもなんで、そこでハラハラするのが

楽しかったのか?嬉しかったのか?



困って喜ぶフリとは?





わたしにも

何か出来ることがあるかも❓


と思える➖そんな状況がある!と思える

っていうのは。




わたしにとって

この場合は



人の役に立つような、誰かを救えるよう

ことをしたら


それって


この世界に

誰かに貢献しているような!

誰かを救うような気分


になって



究極

自分が

生きていける

ような気分




に通じていたのだ。







…いつも、わたしに出来ることはないか❓真顔

と思っていた。




ネ申になれば、この人間界でも

必要とされるかのように思っていた。


仕事を見つけたかのように。

そして、生きていけるんじゃない⁉️



わたしの出番

じゃね⁉️





と、勝手にそんな状況だと認識して…

認識したくて、どこかで楽しんでいたのだ。










「わたしって生きていけないんじゃない?」


「こんなに助けて貰って恵まれて

 みんないい仕事してるのに‼️←🥺

 わたしは、どう返したら⁉️」


何か貢献出来ることがしたいのに。


なのに、貢献以前に

生きる上で問題がある‼️


ハラハラ‼️ネ申よ、どうしたら⁉️



とか、↑やっていたわたしは

いつだって求めていた。




どうしたらいいのかなって。


この世界に生きていくには⁉️と。

わたしに可能で、出来ることは❓と。





わたしの、生きていける

わたしに出来る仕事は⁉️と。


わたしの

出番は⁉️と。






そうじゃなきゃ、そんな状況がないと

この人間界wで生きていけないような気

していたのだ。




「何も出来ないし…」と判断して思って

何か申し訳ないからこその、気持ち。


けれど、生かされていて嬉しいからこそ

何かしたい、力になりたい気持ち。



続くニヤニヤ