ようやく赤江瀑文学碑建立 | Issay's Essay

ようやく赤江瀑文学碑建立

692 極楽寺境内に新設された赤江瀑文学碑

 赤江瀑さんが逝去されて早くも10年になる。
 『赤江瀑の世界』(河出書房新社・2020.6.30発行・2600円(税別))が出版されたとき、令和2年8月末にこのエッセイで「文学碑建立のこと」を次のように書いていた。
 『赤江さん没後1年目の美の世界展を終えた反省会の時に「文学碑を建てたいねぇ!」という話が古川さんから持ち上がったが、ご本人はすでに鬼籍の人になられた。当時世話人だった皆がそれぞれその文学碑を意識しながらも、はや7年を過ごしてしまった。今回の企画展【※下関市先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)で「ふるさと文学館春季所蔵品展『赤江瀑』」(令和2年4月5日から7月5日まで開催)】の開催、そして今回の出版を契機に、誰いうともなく平成3年の命日には実現したいと策動が始まった。何処に、どんなものを‥課題は多いが歳月の速さを感じながらも、今度こそ宿題を実現させなくてはならない』。確かにその動きはあった。それは「美の世界展反省会」のとき直接、古川薫さんの声を聴いていた川野裕一郎氏ら当時の世話人9人と、病床から遺言のように聞かされていた石材店の中村重雄を含めての10人。
 文学碑文は、あの独特な墨跡を感じるものがいいねと、世話人が所有するものから選ばれ、場所は赤江さんの眠る長谷川家代々の菩提寺である下関市阿弥陀寺町の極楽寺として交渉が成立、すでに平成3年の命日には間に合わず、ある程度の形がまとまって、幾許かの募金活動を始めたのが10月。この時は何としても没後10年には除幕を目指した。
 世話人会代表は、重井民雄氏が引き継ぎ事務局を近藤洋平氏、完成予想図を川野裕一郎氏が手掛けて、手持ち(美の世界展残金30万円余)があったので募金目標は50万円として記者発表、募金は、有り難いことに忽ち予想をはるかに上回って終了した。
 文学碑は、内日産の自然石で横幅約1.8m、高さ約1m、下部奥行約1mの中央部に文字を刻んだ石板(横70㎝縦35㎝)を嵌め込んだもの。
 文字は『崩れかけた枇杷/色の土塀に陽ざし/が溶け/歩いても歩いても/われ一人/無人の迷路に/和やかに五感が崩れ/朦朧たる静謐が/やってくる』である。
 これは『オルフェの水鏡』(赤江瀑著・文芸春秋・1998)の冒頭「陽ざかりの囲い」の一部だが、文章の初出は昭和60年(1985)だからそのころ以降に、赤江さんがその一節を揮毫されたものであろうか?。長府に移り住み、土塀に囲まれた中で創作される筆者のふとした瞬間の感情が伝わってくる。
 赤江瀑文学碑の除幕は、ようやく平成4年6月11日に行われた。
 写真は極楽寺境内に新設された赤江瀑文学碑