所在地 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
山号 高松山
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 大日如来
創建 平安時代
開基 良鎮
平家物語ゆかりの尼寺です。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/b4/e1/j/o0400030014669162157.jpg?caw=800)
【祇王寺(往生院)】
往生院祇王寺と号する真言宗の寺である。
寺伝によれば、この地は、平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮(りょうちん)が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。
平家物語によれば、祇王は、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自、妹祇女と共に出家し、当地に移り住んだ。
後には、仏御前も加わり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられている。
現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛と祇王ら四人の尼僧像を安置している。
境内には、祇王姉妹等の墓と伝える宝筐印塔及び平清盛の供養塔などがある。
京都市
寺っぽく無い、別荘のような入口。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/57/c6/j/o0400030014669162162.jpg?caw=800)
今はこちらへの入口は閉まっているが、本来の山門はこちらかな?
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/cb/94/j/o0400030014669162164.jpg?caw=800)
境内から見る。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/d3/5f/j/o0400030014669162168.jpg?caw=800)
紅葉に埋もれた境内の庭。
ちょっと遅かったかな?
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/1a/e5/j/o0400030014669162170.jpg?caw=800)
庭の奥の本堂。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/59/52/j/o0400030014669162172.jpg?caw=800)
現在の祇王寺は大覚寺の塔頭となっている。
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院という寺院だったが、衰退し明治初年に廃寺となってしまった。
残った墓と木像は嵯峨大覚寺に保管された。
その後、浄土宗から真言宗へと改宗し復興した。
本堂は、明治28年(1895)に、元京都府知事北垣国道が、嵯峨にある別荘だったこの建物を寄付したものと云う。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/3a/cd/j/o0400030014669162177.jpg?caw=800)
人が大勢いたので、見ずに帰ってしまった。
本堂控の間の吉野窓など風情ある建物らしい。
残念。
本堂から見た庭。
紅葉で覆われたこの庭は一面苔で覆われた庭という。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/08/fb/j/o0400030014669162180.jpg?caw=800)
境内にはいろんな種類の苔を見ることが出来ます。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/d3/95/j/o0400030014669162184.jpg?caw=800)
ここにも。
秋以外に訪れるのも良いでしょう。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/66/3e/j/o0400030014669162186.jpg?caw=800)
また、境内奥の竹やぶ。
いかにも嵯峨野といった感じ。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/bf/d4/j/o0400030014669162189.jpg?caw=800)
こらー!
落書きするな(怒)
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/47/f7/j/o0400030014669162190.jpg?caw=800)
ここは、金子静枝翁の居所だったと云う。
金子静枝さんとは誰だろう?
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/f8/57/j/o0300040014669162193.jpg?caw=800)
「妓王妓女佛刀自之舊跡」の碑。
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王だったが、同じ白拍子の仏御前へ寵愛が移ってしまうと、妹の白拍子祇女と母刀自の三人は尼となりこの寺へ入寺した。
その後、仏御前も尼となって入寺し、四人で念仏三昧の余生を送ったと云う。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/36/ed/j/o0300040014669162197.jpg?caw=800)
奥にある宝筐印塔。
左が、祇王、祇女、母刀自の墓。
右が、平清盛の供養塔。
いずれも鎌倉時代のもの。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/15/kanezane2/58/a8/j/o0400030014669162198.jpg?caw=800)
晩秋だからか、何となく寂しい感じの寺でした。
せっかくここまで来たので、奥の滝口寺へ向かいました。
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