旅の記念品15-隠岐の国・横綱牛-
隠岐(おき)は、中国地方隠州(いんしゅう)の現在は島根県の属する島で旧国名。隠岐島は(おきのしま)は、主な島として最大の島、島後(面積約240平方Km)と島前三島(地夫里島・中ノ島・ノ島)の四島で構成される群島だが、付属の孤島は80を数える。
人口約2万人、総面積は346平方Kmといわれる。北西約157キロを隔ててやはり隠岐島に属する竹島がある。隠岐には後醍醐天皇の配流など流刑でやって来る都人たちの影響もあって神楽や祭り、料理なども独自な文化が生まれている。
島前の3島の一つ中ノ島は、万葉の時代から遠流の地として、政治犯や貴族が追いやられてきたが、中でも承久の乱(1221・時の権力者、鎌倉幕府の北條義時を打つように下した命令であっさり敗北)で失敗して配流され、19年間をここで過ごした後鳥羽上皇は隠岐に没し火葬塚がある(陵墓は京都市大原勝林院町の大原陵)。島人にとっては近しい存在で、今でも「ごとばさん」と呼ばれている。
隠岐に流されたときには「われこそは新島守よ隠岐の海の荒き浪かぜ心して吹け(我こそは新しくやって来た島守だよ。海の荒い波風よ、十分気をつけて吹けよ)」とうたわれた気丈夫な上皇でも「人も惜し人も恨めしあじきなく世を思ふゆえにもの思う身は」(百人一首・後鳥羽院)「とにかくにつらきはおきのしまつ鳥 うきをばおのが名にやこたえむ」と、隠岐にいる身の上、隠岐で暮さねばならないむなしさ辛さが歌にも寂寥感を滲ませている。
隠岐の牛突きは、後鳥羽上皇の寂しい島の御生活をお慰めするために始まったと伝えられ、それ以来、禁令の目をかすめながら、最も健全な離島の娯楽として、島人は今日まで「牛突き」を楽しんできた。
600~900キロの巨牛が、前頭、小結、関脇、大関、横綱の番付に従って砂塵をけり巨体を波打たせ、突き合い、押し合い、激突する壮観、綱どり(牛の綱を操る人)と、突き牛の呼吸がぴったりと合う妙味、勝敗の明暗こそ分かれるが、隠岐では残酷な後味を残さない勝負が特徴で、スカ-ッとした明るさがある。牛突きは平和の島の歴史を彩って来た。
本番の大会は華やかで迫力満点の賑わいもあるようだが、私は平日の観光で少しの時間だったが雰囲気だけを感じた。上皇が気を紛らわせた頃の「牛突き」はこの程度だったかとも思った。
郷土土産品の「隠岐横綱牛」は、土俵入りの晴れ姿を表現しながら、島の情緒を観覧者の印象に深く記憶され持ち帰っていただけることを願って創作された。第一回隠岐島土産品コンクールで最優秀の県知事賞を受賞しているという。
写真は隠岐の島土産品として製作されている「隠岐横綱牛」
中野英治さんの写真集
下関市の写真家中野英治さんが、昨年末それも暮れのおし迫った12月25日、写真集を発行した。タイトルは【『平家物語』祭りの世界】である。
A5版横形厚表紙、132頁のずっしりと重量感のある見事な写真集で、中野さんが安徳帝の御衣の山鳩色と随所にアゲハ紋様をと希望して、これを活かした加藤昌子さんのブックデザインも素晴らしい。
写真集の冒頭は『平家物語』の【プロローグ】として、宮島の厳島神社で撮影した平家琵琶の弾き語り奏者荒尾勉氏の写真に始まり、祇王寺の秋景、宇治川の激流、高野山の鶯阿弥陀如来像、熊野古道など平氏ゆかりの地の写真に、祇王、源頼政、平維盛、平時子などの「祇園精舎の鐘の声・・・・」に始まる文学的な詩歌が添えられている。
そして【祭りとなった『平家物語』】の章となり、ここでは平家と熊野信仰、中世芸能と『平家物語』、義経と芸能、『平家物語』と神楽「天岩戸」、斎藤別当実盛と虫送り、次の章が【平家伝説地の祭り】で安徳天皇御潜幸伝説、平家伝説地に刻まれた祭り、最後の章として【赤間神宮と先帝祭】となり、先帝祭、壇ノ浦の伝説で写真は終わり、そのあと写真の解説や撮影場所、あとがきなどが添えてある。
撮影地はほとんどが関西地方以西の西日本(含沖縄)で東北会津が一か所。総枚数150点ほど、すべて力作といえる。
写真歴の長い中野さんは、折に触れて九州地方の祭りを中心に民俗芸能を題材に撮影を続け、民俗学としても価値のある貴重な記録写真を個展などで発表されていた。
お住まいが下関であるだけに、当然、源平ゆかりの場所は脳裏にあって、数多く取材されたであろう行事の中から、このほど『平家物語』に集約することを思いつかれたのだと推察する。
今まで『平家物語』を題材にして出版された本には、『カメラ紀行平家物語』(文/杉本苑子・写真/浅野喜市・淡交社)、『平家巡礼』(上原まり・光文社)、『能の平家物語』(文/秦恒平・写真/堀上謙・朝日ソノラマ)、『写真集 虚空巡礼-平家物語』(津田一郎・赤間神宮)などがあるが、これらは『平家物語』に沿った地域や遺跡を対象にしたり、物語を主題に纏めたものだったが、中野さんの場合はそれをプロローグにとどめて、むしろ平家物語から波及した地域(落ちのびた秘境で都を偲び再興を願う執念が祭りになった*著者)の祭りを集成したことに写真集としての新鮮さがある。
