Issay's Essay -249ページ目
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尾道「文学のこみち」で

文学のこみち

  先日、広島県尾道市に行ってきました。

平成18年(2005)に、因島市と瀬戸田町を編入したので人口は約15万人というところで、「坂の町、文学の町」として「古い町並み観光」を進めています。

私が訪ねた目的の一つに、林芙美子のことがありました。千光寺公園には「文学のこみち」があり、20数基の文学碑が並んでいます。芙美子の碑は中ほどで、尾道の町を背景にした見晴らしの良い最高の場所にありました。幅が2m.を越す大きな石に『放浪記』の一節「海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように、拡がってくる。・・・」逆光ながら文字の大きさ彫りも良くて、何より読み易いのが良かったと思いました。そばの説明版には「下関の人。大正五年尾道に移り住んで・・」と有って、気分よく歩き千光寺裏に着きました。

次に文学室という尾道市出身の文学者顕彰の館に行きました。ここの文学者の代表は、林芙美子です。大正5年(1916)の尾道市土堂小学校5年に編入から、大正11年(1922)尾道高等女学校を卒業して上京するまでを、尾道に住んでいたことで、特別なコーナーが造られ、さながら「芙美子が尾道に帰ってきて海を見ている」そんな錯覚を覚えました。

愛新覚羅社のこと

愛新覚羅社


 下関市綾羅木の中山神社境内にある愛新覚羅社は、昭和63年(1988)に創建されましたが、ご祭神は元満州国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟・愛新覚羅溥傑(ふけつ)と夫人の愛新覚羅浩(ひろ)、その長女・慧生(えいせい)の3柱です。

 中山神社は、明治天皇の叔父君にあたる中山忠光卿がお祀りされていますが、政変で長州に忠光が逃れて来られたとき、身の回りの世話役・側女として仕えたのが恩地トミでした。忠光が暗殺されたあと「トミ」の生んだ子どもは、仲子姫として育てられ、後に嵯峨公爵夫人となります。そしてその孫・浩が、政略結婚の“流転の王妃”として知られる愛新覚羅溥傑夫人となるわけです。その愛娘・慧生は、学習院在学中に伊豆の天城山で心中しました。

忠光卿以来の「悲劇の系譜」を感じますが、その遺品は一部が中山神社宝物館にあり、また一部が綾羅木本町の瀬戸口医院の「久庵」にあります。

久庵のものは、阪神淡路大震災で西宮市の福永こせい(溥傑の次女)さん宅が倒壊したとき、散逸しないようにまとめて「お母さん」と慕っていた瀬戸口久子さんに寄託された物です。このほどその一部が唐戸のデトロワで公開されます。
2月28日~3月31日まで。
問い合わせ電話32-3674

青春交響の塔

青春交響の塔

 下関のあるかぽーとに、志士の杜推進実行委員会が全国7000余名からの浄財を集めて、高杉晋作と坂本龍馬二人の友情をしめす、下関の新しいシンボル「青春交響の塔」が建立されたのは平成15年8月20日でした。

 制作は、山口県出身で、東京芸大の学長をつとめられ、現代彫刻の巨匠といわれた澄川喜一さん。依頼を快諾されてからの制作中に、平成14年度の恩賜賞・日本芸術院賞受賞のお目出度もありました。    
 下関市立美術館長の井戸誠さんは、「日本の閉塞を打破し希望へと導いた二人の英雄を、確かなイメージで捉え、壮大なスケールで剣をかたどった気迫の造形」と表現されています。 作家・古川薫さんによる副碑の文中には「維新史を旋回させた二つの雄魂。 その名 高杉晋作 その名 坂本龍馬」とあります。

 観光で賑わう唐戸市場、カモンワーフも結構ですが、海響館のすぐ近くに建つ「青春交響の塔」に寄り添って、海峡を舞台に繰り広げられた幕末のドラマを想い、困難の時代を駆け抜け新時代を切り開いた彼らの、青春の鼓動を聞いて見ませんか。
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