Issay's Essay -18ページ目

西門司市民センターの活動

694 黒瀬さんの講演と後部壁面に写真が並ぶ西門司市民センターの会場風景

 昨年6月、北九州市門司区の西門司市民センター内にある「聞き書きボランティアともがき隊」というグループが『聞き書きでのこす門司の記憶—未来への伝言—」という冊子(A4判76頁)を発行された。
 これは、同市民センターが自分史を学ぶための「ともがき講座」をスタートしたのが切っ掛けで、高齢者から大学生までの男女が集い、地元の高齢者から聞き取った12編の作品を纏めたもので、内容は昭和20年の空襲当時からの戦争体験、昭和28年の北九州大災害の経験が大半で、「証言を次世代に伝えたい」との思いが感じられるものだった。
 その冒頭に、下関在住の童話作家で民話の語り部、黒瀬圭子さんの証言が掲載されている。これは彼女の生まれが、北九州市門司葛葉で関門の空襲と戦後の生活を体験したことを、後に著書『白いなす』として出版されたことによるものであろう。
 その黒瀬さんが、昭和50年代(1975頃)のころ、地域のお母さんたちと一緒に勝山公民館の小さな一室を私設図書館「青山文庫」として創設され、週一回子供たちに解放し自由に本を読ませたり本の読み聞かせを行ったりした。この活動が何時しか公民館活動となった。
 こうした公民館活動に、黒瀬さんが関わっていたからか、「こどもの広場」の横山真佐子さんを通じて、黒瀬さんの講演と同時に『本をえらぶ日』の写真を展示する企画が西門司市民センターから持ち掛けられ、私も、その日に参加してほしいと持ち掛けられ、特別に予定がある訳でもなく6月11日を了承した。
 当日になって知ったのは、講演会は「北九州市平和のまちミュージアム」開館記念であり、テーマは「北九州の戦争の歴史を絵本で伝える」であるということ、同センターには、確かに私の写真も展示されていたが、選書会とのつながりに戸惑いも感じた。ミユ―ジアムは、本年4月小倉に開館していて流石に文化都市だと思った。
 同センターが企画したその日のプログラムは、第一部が黒瀬さんの講演で「戦争体験と絵本」となっていて、著作『白いナス』の生まれる背景が、流石に語り部のお話、上手いもんだなぁと感心した。続く、第二部のテーマが「ブックトークと対談」とあって黒瀬さんと横山さん、それに私まで壇上に上がらせられての対談だった。
 壇の前に、20冊ばかりの戦争と平和に関しての本が並び、横山さんはブックトークで本の魅力を語り、読み方、考え方でイメージも解釈も違ってくると話されていた。この日の「戦争」は、第二次世界大戦をイメージする展開で、横山さんが私に話を振られたとき、ふと、大戦の空襲や機雷布設などの話をするより、同センターに着いたときから50年位前、奇兵隊の取材でこの西門司から赤坂、小倉に繁く通ったのを思い出したことで、不幸にして起こった幕長戦争の話をさせて頂いた。(話の大要は次の通り)
 「今日の雨が焼夷弾だったら!北九州門司と下関は2度同じ日に焼夷弾が降り、戦災で焦土となりました。関門海峡を隔てていても関門は近しい関係にあります。
 ここ西門司、近くには村中川(川の名前が思い出せず皆さんに聞いた)に架かる志津摩橋がありますが、小倉藩家老の島村志津摩をたたえた命名です。彼の母親は長府藩家老の娘ですが、幕長戦争では皮肉にも小倉藩の指揮者が島村志津摩で、長州藩は事実上高杉晋作。赤坂を前にこの門司で苦戦して多くの犠牲者が出ました。ところが、ふとしたことで戦力を喪失した小倉藩は自ら城に火をかけて敗走、事実上この時点で長州側は勝利し、戦利品として太鼓や灯篭などは知られていますが、藩校・思永館の蔵書をたくさん持ち帰っています。後に、奇兵隊陣屋ではこの本で隊員の教習を行っています。小倉藩が退いたとはいえ、島村志津摩は田川との境、金辺峠に陣を敷きその後2ヶ月間、ゲリラ戦で長州軍を悩ませたすえ和解しました」
 戦争と本のことに関連して、郷土史を考えてほしいとの思いでお話させて頂いた。
 土曜日の午後、参加者は100人足らず、壇上からの皆さんは熱心だった。
 そして、何よりも市民センターの活動は、確かに市民のために皆さんが協力して頑張って居られる様子を見聞した。
 写真は、黒瀬さんの講演と後部壁面に写真が並ぶ西門司市民センターの会場風景