「お祭り」といえば、春夏秋冬の農山漁村の生産を中心に神仏信仰と民間人の結びつきを表現するが、ここでは歴史を背景に伝統芸能の発祥を表出し、神仏と源平、合戦の勝敗と生活環境、源平伝説の存在などに関連する様々な祭事がここに現出されている。
たとえば「実盛の虫送り」が、島根、愛媛、福岡、山口各県などで独特の行事として伝わることを記録し、その一つの長門市から出発して北浦に「さねもり人形」が担がれて歩く素朴な行事が、稲田を背景に何とも現代離れした神事であることを伝えている。また、北九州市の隠蓑で行われる「しび着せ祭り」は子どもたちも沢山いて賑わっているが、解説では「令和元年から再び非公開となった」とある、集落に子供たちが少なくなって、祭そのものの伝承が問題になったことも感じられる。
「博多山笠」では義経や弁慶はあって当然と見ていたが、日田の「祇園」に知盛が現れ、山陽小野田市の「埴生芝居」に勧進帳、「唐津くんち」の酒呑童子と源頼光兜などにも発見があり、ページを繰る楽しみがある。また、九州山間部の「小崎山法師踊り」「東方太鼓踊り」「大木場山神祭り」「久連子古代踊り」などと泊まり込みで日数をかけ、一つの祭りだけでも多くの場面をものにしながら、その中の希少な一枚として此処に存ることを思えば、著者が取材した膨大な枚数の集大成でこの本が出来ていることを感じる。
最後の章は、地元下関の「先帝祭」を中心に、その絢爛豪華な五人の上臈の姿、それも赤間神宮参拝の姿に絞った形で納められた。現在の先帝祭は、下関舞踊協会の奉仕で華麗厳粛に行われているが、いわゆる観光客が集まるイベント部分を排除しているのは著者の苦悩であっただろうか。境内の「七盛塚」や関門海峡の「平家の一杯水」の写真も数多い伝説の一面を印象的に物語っている。
この本の中に、その秘境を挿入された、椎葉の「雲居の月」や祖谷の「かずら橋」の写真は、『平家物語の世界』を暗示させる貴重な効果があった。
写真は中野さんの写真集表紙(下側)と見開きの写真ページ
灯台写真展始末記
昨12月13日で終えた写真展『下関・2基の灯台』は、期間が約1月あった。
教育委員会後援のための申請書類には、予想観客数200名として提出した。場所がカフェレストなので、常連さんは居られるが、数の上乗せは一応観覧を目的に来られる方々あり、前回の『回天感懐』の記帳が270名だったので、今回は題材が地味なこととコロナ禍中の人出自粛を思って少なくしておいた。
この写真展は、下関市にある六連島灯台と角島灯台の灯台2基と対岸門司の部埼灯台、それに千葉県の犬吠埼灯台の4基が現役灯台として初めて重要文化財への答申(10月16日)があったことで、これが嬉しくって急きょ写真展を思い立った祝福記念展だった。
報道については、急きょの思い付きと作品としての満足感に躊躇したことも重なって、記者クラブ投げ込みで特別に説明をすることはしなかった。
案の定、報道の反応は決して良かったとは言えない。11月15日の初日までに、サンデー下関の予告と初日の朝日新聞掲載は有り難かったが、毎日新聞は半月後の12月2日、読売新聞と地元の山口新聞は後4日を残した12月9日の掲載だった。今回は、テレビ取材は一局もなかった。案内状は320通、コロナに関係もあって遠方に知人も遠慮した状態だった。それでも芳名帳への記載者が250名に達したことは、一応申請をクリアしたことになるので内心は安堵した。
今回は、作品というよりテーマが「重要文化財になるという灯台」という関係から、行政に携わる方々や報道の方たちがどれほど関心を持って頂けるかも、自分としては一つの賭けでもあり興味を持っていた。実力のなさは自業自得でもあるだろうが、報道については惨敗。逆に言えば無関心過ぎるとも感じた。記帳には現市議会員が2名あった。
お礼状の葉書には「重文指定2020.12」と刷り込んで210枚発送したが、これが何時確定するのか12月下旬になっても発表が無いのが心配になった。”勇み足”かと不安もよぎったが12月23日付の官報に重文指定が発表されて、これは一安心だった。
官報には「旧金ノ弦岬灯台」と言われていた灯台が名称を「旧俎(まないた)礁標」と変更し「六連島灯台の付けたり」として重文に含まれていた。これは当時、海上保安庁では不要となり処分される寸前、住民の要望で、市が取得し文化財指定されたものである。
答申時の報道では、2灯台について良かったナとは思っていたが、こんな具体的なことは無く知らなかった。こうした嬉しいことが、まさか蜜を避けた隠密とも思えないが、24日のどこの報道も無関心で、重文決定の発表が無かったのは何故だろう。せめて地元の情報として新聞にはこうした記録が掲載されればと思った。
世の中に「新聞離れ」という現実がある。必要なことの不掲載も一つの原因ではないだろうか。官報に重要文化財指定が掲載されていることを、ふと、最初に写真展を報じて頂いた一新聞社に連絡しておいた。
年末までコロナ禍で滅入った中で、下関市の旧灯台を含めて3基の灯台が重要文化財に指定されたことは、市民にとっても2020年の大きな朗報だったと言えるだろう。
写真は灯台写真展の会場風景


