大覚寺 その1(京都市右京区) | 三日月の館

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所在地  京都市右京区嵯峨大沢町4
山号   嵯峨山
宗派   真言宗大覚寺派
本尊   不動明王ほか五大明王
創建   貞観18年(876)
開基   嵯峨天皇

 

南朝ゆかりの寺です。

 

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【大覚寺(旧嵯峨御所)】

嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山である。
当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。
その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。
以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。
宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。
その外、御影堂、霊明殿、五大堂、安井堂、正寝殿、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えている。

京都市

 

最寄駅はJR山陰本線嵯峨嵐山駅。

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駅から徒歩で15分と書かれていました。

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住宅街の狭い路地を抜けると、一条通「大覚寺門前」交差点に到達。

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交差点の南側に「六道の辻」の碑が建つ。
六道の辻は、東山区の六道珍皇寺付近を指すが、こちらは小野篁が小野篁が冥府からの帰路に使ったとされる井戸があった場所と云う。

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これが「冥府からの出口」の井戸かな?

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総門阯。
北へ延びる参道を進む。

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道標。
直指庵なるものは始めて知りました。
機会があったら行ってみようと思います。

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参道を進むと右側に塔頭、覚勝院があります。
(塔頭は他に、祇王寺があります。)

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境内を南から見る。
鳥居がありました。

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境内の様子。

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毎年11月22日、23日には、聖天様の大根供養が行われる。

参道の突き当りの大覚寺に到着。

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入り口には「史蹟 大覚寺御所阯」の碑が建つ。

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入り口を進むと、左側に道があります。

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進むと華供養塔でした。
ここ、大覚寺は華道嵯峨御流の総司所でもある。

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戻って先へ進む。
堀を渡って左折。

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大門が見えてきます。

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大門から境内へ入る。

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大門から式台玄関を見る。

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脇の松が立派ですね〰

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反対側ではお坊さんが生け花を制作中でした。

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式台玄関。

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ここからは入れず、脇から入る。

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拝観入口から玄関を見る。

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式台玄関。
狩野永徳筆とされる「松に山鳥図」が描かれている。

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玄関を抜けるとショップがある。
行き帰り必ずここを通る構造になっており、商魂逞しいです。

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玄関からうぐいす張りの廊下を伝って宸殿(国の重要文化財)へ。
江戸時代の初め、延宝年間(1673~81)に後水尾天皇より皇后東福門院福子(徳川二代目将軍秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったもの。
入口の格子戸は蔀といい、その留金部分には蝉の装飾がある。
また、部屋は5つに分かれ、正面牡丹の間は格式が高く、天井は折上小組格天井になっている。
襖絵は、狩野山楽によって描かれた牡丹・紅白梅・松・鶴等があり、桃山美術の代表的な作品です。
前面の庭には一面に白川砂が敷かれ大海を表しており、正面の「右近の橘」「左近の梅」が旧御所の名残りをとどめています。

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残念ながら前庭には立ち入ることが出来ない。

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よって、大覚寺のHPから正面を抜粋。

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右近の橘。

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左近の梅。
当初は梅だったが、村上天皇の御代に桜に変わったとか。
しかし、3月だというのに今年はまだだった…
寒い〰

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宸殿の東側へ。

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宸殿から廊下を進む。

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御影堂(心経前殿)。
大正14年(1925)御所から移築された建物。
心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてある。
正面の厨子は、向かって右から弘法大師で文殊菩薩の智剣を持った秘鍵大師像、内側が嵯峨天皇像、向かって左側が鎌倉時代に嵯峨御所を再建した23代門跡後宇多法皇、その左側が初代門跡恒寂法親王の尊像である。

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御影堂前には石舞台がある。

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祭りの際には舞楽が行われるようです。

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庭の先に勅使門(唐門)。
嘉永年間(1848~54)の再建。

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境内の外側から見る。

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御影堂の裏に心経殿。
大正14年(1925)の建立で法隆寺の夢殿を模した八角形で高床式のコンクリート造りの建物。
殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の般若心経の写経が納められ、薬師如来立像が奉伺されている。
この勅封写経は60年に一度開封される。
この建物は平成10年(1998)に文化庁から「登録有形文化財」に指定された。
大覚寺の中心に位置する。

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東側に霊宝館(収蔵庫)。
非公開だった。

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廊下を進んで、御影堂の東南に位置する御霊殿へ。

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御霊殿(安井堂)。
東山の地にあった「安井門跡蓮華光院の御影堂」を明治4年(1871)に移築した建物で、江戸時代中期の様式を表している。
格天井の鏡板には密教法具の外、牡丹、杜若等の草花が、折上部には雲龍が描かれている。
宝輦(天皇の乗物)型の厨子の中には、後水尾天皇の等身大の僧形を奉安している。

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御霊堂の南に五大堂(本堂)。

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嵯峨天皇の勅願により嵯峨離宮に嵯峨五台山明王院五大堂を建立したのに由来。
現在の大覚寺の本堂で、不動明王を中心とする五大明王を安置する。
江戸時代中期(天明年間)創建で、元は境内中央の勅使門の正面(現在の石舞台)の位置にあったが、大正14年(1925)大正天皇即位式の饗応殿が下賜され御影堂(心経前殿)として建築されたため、大沢池のほとりである現在地に移築された。

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大沢池に面する東面には、池に張り出すように広いぬれ縁があり、大沢池の眺望がすばらしい。

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五大堂(本堂)東側。

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嵯峨御流だろう。

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五大堂(本堂)裏の売店。
写経を奉納している人がたくさんいました。

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五大堂(本堂)前の鐘楼。

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唐門を見る。

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宸殿を見る。

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境内の残りと、大沢池を見て廻ります。

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つづく

 

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