五月晴れに鯉のぼり

693 山口市秋穂で見かけた鯉のぼりの風景

 町内での回覧に、毎月『玄界灘の空は晴れて』という西山小学校の「学校だより」が添えられて「進んで学び、心豊かでたくましい西山っ子の育成」が教育目標、そして「人の話を聞く、元気のよいあいさつ、だまって掃除」がチャレンジ目標などと学校の様子を幾らか感じている。
 ところが、我が家が校区の端の方にあり、組内のほとんどが後期高齢者の家庭なので、この最近はランドセルをかけた可愛い小学生の往来を見かけたことも無い。市内の何処かで下校時の湧いて溢れるほどの子供さんたちに出くわすと不思議な気持ちになる。
 5月5日は「こどもの日」。我が家でも、高くもない竿を建てて鯉のぼりを泳がせたのは随分前のことだが、住宅環境が変わった最近は「鯉のぼり」を見かけることも少なくなった。それでもアパートなどのベランダに可愛い鯉のぼりを見かけると嬉しくなる。
 その一方、熊本県小国町の杖立温泉では河川を跨いでわずかばかりの鯉のぼりを泳がせてからおよそ半世紀「今までに何万匹の寄贈があったか感謝です」と関係者が語って居られたが、最近は約3500匹が4月から5月初めにかけての風物詩として全国的な話題となり観光客を集めている。また大分県玖珠町「童話の里」では、ジャンボ鯉のぼりの中を通り抜けるイベントや、山口県防府市の佐波川では鯉のぼりの水中を泳がせるイベントがあった。また、各所の街中では神社や公園、商店街などに鯉のぼりを飾ったりして五月の節句を盛り上げていた。 昨年、鹿児島に行ったときはカツオの幟も見かけたが、下関ではフクやクジラの幟も泳いでいる。
 5月初旬、「車エビ養殖発祥」の話題があり「発祥の現地」を案内方々山口市秋穂に出向いたが、養殖場敷地内に発祥碑のあるその企業は閉鎖されたのであろうか?門が閉ざされ立ち入ることが出来なかった。私たちは一寸がっかりして国民宿舎「あいお荘」で風景を眺めながら休憩、帰る途中、行者様への道の所で勢いよく風をはらんで泳ぐ鯉のぼりに遭遇して「がっかり」はいっぺんに吹っ切れた。
 この幟は、地区の方が皆さんで寄せ集めて建てられたと通りすがりのご婦人が話されていたが、男児の健やかな成長を願って家庭の庭先に飾る「鯉のぼり」の風習が、地域の人や通り過ぎる人々の元気に一役かっているのである。それが、晴天の青空にたなびいていたのでなおさらに嬉しかった。
 思わず♪いらかの波と雲の波 重なる波の・・と口ずさんだら、「それ何」「鯉のぼりの歌よ」「ヱッ♪屋根より高い鯉のぼり」じゃないの、「あァ!そんな唄もあるなぁ」。
 まぁなんでもいいけど、周辺は休耕田に太陽光パネルが敷き詰められ、これも現代的で私には「現代の甍」にみえて愉快な風景に出会ったとも思った。
 鯉のぼりを見かけると、子供たちの健やかな成長を祈る気持ちと、自分のなかに里心、郷愁が沸き上がってくる。
 写真は山口市秋穂で見かけた鯉のぼりの風景

ようやく赤江瀑文学碑建立

692 極楽寺境内に新設された赤江瀑文学碑

 赤江瀑さんが逝去されて早くも10年になる。
 『赤江瀑の世界』(河出書房新社・2020.6.30発行・2600円(税別))が出版されたとき、令和2年8月末にこのエッセイで「文学碑建立のこと」を次のように書いていた。
 『赤江さん没後1年目の美の世界展を終えた反省会の時に「文学碑を建てたいねぇ!」という話が古川さんから持ち上がったが、ご本人はすでに鬼籍の人になられた。当時世話人だった皆がそれぞれその文学碑を意識しながらも、はや7年を過ごしてしまった。今回の企画展【※下関市先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)で「ふるさと文学館春季所蔵品展『赤江瀑』」(令和2年4月5日から7月5日まで開催)】の開催、そして今回の出版を契機に、誰いうともなく平成3年の命日には実現したいと策動が始まった。何処に、どんなものを‥課題は多いが歳月の速さを感じながらも、今度こそ宿題を実現させなくてはならない』。確かにその動きはあった。それは「美の世界展反省会」のとき直接、古川薫さんの声を聴いていた川野裕一郎氏ら当時の世話人9人と、病床から遺言のように聞かされていた石材店の中村重雄を含めての10人。
 文学碑文は、あの独特な墨跡を感じるものがいいねと、世話人が所有するものから選ばれ、場所は赤江さんの眠る長谷川家代々の菩提寺である下関市阿弥陀寺町の極楽寺として交渉が成立、すでに平成3年の命日には間に合わず、ある程度の形がまとまって、幾許かの募金活動を始めたのが10月。この時は何としても没後10年には除幕を目指した。
 世話人会代表は、重井民雄氏が引き継ぎ事務局を近藤洋平氏、完成予想図を川野裕一郎氏が手掛けて、手持ち(美の世界展残金30万円余)があったので募金目標は50万円として記者発表、募金は、有り難いことに忽ち予想をはるかに上回って終了した。
 文学碑は、内日産の自然石で横幅約1.8m、高さ約1m、下部奥行約1mの中央部に文字を刻んだ石板(横70㎝縦35㎝)を嵌め込んだもの。
 文字は『崩れかけた枇杷/色の土塀に陽ざし/が溶け/歩いても歩いても/われ一人/無人の迷路に/和やかに五感が崩れ/朦朧たる静謐が/やってくる』である。
 これは『オルフェの水鏡』(赤江瀑著・文芸春秋・1998)の冒頭「陽ざかりの囲い」の一部だが、文章の初出は昭和60年(1985)だからそのころ以降に、赤江さんがその一節を揮毫されたものであろうか?。長府に移り住み、土塀に囲まれた中で創作される筆者のふとした瞬間の感情が伝わってくる。
 赤江瀑文学碑の除幕は、ようやく平成4年6月11日に行われた。
 写真は極楽寺境内に新設された赤江瀑文学碑