↑の続きです★
例えば。
trick(ドラマ)見ない方がいいよ‼︎
みんみ(←わたしのこと)はこう言われるの嫌かもしれないけど、ごめんなんだけど
わかるんだけど、私にも💦どうしてそう言いたいのかわからないんだけど…😭
でも、
何だかザワザワしてどうしても言いたくて
みたいな。
(他にもあったはずなんだけど、トリック鑑賞への意見として印象的過ぎて「ほーう、でも見たいしな〜」となって、この話を1番覚えてる🤣)
その時は、
わたしが嫌がるかも💦と躊躇う彼女が
それでも言いたそうだったので
聞いてから判断しようと
みんな聞いてみたのだった。
引用ブログは読まなくても大丈夫なように書きますが♡読めば展開などわかって楽しいと思う👍
↑で彼女(ももちゃん)がその時1番
わたしにしたかったこと、言いたかったことは
(けれど上手く伝えられず、彼女自身が、多少違和感を感じていたようだったtrick等に関するわたしに対する内容が、微妙に出てきた感じ)
その後「このことか⁉️」と
明らかになった(と思った)ことがあった。
↑の記事の最後のあたりに書いているのだが
要は
我が家(関谷家・わたしは関谷美映)の危機を
救う為に、彼女は無性に何かに駆られていた
のでは❓という出来事があったのだ。
この時は「だからか〜!💡」と納得した。
言葉より、無意識領域のアプローチに
切り替えたももちゃんによって
救われたらしい⁉️そのようだ‼️
ありがとう〜!!!
と、
とてもスピリチュアル(目に見えない領域)な
展開に、着地した。
けれども、その後
わたしは彼女の言葉が鼻につく…という言い方をしたいのだけど言葉なので…耳に付くようになり、実はそれ以前から違和感があったりしていて
究極彼女が嫌いなわけでもなく
言葉にするのは彼女の自由だし
わたしはわたしの判断で
言葉を受け取るかどうかを
決めればいいだけなのに。
言われたから、離れたいような…
でも
言われなくても、離れたいような
そんな感覚を自覚した。
これってなんだ❓と、感じ探りつつ
関係性を見直すようになっていった。
リアルタイムに探っていた記事。
そして…
最初は言葉からの違和感が
気になったものの、究極彼女の存在は
別に言葉に左右されるものではなく
結局は言葉とか以上に
わたしはこれからは彼女とは関わらない。
サヨナラしよう。
と、なったのだった。
あの時は↑の記事に
感じたことを書けるだけ纏めたんだけど
でも、わたしはずっと気になっていた。
なんでだ?
と。まだ究極辿り着いてないな、と。
言葉にならなくても感じたナニカがあって
その答えは出すことにしていた。
究極、言葉のせいで
彼女とサヨナラしたわけじゃない。
けれど確かに
みんみは〇〇なんだよ
と、鼻についた言葉があった。
でも、
みんみなら出来るよ
と、背を押された、救われた言葉も
たくさんだったのに。
鋭い視点に感動したり
ボケにウケたりもしたのに。
まるでスピリチュアルな存在のようだった
彼女から湧く言葉…
お告げみたいなポロリやドバドバ。
見えない感覚での理解。
(↑わたし視点←重要。またここについても書く)
そして見えない感覚だけでなくて
物理的にも沢山超関わった。
手料理は最高だった←強調
焦りとか心配からの言葉ですらなくて
戯れに聞き流すようなノリの言葉すら
何故か本気で鼻につくところもあり
けれど、本当に戯れだったはずなのに。
わたしは、なんだかんだで
物理的に近くにいたり、
また時々会話したりするような…
そんな風に彼女と接して関わるのを
やめよう
となったのだよね。
わたしは「彼女と離れる」として、
究極彼女ではなく別の、わたし自身の何かを
辞めることにしたような。その判断を付けたような。
↑で、わたしが駆られて言いたくなったのって
ももちゃんの時に
疑問に思ったナニカに通じるものが
あるような気がした。
ももちゃんの時も
彼女が本気で突き動かされるように
言っているようなところを
わたしは感じていた。
とはいえ、突き動かされる感覚であっても
吟味して、最終的に
どうするのかは本人の判断だ。
そこに生きる姿勢が表れる。
と、わたしは思っている‼️
ママンと採りたてキュウリ🥒半分にして食べたよ♡
そんな風に
ももちゃんとのことを思い出しつつ…
(追記)彼女の場合のその、「突き動かされる感覚」に関してはまた、そこに対してわたしが感じたことを回収して書く予定。
今回の話は
わたしの「突き動かされる感覚」を探っていて
彼女のことを思い出したに過ぎない。
そう、究極、相手のことなんてわからない。
そしてもちろん
すべてにおいて、どうするかは、本人の判断。
わたしは勝手に彼女のことを思い出して
わたしがその時何を感じたのか
参考にした。まだ味わう途中・言葉にする前の蛹だったとしても♡
そう。今回のことも、そう。
わたしには、
振り返る余地があるのだ。
わたしは確かに何かを感じたが。
それはそうなんだが、わたしは、どうしたい?
