滝口寺(京都市右京区) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

所在地  京都市右京区嵯峨亀山町10-4
山号   小倉山
宗派   浄土宗
本尊   阿弥陀如来
創建   平安時代
開基   念仏房良鎮上

 

平家物語の滝口入道と横笛説話ゆかりの地です。

 

イメージ 1

【滝口寺史跡】

当所は、もと良鎮上人の開祖にかかる往生院の子院で、三宝寺と称し、浄土宗に属したが、明治維新の際、廃絶してしまった。
かって三宝寺には、滝口入道と横笛の悲恋物語が伝えられていたところから、滝口寺と呼ばれていた。
近年、有志によって庵室が建てられ、清涼寺内の史跡となって甦った。
本堂には、三宝寺の遺物である滝口入道と横笛の木像を安置している。
滝口入道は、名を斎藤時頼といい、宮中の警衛に当る滝口の武士であったが、建礼門院の雑仕女横笛を見染めて恋に陥った。
しかし、彼の父は、その恋を許さず、そのため時頼はわずか19歳にして往生院に入り出家したのである。
横笛は、これを聞き往生院を訪ねるが、滝口入道は、修行の妨げと会わず、そのため、横笛は悲しみ
のあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良・法華寺に出家したともいう。
滝口入道は、のち、高野山清浄院に入って高野聖となり、元暦元年(1184)、紀伊勝浦で平維盛入水に立合
っている。

京都市

 

右京区嵯峨二尊院門前往生院町に建ち並ぶ道標群。
左側、 「新田公首塚碑道」            → 滝口寺
真ん中、「山城国 一ノ寺 壇林寺門跡」    → 壇林寺

イメージ 2

右側、 「祇王寺 久保田米僊 金子静枝 墓一町 瀧口横笛舊跡」 → 祇王寺

イメージ 3

滝口寺は祇王寺のさらに奥にある。

イメージ 4

門を入った所に新田義貞の首塚がある。
三条河原でさらし首になっていた新田義貞の首を、妻勾当内侍が盗み出しこの地に埋葬したという。

イメージ 5

脇の、妻勾当内侍の供養塔。
夫新田義貞の首を埋葬した後、出家してこの地で弔って暮したと云う。

イメージ 6

奥へ進む。
ここからは、平家物語の世界へ。
滝口と横笛の歌問答旧跡の「三寶寺歌石」

イメージ 7

  「平家物語」

維盛高野の巻で滝口入道と横笛の悲恋物語が挿入されている。

滝口入道はもと重盛の侍でその名を斎藤滝口時頼。

清盛の西八条殿での花見の宴に於いて建礼門院つきの女官の横笛の舞姿を見て、恋しく思うようになり恋文を送るようになった。

すると時頼の父がこの事を聞いて

「おまえは名門の出にして、将来は平家一門に入る身上でありながら、なぜあんな横笛ごときを思いそめるのか」

ときびしく叱ったため、時頼は、主君(小松内大臣重盛)の信頼に背いて恋に迷う己れを自責したが、

「これこそ仏道に入らしめる尊い手引である」

として嵯峨の往生院で出家してしまう。

横笛は、都で滝口入道が出家したということを伝え聞いて恨めしく思い、自分の心を打ち明けたいと、都を出てあちらこちらと尋ねて嵯峨の往生院へやって来た時は、もう日も暮れた夕闇の中でした。

住み荒したる僧坊に念誦の声がしたので、滝口入道の声と聞きすまして真の心をうちあけたく、女子の身でやってきたことを言った。

滝口入道は、胸がどきどきして、驚き呆れたあまり、襖の隙間から覗いて横笛をみると、裾は涙でぬれ、痩せこけた顔つきは、本当に尋ねかねた様子に如何なる大道心者も心弱うなるに違いない。

ところが、滝口入道は、同宿の僧を遣して

「全くここにはそのような人は居りません。お門違いではないでしょうか。」

と言わせた。

横笛泣く泣く帰るわけですが、真の心を伝えたく、近くにあった石に歌を書いて帰った。  

  山深み思い入りぬる柴の戸の   

    まことの道に我れを導け

滝口入道は未練が残ったまま別れた女性に住いを見つけられたからには修行の妨げと思い高野山に移った。

横笛もその後すぐ法華寺で尼になったと聞いたので滝口入道は一首の歌を横笛に送った。  

   そるまでは恨みしかとも梓弓   

     まことの道に入るぞ嬉しき

横笛返して  

   そるとても何か恨みむ梓弓   

     引きとどむべき心ならねば

横笛はまもなく法華寺で死にました。

滝口入道はこの事を伝え聞いてますます仏道修行をして高野の聖といわれる高僧になったという。

(パンフレットより抜粋) 

 

市川由紀乃「横笛物語」という演歌にもなっている。

イメージ 8

本堂。
中には、滝口入道と横笛の木像が並んで安置されている。
鎌倉時代の作で眼が水晶(玉眼)。
往生院の遺物の一つ。

イメージ 9

竹林に建つ滝口入道と平家一門の供養塔。

イメージ 10

本堂の奥に建つ平重盛を祀った小松堂。

イメージ 11

新田義貞につられて訪ねましたが、平家物語の世界だった。
まだまだ知らない京都がたくさんありました。

 

京の寺(目次)へ戻る