すべて喜びなら…?コレってなに?
自分の感覚を探っていると
さらに「ハッ」とした。
焦燥感に駆られて、心配になっている時
本気で心配な感じなのに
わたしはどこかで楽しんでいたのだ。
そんな状況を
どこかで楽しんでいた。
どこかで…?
いや、寧ろ思いっきり!爆
人の不幸と判断して見做して
そこに喜ぶ…というより、その状況に対して
わたしに出来ることが
今あるかも⁉️
わたし今必要とされてるかも⁉️
これ知ってるのわたしだけじゃない⁉️
今なら
わたしにも、何か出来るかも⁉️
何かした方がいいんじゃない❓
伝えた方が、いいんじゃない⁉️
ハラハラして
これヤバくない⁉️と興奮して
わたしに何か出来るかも⁉️
みたいな状況を
まるで好んでいるみたいだった。
本気で相手のためとか
思っていたりしたのに。
本当に心配だったはずなのに。
こうしたら相手は救われるかなとか
喜ぶかなとか
相手考える以前に、相手はどうであれ←
一人心配になって、ハラハラして
わたしは、喜んでいたのだ。
でもなんで、そこでハラハラするのが
楽しかったのか嬉しかったのか
困って喜ぶフリとは?
わたしにも
何か出来ることがあるかも❓
と思える➖そんな状況がある!と思える
っていうのは。
わたしにとって
この場合は
人の役に立つような、誰かを救えるような
ことをしたら
それって
この世界に
誰かに貢献しているような!
誰かを救うような気分
になって
究極
自分が
生きていける
ような気分
に通じていたのだ。
…いつも、わたしに出来ることはないか❓
と思っていた。
ネ申になれば、この人間界でも
必要とされるかのように思っていた。
仕事を見つけたかのように。
そして、生きていけるんじゃない⁉️
わたしの出番
じゃね⁉️
と、勝手にそんな状況だと認識して…
認識したくて、どこかで楽しんでいたのだ。
「わたしって生きていけないんじゃない?」
「こんなに助けて貰って恵まれて
みんないい仕事してるのに‼️←🥺
わたしは、どう返したら⁉️」
何か貢献出来ることがしたいのに。
なのに、貢献以前に
生きる上で問題がある‼️
ハラハラ‼️ネ申よ、どうしたら⁉️
とか、↑やっていたわたしは
いつだって求めていた。
どうしたらいいのかなって。
この世界に生きていくには⁉️と。
わたしに可能で、出来ることは❓と。
わたしの、生きていける
わたしに出来る仕事は⁉️と。
わたしの
出番は⁉️と。
そうじゃなきゃ、そんな状況がないと
この人間界wで生きていけないような気が
していたのだ。
「何も出来ないし…」と判断して思って
何か申し訳ないからこその、気持ち。
けれど、生かされていて嬉しいからこそ
何かしたい、力になりたい気持ち。
続く